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えんぶり


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「えんぶり」は、例年2月17日から20日、
青森県八戸市周辺で行われている
豊作を祈る田植えの踊りの行事です。
 
 

「えんぶり」について

 
「八戸えんぶり」は、
青森県八戸市とその周辺地域で
例年「旧小正月」辺りの
2月17日から20日までの4日間に渡り開催される
冬の風物詩です。
 
約800年以上伝えられてきたとされる
その年の豊作を祈願するためのお祭りで、
この「えんぶり」が終わると
八戸地方にも春がやって来ると言われています。
 
えんぶりの起源
「えんぶり」は、鎌倉時代の始め
南部氏の祖・南部光行(なんぶみつゆき)
奥州の地にやって来て初めて迎えた正月に、
酒の勢いで抜刀乱舞となった家来達の騒ぎを、
機転を利かせた藤九郎(とうくろう)という農民が
賑やかに田植歌を歌いながら
農具を手に持って踊ることで治めたことに
始まると言われています。
 
えんぶりの語源
「えんぶり」の語源は、
田をならす農具「朳」(えぶり)
烏帽子を被る太夫の舞は「摺り」(すり)と呼ばれ、
朳で田んぼをならすように摺ることに由来し、
冬の間眠っている田の神を揺さぶり起こし、
田に魂を込める儀式とされています。
 
「朳」(えぶり)
長い柄の先に横板のついた鍬のような
形のもので、水田の土をならしたり、
穀物の実などをかき集めたりするのに
用いるものです。
 
えんぶりの歴史
かつて北東北の太平洋側は、海から吹く季節風
「やませ」によって夏でも冷涼な環境となり、
稲作に適していませんでした。
幾度も冷害や凶作に見舞われ、
その度に大飢饉に見舞われた八戸では、
稲作への強い思いと期待によって
独自の「えんぶり」へと昇華されました。
村落毎に「えんぶり組」が生まれ、最盛期には、
100組以上あったとも言われています。
 
ところが明治9年、
「えんぶり」がいかがわしい習慣であるとして
「えんぶり禁止令」が出されてしまいます。
 
南部地方の習慣にて、えんぶり踊りととなえ、
鉦太鼓三絃等を以って囃たて、異形の姿にして
横行し、或は人家に立ち入り、金銭米穀を
貰い受けているとのこと、不届きである。
これはご維新以降定められた太陽暦を守らず、
なお旧来の陰暦により、斯る醜態を醸しおこる
ことなれば、自今旧来のえんぶり踊りを厳禁せ
しむるものである。心得違いの者これなきよう、
この旨を伝達致すものである
正部家種康著『みちのく南部八百年 地の巻』より
 
-要約-
 おかしな姿をして人の家に入って行ったり、
 金銭や米などをもらうなんてとんでもない
 習慣がある。
 しかもご維新以降定められた太陽暦を守らず、
 旧暦にこのような醜態を起こすなら、
 以後、えんぶり踊りは厳禁する。
 
「えんぶり」が禁止されると、
郊外の農民達は冬の楽しみを失い、
町も閑散として活気がなくなってしまいました。
 
そこで明治14(1881)年、
八戸藩の侍だった大澤多門らは、
長者山新羅神社の例祭として
「豊年祭」という形で復活を遂げました。
 
ただ復活後も、何度も中止に追い込まれました。
・明治30(1897)年:英照皇太后(明治天皇母)崩御
・明治31(1898)年:赤痢・天然痘の流行
・明治32(1899)年:赤痢・天然痘の流行
・明治35(1902)年:八甲田雪中行軍の遭難事故
・明治36(1903)年:冷害
・明治37(1903)年:冷害
・昭和  2(1927)年:大正天皇の崩御
・令和  3(2021)年:新型コロナウイルスの流行
 
近年では令和3(2021)、4(2022)年は、
コロナ禍により中止となりました。
それでも令和5(2023)年2月17日、
3年ぶりの再開となった「えんぶり」の朝は、
冬の八戸とは思えないほど青く晴れ渡り、
中心街の目抜通りで行われた「一斉摺り」では、
あらゆる世代の人々が沿道を埋め尽くしました。
 
えんぶりの特徴
 
「えんぶり」は豊作祈願の祭りですが、
「豊作にして下さい」という祈りではなく、
「豊作になった、めでたい」と
前祝いする「予祝」なのが特徴です。
 
「太夫」(たゆう)と呼ばれる舞手が、
馬の頭を象った華やかな「烏帽子」をかぶり、
頭を大きく振る独特の舞が特徴です。
「えんぶり」の踊りは稲作の一連の動作、
苗作り、田植え、草取り、稲刈りなどを経て、
大地主の旦那様に米俵を納めるまでの
一連の動作を表現したと言われています。
 
「えんぶり」が行われる2月中旬といえば、
青澱兼八戸地方で最も寒さが厳しい頃で、
最高気温でさえ氷点下という日も
めずらしくありません。
そんな寒空の下にも関わらず懸命に舞う姿や、
子供達の笑顔を見ると、
自然と涙が溢れるという人もいます。
 

「えんぶり」の行事日程

現在「八戸地方えんぶり連合協議会」には、
「子供えんぶり組」を含め、
39組登録されています。
そのうち、「八戸えんぶり」には
およそ30組が参加しています。
組は烏帽子の舞い手の太夫、囃子方、歌い手、
旗持ちなど、15~30人からなっています。
 
初日の2月17日の午前中には、
まず30組を超えるによる、
長者山新羅神社への「奉納」から始まります。
 
「奉納」を終えると八戸市中心街まで練り歩き、
八戸の中心街で30組の「えんぶり組」が
一斉に舞を披露する
「一斉摺り」(いっせいずり)が行われます。
 
それから八戸市庁本館前市民広場で開催される
「御前えんぶり」や「えんぶり一般公開」、「かがり火えんぶり」の他、
八戸市公会堂での「えんぶり公演」[有料]や、
国の有形登録文化財に登録されている
明治期に建てられた豪商の旧家
更上閣(こうじょうかく)での
「お庭えんぶり」[有料] などがあります。
 
また2月17日から4日間、
八戸市内の商店や民家などの前では、
摺りや舞を披露する、
「えんぶり組」による門付けが行われます。
 
屋台村「みろく横丁」などにもやって来るので
お酒を飲みながら門付けの様子を観るのも
楽しみのひとつです。
 
 
輪に銭(ぜに)に模した金属が付いた
銭太鼓を持って回しながら舞う
「えんこえんこ」や、
恵比寿さまが鯛を釣る様子を表現した
「えびす舞」などの演目を通して、
観客を楽しませてくれます。
 

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