うまずたゆまず

コツコツと

十五夜

 
本日、令和5(2023)年は9月29日は「十五夜」。美しい月を眺めるお月見の日です。
 

十五夜とは

 
月の運行を基にした「陰暦」では、
十五日の夜はみな「十五夜」と
いうことになりますが、
「中秋の名月」として鑑賞されるのは
「陰暦八月十五日の夜の満月」です。
この日は、空気が澄み渡り、
1年で最も美しいとされることから、
「中秋の名月」を鑑賞しながら、
収穫などに感謝をしてきました。
 

中秋の名月? 仲秋の名月?

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「十五夜」は「ちゅうしゅうのめいげつ」とも呼び、
漢字では、 「中秋の名月」とか「仲秋の名月」と
書きますが、どちらが正解なのでしょうか?
どちらも正解です。
漢字によって意味が違うのです。
 
仲秋の名月
「旧暦」では、7月、8月、9月を秋の季節とし、
7月を「初秋」、8月を「仲秋」、9月を「晩秋」と言いました。
「仲秋」とは「8月」の別称で、
「仲秋の名月」=「8月の名月」という
意味になります。
 
中秋の名月
「中秋」は、秋のちょうど真ん中の日のことを言います。
つまり、旧暦の8月15日が秋の真ん中、
「中秋」に当たりますので、
「中秋の名月」=「旧暦8月15日の名月」
という意味になります。
 
「十五夜」の日は旧暦8月15日の月を指すため、毎年変わります。
令和5(2023)年から令和12(2030)年の
「十五夜」の日にちをまとめてみたので参考にして下さい。

  • 令和  5(2023)年 9月29日(金)
  • 令和  6(2024)年 9月17日(火)
  • 令和  7(2025)年 10月6日(月)
  • 令和  8(2026)年 9月25日(金)
  • 令和  9(2027)年 9月15日(水)
  • 令和10(2028)年 10月3日(火)
  • 令和11(2029)年 9月22日(土)
  • 令和12(2030)年 9月12日(木)
 

十五夜は満月とは限らない?

旧暦では「月」に合わせて暦が決まっていたため、
「新月」の日を1日として1ヶ月が始まり、
「満月」は毎月15日の日でした。
しかし、現在の暦は
「月」と「日付」は関係ありません。
また「月」はいつも15日周期で
「新月」から「満月」になると限らないため、
「十五夜」と言っても、年によってピッタリ
「満月」にならないことがあります。
というか「十五夜」が「満月」になるほうが
稀なようです。
因みに令和5(2023)年は、
「十五夜」と「満月」の日は同じ9月29日で、
天候が良ければ、満月のお月見が出来ます。
 
「十五夜」   「満月」
令和2(2020)年10月1日 10月2日
令和3(2021)年9月21日 9月21日
令和4(2022)年9月10日 9月10日
令和5(2023)年9月29日 9月29日
令和6(2024)年9月17日 9月18日
令和7(2025)年10月6日 10月7日
令和8(2026)年9月25日 9月27日
令和9(2027)年9月15日 9月16日
令和10(2028)年10月3日 10月4日
令和11(2029)年9月22日 9月23日
令和12(2030)年 9月12日 9月12日
 
 

閏月の月見

旧暦では年によって「閏月」(うるうづき)があり、
8月の月の後に「閏8月」が入ることが
ありました。
普通は「閏月」に同じ行事を繰り返すと
いうことはなかったそうですが、
「お月見」に限っては、
8月15日と閏8月15日の二度、
「十五夜の月見」をしたそうです。
 

月見どろぼう

昔は、「十五夜」の供え物はどの家のものだろうと
「近所の子供達が縁側にやって来て
 どんどん盗んで食べてよし」という
変わった風習が全国各地にあったそうです。
 
子供は月からの使いと見なされていたことから、
お供え物が全部なくなる方が縁起が良いと
考えられていたようです。
 
秋の実りはその家だけで独り占めせず、
分かち合おうとする昔の知恵のようです。
 

月を飲む

江戸時代の吉原では、
「十五夜」の月を酒を注いだ杯に映して
飲んだそうです。
そうすると寿命が延びるのだとか。
どうしても手が動いてしまうので
水面が波立ち、
丸い月を移すことは難しいのですが、
月の光を飲み干すと、
何となく不思議な力が宿るような気がするのだ
そうです。
 

「十五夜」の別名

1年で最も美しいとされる「十五夜」には、
古来から、この日を中心に
「月」を様々な呼び名で呼んできました。
 
三五夜(さんごや)
「三五夜」(さんごや)とは、
三×五で「十五夜」という言葉遊びです。
 
唐の詩人・白楽天(白居易)が、
遠方の地に左遷された親友の元稹(げんしん)を思って詠んだ漢詩、
「三五夜中の新月の色、二千里の外の故人の心」から引用されたものです。
遠く二千里の彼方にいる君(元稹)は、
「自分が見ているのと同じこの月を
 どんな思いで見ているのだろうか」
という意味です。
 
『平家物語』には、
「三五夜の中の新月白くさえ」という
一文があります。
「十五夜の夜中に昇り始めた月は
 白く冴えている」という意味です。
 
名月(めいげつ)
「十五夜の月」または「旧暦9月13日の夜の月」(十三夜)のこと。秋たけなわ、虫の声も庭の花も草の露も、揃って陰影に富んだ趣きを月に添える。日本人の美意識の基層にある景色だろう。
 
明月(めいげつ)
曇りなく澄み渡った満月のこと。
または「名月」の意味でも用いられています。中国では満月の頃の月は全て「明月」と称する。
 
初名月(はつめいげつ)
陰暦8月15日の夜の月「十五夜」のこと。
9月13日の「後の月」(のちのつき)に対して
こう言います。
 
芋名月(いもめいげつ)
陰暦8月15日の夜の月「十五夜」のこと。
月に団子、ススキなどの他、
里芋の子芋を皮付きで茹でた
「衣被」(きぬかつぎ)を供えるところから、
このように呼ばれるようになりました。
 
「お月見」は、豊作を祝う行事でもあります。
主に東北の各地で秋の収穫を祝い、
里芋の入った鍋料理を頂く「芋煮会」が行われます。
 
皓月(こうげつ)
「皓」は白く光る様。
白光を放っている月、
明るく照り輝く月という意味です。
 
郎月(ろうげつ)
明るく澄み渡った月、「明月」のこと。
旧暦8月15日の十五夜の月のこと。
 
佳月(かげつ)
見惚れるような月のこと。
 
今日の月(きょうのつき)
十五夜の月のこと。
一年の中でまさにこの夜の月という意味。
 
最中の月(もなかのつき)
「最中」は真ん中、中心という意味で、
「最中の月」はちょうど
「十五夜」の満月のことです。
和菓子の「最中」はこの月をイメージして、
まん丸く作られました。
 
『最中』という名前の起源は、
今から約1,200年前の平安時代まで遡ります。
三十六歌仙の一人、源順(みなもとのしたごう)
宮中の月見の宴で出された白い丸餅の菓子が
「中秋の名月」に似ていたことから、
次のような和歌を詠みました。
 
水の面に 照る月なみを かぞふれば
今宵ぞ秋の 最中(もなか)なりける

 池の水面に映る月が美しいと感じるのは、
 「最中の月」だから

『拾遺和歌集』より
 
 
それから約1,000年後の江戸時代。
江戸吉原の煎餅屋「竹村伊勢」が
現在の「最中」の起源とも呼べる菓子に
上句に因んだ名前「最中の月」をつけて
売り出しました。
この「最中の月」は、
もち米粉から出来た煎餅に
砂糖をまぶしたもので
現在の最中の皮に近いもので、
あんを挟んだものではありませんでした。
 
その後「最中の月」にあんを挟んだ
「最中饅頭」が様々な和菓子屋で売り出され、
これが略され「最中」として定着したと
言われています。
 
望月(もちづき)
「望」は月が満ちることで、
転じて何の不足もなく満ち足りた様、
非の打ちどころのない美しさを形容する言葉となりました。
 
「望月」は、「満ち月」の母音が変化して
「もちづき」という読みになったという説、
釣り合うという意味の「もち」に
「望」という字が当てられたという説
などがあります。
 
月夕(げっせき)
月の明るい夜のこと。
特に陰暦八月十五日の夜を言います。
 
良夜(りょうや)
秋の月が皓々(こうこう)と照る美しい夜のこと。
主に「十五夜」または「十三夜」にも
用いられます。
 
北宋の文人で、唐宋八大家と呼ばれた
蘇東坡(そとうば)は、
『後赤壁賦』(ごせきへきのふ)の中で、
「月白く風清し。この良夜を如何せん」と
詠まれているように、
「良夜」(りょうや)とは、元々月があまねく光り、
清明な夜のことを言います。
 
また、兼好法師は『徒然草』の中で、
「八月十五日、九月十三日は婁宿(ろうしゅく)なり、
 この宿、清明なるゆえに、月を翫(もてあそ)ぶに
 良夜(りょうや)とす」という一節から、
俳句では特に「中秋の名月(十五夜)」と
「後の月(十三夜)」それぞれの夜ことを
指すようになりました。
 
また、夜が明けるのが惜しいと思うような
素晴らしい夜のことを
「可惜夜」(あたらよ)とも言います。
 
薄月(うすづき)
秋の月は、澄んだ空にくっきりと輝いて
見えるというイメージがありますが、
薄雲がかかる時もあります。
薄い雲がかかり、
ぼんやりと照る月を「薄月」と言い、
月光がほのかに差す夜のことを「薄月夜」と
言います。
同じくぼんやりと見える月である
「朧月」や「淡月」は春の月を指す季語です。
 
無月(むげつ)
旧暦8月15日の夜、
十五夜の月が厚い雲や霧に鎖(とざ)されて、
見えないけれども、
月の辺りが心なしか明るんでいる時、
名月を偲ぶ心から出たもの。
 
雨月(うげつ)/雨名月(あめめいげつ)/
「雨夜の月」(あまよのつき)
「十五夜」というのに、
雨が降って、折角の名月が眺められず、
残念に思う気持ちを表した言葉です。
 
しかし『徒然草』の中で兼好法師は、
次のように言って、
日本人の美意識の有り様を示しています。
 
 花は盛りに、月は隈なきをのみ
 見るものかは。
 雨に向かひて月を恋ひ、
 垂れ込めて春の行方知らぬも、
 なほあはれに情け深し。
 咲きぬべきほどの梢、
 散りしをれたる庭などこそ
 見どころ多けれ。

<意訳>
 (春の桜の) 花は真っ盛りなのを、
 (秋の) 月はかげりなく輝いているものだけを
 見るものだろうか(いや、そうではない)。
 雨に向かって(見えない)月を恋しく思い、
 簾を垂らした部屋に閉じこもって
 春の過ぎゆくのを知らないでいるのも、
 やはりしみじみと感じられて趣が深い。
 (きっと今にも)咲きそうな梢や、
 散って萎れている庭などこそが見所が多い。