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コツコツと

針供養(はりくよう)

 
昔から日本人は道具にも命と魂が宿ると信じ、
その一つ一つを大切にしてきました。
「針供養」(はりくよう)
そんな心持ちによって生まれた行事で、
折れたり、錆びたり、曲がったりして
使えなくなった針に感謝し、
供養することで裁縫の上達を願います。
 
「針供養」(はりくよう)は、
「淡島神社」(粟島神社)または
「淡島神」を祀る堂(淡島堂・粟島堂)のある
寺院で行われています。
 
 

針供養の起源

 
「針供養」の起源について定説はありませんが
農業神を迎えるに当たり、
その物忌みの日に針仕事が慎まれ、
身近な生活道具に感謝を込める風習へと
派生していったようです。
 
平安時代には、貴族の間で行われるように
なったと考えられています。
 

 
「針供養」が女性達の年中行事となったのは、
江戸時代の初期。
淡嶋神社(和歌山県)のご利益を伝えるために
「淡島信仰」を全国に伝えるために
各地を放浪した「淡島願人」(あわしまがんじん)と呼ばれる遊行者が、
針を供養する風習を広めたと言われています。
 
淡嶋神社は、和歌山市の郊外にある景勝地、
加太の浦(かだのうら)にあります。
淡嶋神社は女性に縁が深い神社として知られ、
淡島信仰の本社とされています。
毎年2月8日の祭典には、関西周辺から
持ち込まれた20万本もの針が本殿に並べられ、
「針納式」(はりおさめしき)という
供養が行われます。
 
ご祭神は医薬の祖であり、
酒造や農事の神としても崇拝される
「少彦名命」(すくなひこなのみこと)
諸病を癒し、殊に女性の病気平癒に
御利益があると言われています。
少彦名命は人々に針の使い方を広め、
裁縫の技術を伝授したと言われ、
針は神様から授かった大切な物なので、
古い針といって粗末に扱ってはならず、
神様の手許に返して供養したのが
神事の由緒とされています。
 
また別の説では、「婆利才女」(はりさいにょ)
いう女性神のご祭神を
針に付会させたというものです。
この由来は、
淡島願人(あわしまがんじん)によって唱導され、
女性救済の性格を色濃くしながら広まっていきました。
 
 

「針供養」のやり方

2月8日もしくは12月8日と地域によって
行われる日は異なってきます。
針を労う習わしですから、
この日の針仕事はお休み。
 
折れたり曲がったりした針を
豆腐やこんにゃくに刺し、
寺や神社で供養してもらいます。
 
自宅で供養した場合は、
豆腐に刺した針を神棚に上げて拝んだ後、
豆腐やこんにゃくに刺した針は
いつか錆びて土に帰るので、
縁の下に放ったり、川や海に流したり、
土に埋めて供養する地域があるそうです。
 
豆腐やこんにゃくに針を刺す理由

固い布地を貫き続けてくれたからこそ、
役目を終えた後は
軟らかな寝床で安らかにという心遣いです。
ともすれば、気軽に道具を使い捨てることに
慣れがちな私達。
物への感謝を改めて教えてくれる行事としても
受け継いでいきたいですね。
 
針を神様の元に返した後

 
「針供養」を終えた後は、
手元にある針箱や裁縫道具の手入れを行って
裁縫上達を願いました。
 

 
裁縫箱の中は、意外に湿気が溜まっている
ものです。
錆の原因にもなりますので、
道具を全て取り出し、風に当てましょう。
少しくたびれてきたけれど、
まだ使える針はメンテナンスをしましょう。
針磨きを行えば、針の通りは復活します。
ミシンは釜に溜まった糸くずや埃を
取り除きましょう。
 

 
 

針供養を行っている代表的な社寺

[東日本]
 
[西日本]
 
 
全国には、様々な「針供養」の風習が
あるようです。
山梨県甲府では、この日にコンニャクと
風呂吹き大根を頂くそうです。
長崎県の対馬では、
針を紙に包んで一日休ませます。
鹿児島県では、コンニャクと豆腐を
三方に載せて針を刺すそうです。
山口県の萩では、庚申の日に古針を集めて
海に流します。
石川県でも、裁縫が上手になりますようにと、
女の子が夜にあん入りの餅を焼くそうです。
 

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