
11月13日の今日は「うるしの日」です。
「日本漆工芸協会」が昭和60(1985)年に
制定しました。
うるしの日
日本では、漆の利用は非常に古くからあり、
既に縄文時代には
漆を利用する文化が発達しており、
漆を道具や装飾品に塗布し
接着剤や防水性を高めるために
利用していました。
ただ、第55代文徳天皇 (もんとくてんのう) の
第一皇子・惟喬親王 (これたかしんのう) は、
「漆の製法」「漆器の製造法」が
未だ完全でないのを憂慮されて、
京都嵐山にある「虚空蔵法輪寺」に参籠されて
その満願の日に
本尊・虚空蔵菩薩より「漆」(うるし) の製法を
御伝授、御教示を受けて完成し、
日本国中に広めたと言い伝えられています。
これに因んで、参籠の満願の日の
11月13日を「うるしの日」と定め、
京都嵐山の「虚空蔵法輪寺」には、
全国の漆職人や関係者が参拝に訪れ、
漆技術の上達祈願法要が営まれます。
そして法要後、茂山忠三郎社中による
狂言奉納が行われます。
法輪寺の石碑には次のように刻されています。
「惟喬親王が当寺に参籠され、
本尊虚空蔵菩薩より、
うるしの製法と漆塗りの技法を御伝授されて
完成し、日本国中に広められました。
その参籠満願の日が11月13日といわれており、
漆業関係者は当日をうるしの日と定め
毎年、お詣りして漆業の発展を祈願しています。
このように虚空蔵法輪寺は
うるしにゆかりの深いお寺です」
また明治神宮では「うるしの日」を記念して、
漆器奉納、漆苗木の授与、漆工功労者などの
表彰式など、諸行事が実施されるなど、
日本中にある各産地では
「うるしの日」に因んだ事業が開催されて
います。
嵐山 虚空蔵法輪寺
京都嵐山の中腹に建つ寺院
「虚空蔵法輪寺」 (こくうぞうほうりんじ) は、
知恵を司る虚空蔵菩薩 (こくうぞうぼさつ) を
御本尊とするお寺です。
「法輪寺」は、およそ1300年前の和銅6(713)年に
元明天皇の勅願により行基が創建
(「木上山葛井寺」)したのが始まりです。
清和天皇の貞観10(868)年に
空海の弟子・道昌 (どうしょう) が
ここに自ら彫った「虚空蔵菩薩」を
安置しました。
そしてその直後、「葛井寺」から「法輪寺」に
改められました。
「虚空蔵菩薩」は記憶力を増進する仏で、
僅か9歳で即位した清和天皇は
数え年13歳になった折、法輪寺で
成人の儀式を行ったことを端緒として、
法輪寺の虚空蔵菩薩に詣でて
智恵を授けていただく
「十三詣」が行われるようになりました。
道昌僧正は承和年間(834-847)勅願によって
大堰川を修築し、橋を架けました。
この橋が後に「法輪寺橋」と呼ばれ、
更に亀山上皇がこの橋を見て
「くまなき月の渡るに似たり」として
「渡月橋」と命名されたと言います。
また清和天皇は「法輪寺」に廃針を納めた
「針堂」を建立したことから
毎年2月8日と12月8日に
「針供養」が行われるようになりました。
なお「法輪寺」において
「針供養法要」が行われる際には、
皇室から下賜された御針も納められる
そうです。
惟喬親王(これたかしんのう)
惟喬親王 (これたかしんのう) には、
数々の伝説やゆかりの地が現存しています。
惟喬親王の御生涯
第55代文徳天皇 (もんとくてんのう) の
第1皇子として生まれました。
母親の紀静子 (きのしずこ) は、紀氏出身で、
三条町 (さんじょうのまち) と呼ばれ、
『古今集』に歌を一首を残しています。
思ひせく 心の内の滝なれや
落つとは見れど 音のきこえぬ
落つとは見れど 音のきこえぬ
この滝は、思いを堰き止めている
心の中の滝なのでしょうか。
流れ落ちているとは見えるけれども、
音は聞えません。
そのように私は、陛下への強い恋心を、
声にもたてずに堪えているのです。
文徳天皇は第一皇子であり幼少より聡明だった惟喬親王を皇太子にしたいと考えていましたが、
時の権力者、藤原良房の娘・明子 (あきらけいこ) が
第4皇子の惟仁親王 (これひとしんのう) を産むと、
紀氏出身で後ろ盾を持たない惟喬親王は
継承争いに敗れて、
惟仁親王が9歳で清和天皇 (せいわてんのう) に
即位した天安2(858)年に、
大宰権帥 (だざいのごんのそち) となって以降、
弾正尹・常陸太守・上野太守などを
歴任していくことになりました。
貞観14(872)年、29歳の時に
病を理由に出家して素覚 (そかく) と号し、
比叡山麓の山城国愛宕郷小野に隠棲し、
詩歌の世界に没入していきました。
在原業平や遍昭、伯父の紀有常ら
歌人と交流し、度々詩歌の宴を催しました。
その後、寛平9(897)年、54歳で薨去しました。
『古今集』に二首、『新古今集』
『続後拾遺集』『新千載集』に各一首
残しています。
桜花散らば散らなむ散らずとて
ふるさと人の来ても見なくに
ふるさと人の来ても見なくに
桜の花よ、散るなら散るがいい。
散らずに残っていたところで、
郷里の人が見に来てくれる訳でも
ないのに。
白雲の 絶えず棚引く 峰にだに
住めば住みぬる世にこそありけれ
住めば住みぬる世にこそありけれ
白雲が絶えず棚引いている峰でさえ、
住んでみれば住んでしまえる、
そんな世の中であったのだ。
夢かとも 何か思はむ 憂き世をば
そむ飾りけむほどぞくやしき
そむ飾りけむほどぞくやしき
どうして夢かなどと思いましょうか。
憂き世を出離しなかった頃こそ
悔やまれてなりません。
入る月に照りかはるべき紅葉さへ
かねて嵐の山ぞさびしき
かねて嵐の山ぞさびしき
沈む月に代って夜を照らすべき紅葉さえ、
既に嵐に吹き払われて残っていない山
――なんと索漠としていることよ。
漆祖神
漆祖神・惟喬親王 (これたかしんのう) が虚空蔵
故事により、
京都嵐山にある「虚空蔵法輪寺」は、
「漆寺」(うるしでら) とも通称されて、
塗師の信仰を集めています。
そして11月13日の縁日は
「漆の日」「漆祭り」「お火焚祭り」と言い、
惟喬親王に対する報恩講を設けて、
御供養が行われています。
因みに、塗りの下地に使う漆のことを
「こくそ漆」と呼びますが、
これは「虚空蔵」から来ているという
説があります。
「こくそ」とは、漆に木粉や繊維屑などを
混ぜてペースト状にしたものです。
漆工芸で、器の欠けや隙間、接合部の補修、
仏像の肉付けなどに使われるパテのような
役割を果たします。
漢字表記には「木屎」「木糞」「粉糞」「刻苧」
があります。
木地師の祖神
惟喬親王は、轆轤 (ろくろ) を使って
木工品を作る「木地師 (きじし) の祖」である
という伝説があります。
近江国小椋谷 (おぐらだに) に隠棲された
惟喬親王は、ある日、
転がり広がるお経の巻物と、
池の水面で回転するドングリの帽子を見て、
轆轤を回して椀を作ることを思いつかれたと
言います。
早速、親王は轆轤の技術を地元の人々に伝え、
そこから日本全国に広まったというものです。惟喬親王と木地師の伝承は日本各地にあり、
惟喬親王は中世以降今でも
地元の人々や全国の木地師達から
信仰されています。
歌舞伎の演目
歌舞伎の演目の中に登場したりと、
何かと逸話が多く残る興味深い人物です。
・競伊勢物語(だてくらべいせものがたり)
・倭仮名在原系図(やまとがなありわらけいず)
・平家物語 名虎の章
・井筒業平河内通(いづつなりひらかわちがよい)
世界最古の漆(うるし)
かつて、漆の文化は大陸から渡って来たと
言われていましたが、
縄文遺跡の発掘、高度な技術の出土品、
ウルシの木のDNA分析などにより、
昨今では、日本の風土の中で培われ、
育まれてきたという説が有力となっています。
漆は英語で「JAPAN」と言われるように、
漆工芸は日本が世界に誇る「木の文化」です。
漆は縄文時代から使われていて、
世界最古の漆は、
北海道函館市の「垣ノ島B遺跡」から出土した
縄文時代早期の約9千年前の漆糸製品です。
また福井県の「鳥浜貝塚」からは
それ以前の約12,600年前のウルシの木材(枝)、
青森県八戸市の「是川遺跡」から出土した
約3千年前の漆製品は、
その精巧な技術や当時の文化を知る上で
重要な「縄文の美」を示すものとして
価値があります。
漆塗りのお椀で
ご飯をいただく記念日
日本漆器協同組合連合会では、11月10日を
「漆塗りのお椀でご飯をいただく記念日」
(めしまりの日)と制定しました。
11月10日(1,1,1,0)は
One(椀)、One、One、マリの日。
伝統的な和食では一般的だった
一汁一菜で必要な
お椀(マリ)三個の語呂合わせ…だそうです!
