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4月19日「まんじゅう祭」

 

奈良市にある林神社では、毎年4月19日、
日本で初めて饅頭を作ったとされる
菓祖神・林浄因の遺徳を偲ぶと同時に、
菓業界の繁栄を祈願するため
全国の菓子業者が集まり多数の饅頭が献上され、
「まんじゅう祭」が開催されます。
 
 

菓祖神・林浄因

奈良県奈良市の中心部に鎮座する
「漢國神社」(かんごうじんじゃ)の境内社である
「林神社」(りんじんじゃ)は、日本で唯一の
お饅頭の神社として知られています。
御祭神は、林浄因(りんじょういん)
田道間守(たじまもり)です。
 
田道間守
記紀によれば、田道間守は、第11代垂仁天皇の命により、常世の国から「非時香菓」(ときじくのかぐのみ)を10年かけて持ち帰るものの、
その時既に、天皇は崩じていました。
田道間守は悲嘆のあまり、天皇の陵に参って
泣き叫んで死んだと伝えられています。
その時に持ち帰った非時香菓が今で言う「橘の実」で、その実は品種改良されミカンとして全国の人々が食べられるようになりました。
昔、果物は「果子・かし」と呼ばれ、橘は果子の最上級品とされていたことから、田道間守はお菓子の神様(菓祖)として崇敬されています。
 
 
林浄因(りんじょういん)は宋の出身です。
室町時代、元(げん)に留学した京都建仁寺の僧・
龍山徳見(りゅうざんとくけん)の弟子となり、
14世紀半ばに龍山禅師が日本に帰国する際に、
付き従って来日したと言われています。
 
日本へ渡ってきた林浄因(りんじょういん)は、
奈良に居を構え、饅頭を広めたと言われています。
 
 

林浄因がつくったとされる饅頭とは?

ところで林浄因が作った饅頭とは
どのようなものだったのでしょうか?
貞享元(1984)年の
雍州府志ようしゅうふし』巻六「土産門 上 饅頭 」には、
次のように記されています。
 
 其形状片團是稱奈良饅頭
 饅頭外皮貴精白内杏重甘羹
 凡饅頭并餅納砂糖并赤小豆粉
 
 形状は片団でこれを奈良饅頭と称す。
 白い皮、赤小豆粉に砂糖を加えた
 ものを中身とする。
 
 
この記述に拠れば、林浄因の饅頭は、
こしあんを白い皮で包んだものであったと
推測出来ます。
 
林浄因が来日する以前の饅頭は、
「十字」といって、小麦粉をこねて蒸したら
十字に切れ込みを入れただけの中身のないものや
「点心」のような菜饅頭(なまんじゅう)のような
ものでした。
 
林浄因は、肉が食べられない僧侶の為に
小豆を甘葛煎(あまづらせん)という植物から抽出した
甘味で煮詰め、日本で初めて甘い小豆あんと、
あんが入った饅頭を創作しました。
この日本で最初の饅頭は
「薯蕷饅頭」(じょうよまんじゅう)と呼ばれ、
林浄因は「饅頭の始祖」と言われるようになりました。
 
その功績が認められ、後村上天皇より
宮中の女性との結婚を許されます。
そしてその結婚の際に、
紅白の饅頭を創作し配ったことにより、
今日、祝事の際に紅白饅頭を贈る文化、
ひいてはお祝い事に引き出物として
お菓子を贈る文化が形作られました。
 
龍山禅師が亡くなると、
林浄因は宋に帰国しましたが、
彼の子孫は日本に残って饅頭屋を営み、
現在の和菓子屋「塩瀬総本家(しおせそうほんけ)に繋がるとされます。
 

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まんじゅう祭

これまで神事の後は、
お茶と饅頭の振る舞いもあったのですが、
残念ながら令和5(2023)年は、
饅頭の振る舞いは中止されます。
きな粉餅の振る舞いや
奈良の銘菓販売などは行われますし、
当日限定の「復刻奈良饅頭」も販売されます。
 
林神社(漢國神社内)
  • 住所:〒630-8242
       奈良県奈良市漢国町2
  • アクセス
    近鉄奈良駅から徒歩5分。
    JR奈良駅から徒歩13分。