9月5日は「国民栄誉賞の日」です。
「国民栄誉賞」とは
内閣総理大臣表彰の一つです。
昭和52(1977)8月30日に、
プロ野球の王貞治選手を表彰するために
当時の福田赳夫内閣総理大臣の決裁により
設けられました。
国民栄誉賞表彰規程
「国民栄誉賞」は、「国民栄誉賞表彰規程」に
従って運用されています。
「国民栄誉賞表彰規程」
1 目的
この表彰は、広く国民に敬愛され、
社会に明るい希望を与えることに
顕著な業績があったものについて、
その栄誉を讃えることを目的とする。
2 表彰者
内閣総理大臣
3 表彰の対象
内閣総理大臣が本表彰の目的に照らして
表彰することを適当と認めるものに対し
て行う。
4 表彰の方法
表彰は、国民栄誉賞を授与して行う。
国民栄誉賞は、表彰状及び盾とする。
表彰に当たっては、記念品又は金一封を
添えることができる。
5 表彰の時期
表彰は、随時行う。
6 表彰の事務
表彰に関する事務は、内閣府大臣官房に
おいて行う。
昭和41(1966)年に当時の首相・佐藤栄作によって
「内閣総理大臣顕彰」が創設されていましたが、
表彰範囲が定められており、
スポーツ選手などは賞されなかったため、
「国民栄誉賞」が創設されたのです。
なお「国民栄誉賞」の制定後は、事実上、
「内閣総理大臣顕彰」は「国民栄誉賞」の
下位に位置づけられています。
「内閣総理大臣顕彰」の表彰の対象
- 国の重要施策の遂行に貢献したもの
- 災害の防止及び災害救助に貢献したもの
- 道義の高揚に貢献したもの
- 学術及び文化の振興に貢献したもの
- 社会の福祉増進に貢献したもの
- 公共的な事業の完成に貢献したもの
表彰者
「国民栄誉賞」を検討する際には、
本人(故人の場合は関係者)へ打診が行われ、
受賞の意思が確認されてから、手続きが開始されます。
<参考>国民栄誉賞 辞退者一覧
1.福本豊 |
昭和58(1983)年/中曽根康弘 通算939盗塁で当時の世界記録を達成 「そんなんもろたら立ちションもでけへんようになる」として辞退 |
2.古関裕而 (作曲家) |
平成元(1989)年/海部俊樹 「古関メロディー」作曲による実績 没後に受賞内定したが遺族が辞退 古関の長男は辞退の理由として「元気に活動している時ならともかく亡くなった後に授与することに意味があるのか」と没後追贈に疑問を持ったとした |
3.イチロー (プロ野球選手) |
平成13(2001)年/小泉純一郎 メジャーリーグで、日本人選手史上初、首位打者・盗塁王の2冠を獲得し、新人賞・MVPを受賞 「まだ若いので、出来れば辞退したい。いただけるものなら、野球人生が終わった時にいただけるよう頑張りたい」と固辞 |
平成16(2004)年/小泉純一郎 メジャーリーグのシーズン最多安打記録を更新 野球を続けている間は受け取らない意志を示し再度固辞 |
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令和元(2019)年3月/安倍晋三 現役引退したことを受け政府が再々度打診 代理人を通して「人生の幕を下ろした時にいただけるよう励みます」とコメント |
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令和元(2019)年11月/安倍晋三 安倍晋三との会食の際に4度目の打診 本人が固辞 |
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4.大谷翔平 (プロ野球選手) |
令和3(2021)年11/22/岸田文雄 イチロー以来2人目となるメジャーリーグでMVPを獲得 「まだ早いので今回は辞退したい」として固辞 |
表彰の方法
受賞者には、表彰状と盾の他、
「記念品又は金一封」が贈られます。
「記念品又は金一封」と規程にはありますが、
過去に「金一封」を贈呈したことはなく、
全て記念品の贈呈となっています。
なお「金一封」の具体的な金額は
公表されていません。
記念品の多くは銀製品や時計ですが、
「常識の範囲内」で
本人が希望するものが貰えます。
なお「記念品又は金一封」は、
辞退することも出来ます。
平成30(2018)年に受賞した羽生結弦さんは、
「記念品又は金一封」を辞退しています。
「皆さまとともに取れた賞」
という気持ちがあるため、
個人の気持ちを出したくないというのが
辞退の理由でした。
国民栄誉賞受賞一覧
これまで、スポーツ選手だけでなく、
作曲家や冒険家、歌手など、
様々な分野で偉業を成し遂げた人に
贈られています。
27人の方、1つの団体が受賞しています。
「国民栄誉賞」の日制定
9月5日は「国民栄誉賞の日」です。
昭和52(1977)年9月5日、
プロ野球の読売巨人軍の王貞治選手が
日本初の「国民栄誉賞」を受賞したことに
由来しています。
巨人の王貞治選手は同年9月3日、後楽園球場で
通算756号ホームランを打ち、
それまで米大リーグのハンク・アーロンが
持っていた世界最高記録を更新しました。
王選手のホームラン世界記録更新は
早くから確実視されていましたが、
当時、現役のプロスポーツ選手を
政府が表彰する制度がなかったために、
当時の福田赳夫首相が「国民栄誉賞」を創設し、
8月に運用規定をまとめたのでした。
王選手はその後、
ホームラン数の記録を868本まで伸ばし、
昭和55(1980)年に選手を引退しました。
監督としてもプロ野球の発展に力を尽くし、
今でもプロ野球界の重鎮として、
活躍されています。
平成22(2010)年)には文化功労者として
顕彰されました。
なお、王さんが世界記録を塗り替えた
9月3日は「ホームラン記念日」と
なっています。