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七十二候「橘始黄」(たちばなはじめてきばむ)

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「たちばなはじめてきばむ」
と読みます。
 
 

橘始黄
(たちばなはじめてきばむ)

「橘始黄」(たちばなはじめてきばむ) は、
橘の実が次第に黄色く色づく頃という
意味です。
古くは柑橘類を総称して
「橘」(たちばな) と言っていました。
 
冬でも青々とした常緑の葉を繁らせることや
黄金に輝く実をつけることから、
「永遠」「長寿」「繁栄」の象徴とされ、
大変縁起の良い樹木とされてきました。
 
京都御所の紫宸殿 (ししんでん) 前にある
「左近の桜、右近の橘」や、
それに倣った雛祭の雛壇に
飾られることで知られる他、
文化勲章や500円硬貨のデザインや、
「橘紋」という家紋にもされています。
 
 

大和橘(やまとたちばな)

 
この「橘」とは、日本に古くから野生している
日本固有の原種の「大和橘」(やまとたちばな)
こととであり、最古の柑橘と言われています。
 
準絶滅危惧種に認定されていて、
萩市に自生しているものは
「国の天然記念物」になっています。
 
 
数年前より奈良の地にて植樹・育成が進められ、
他にない奥ゆかしい香りと清冽な酸味・苦味が
料理人の間でジワジワと認知されつつあります。
 
 
「大和橘」には、ビタミン類だけでなく、
柑橘系の植物に多く含まれる
フラボノイドの一種である
ノビレチン、タンゲレチンなどの
機能性成分も豊富に含有されることが
判明しています。
 
 

田道間守(たじまもり)

  • 『日本書紀』:田道間守
  • 『古事記』 :多遅摩毛理、多遅麻毛理
 
田道間守は、『古事記』『日本書紀』に伝わる
柑橘の祖神であり、お菓子の神様です。
生誕地は兵庫県豊岡市とされ、
中嶋神社のご祭神として祀られています。
 
非時香実
(ときじくのかくのみ)


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田道間守は、常世国 (とこよのくに) という
不老不死の理想郷から
不老不死の力を持つと言われる
「非時香実」(ときじくのかくのみ)
持ち帰ったと伝えられています。
この「非時香実」(ときじくのかくのみ)
「橘」と言われているのです。
 
遠い昔(西暦60年頃)、
田道間守は第十一代垂仁天皇の命を受け、
遠い海の向こう「常世国」にあるという
「非時香菓」(ときじくのかくのみ)を探す旅に
出ました。
 
「非時香菓」(ときじくのかくのみ)とは一年中実り、
芳香を放つ果実の意味で、今の「橘」と言われて
います。
 
当時日本に「非時香菓」(ときじくのかくのみ)はなく、
食べると歳をとらずに、長生きが出来ると
考えられていました。  
 
田道間守は幾多の困難を乗り越え、
十年の歳月をかけてやっと「非時香菓」を
見つけました。
 
大喜びで「非時香菓」を持ち帰りましたが、
その一年程前に、九年もの間、田道間守を案じていた垂仁天皇は崩御されていました。
そのため「橘」には、「九年母」(くねんぼ)という
別名を持ちます。
 
田道間守は持ち帰った「非時香菓」の半分を
皇太后に献上すると、垂仁天皇の御陵に詣で、
帰国の遅れたお詫びと約束を果たしたことを
報告し、もう半分を墓前に捧げて、
その場を去らずに、絶食数日後、殉死したと
伝えられています。
 
なお、奈良県奈良市尼ヶ辻町にある
「垂仁天皇陵」には、田道間守の墓と
伝えられる小さな陪塚 (ばいちょう) があります。
 
 
その後、この「橘」の実は品種改良され、
「ミカン」として全国の人々が食べられるようになりました。
 
お菓子の神様(菓祖)
また、現代のように
砂糖などを口に出来なかった昔は、
果物は「果子・かし」と呼ばれ、
中でも、聖武天皇が
「橘は菓子の長上、人の好むところ」
と言われたことからも分かる通り、
橘は果子の最上級品とされていたことから、
田道間守はお菓子の神様(菓祖)として
崇敬されています。
 
中嶋神社(なかしまじんじゃ)
豊岡市には、田道間守を祀った神社
中嶋神社(なかしまじんじゃ)があります。
第33代 推古天皇の御代(七世紀前半)に
建てられたとされていて、
ここには、田道間守が持ち帰った橘の実も
祀られています。
 
神社の名前は、「田道間守」のお墓が
垂仁天皇陵の濠の中に、
島のように浮かんでいることに由来すると
言われています。
 
室町時代に建立された本殿は
「二間社流造」(にけんしゃながれづくり)という
珍しい様式の建物で、
室町時代の典型的な神社建築を伝える
ものです。
明治45(1912)年に国宝に指定され、
現在は国の重要文化財となっています。
 
中嶋神社では、
毎年4月に例祭(菓子祭)が行われ、
全国の製菓業者が多数参列して、
田道間守に感謝し、
菓子業界の繁栄を祈願しています。
 
橘本神社(きつもとじんじゃ)
和歌山県海南市下津町にある
橘本神社(きつもとじんじゃ)
田道間守 (たじまもり) をお祀りする神社です。
 
橘を持ち帰った田道間守が
垂仁天皇の墓に捧げた橘を
日本で最初に移植した丘です。
植えられた本数が6本だったことから、
六本樹の丘(ろっぽんじゅのおか) と
名付けられました。
 
この橘が改良されて
多くの人々に食べられる果物となったから、
「みかん発祥の地」と言われています。
 
10月には例大祭・みかん祭りを盛大に行い、
県内外の柑橘業者、果物業者が参拝され、
渡御、獅子舞、投餅などが行われています。
 
 
文部省唱歌「田道間守」


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   ♫ 田道間守
   [国民学校芸能科音楽(初等科音楽一)]
1.かおりも高い たちばなを
  積んだお船が いま帰る
  君の仰せを かしこみて
  万里の海を まっしぐら
  いま帰る 田道間守 田道間守
 
2.おわさぬ君の みささぎに
  泣いて帰らぬ まごころよ
  遠い国から 積んで来た
  花たちばなの 香とともに
  名はかおる 田道間守 田道間守   
 

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