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七十二候「菊花開」(きくのはなひらく)

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菊の花が咲き始める頃となりました。
旧暦9月9日(令和5年10月23日)の
重陽の節句」を迎え、菊で長寿を祈願しました。
 

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「桜」が日本の「春」を代表する花
であるのに対し、
「菊」は日本の「秋」を象徴する花です。
 

 
後鳥羽上皇は、殊の外、菊の花を好み、
自らの印として愛用しました。
後の天皇が慣例として用いたことにより、
「菊紋」はやがて天皇家の家紋になりました。
 
「菊御作」(きくごさく)
 
 
後鳥羽上皇が「承久の変」に至る際、
士気を鼓舞するために、自ら鍛造し、
(なかご)に菊花紋を刻んだとされるもの。
作刀にあたって相鎚を勤めたのが、
諸国から呼び寄せられた各月交替で
作刀を担当する「御番鍛冶」(ごばんかじ)の名工で、
朝廷と深い関係にあった山城・備前・備中の
刀工達ちが主として選ばれました。
 
 
江戸時代に「葵紋」が幕府により
禁止される一方で、
「菊紋」の使用は自由とされたため、
店舗の商標や、和菓子の図案、
仏具等の飾り金具などに多用されるなど、
一般庶民に愛されました。
 
 
また、「菊づくり」が流行し、
新たに多数の品種が生み出されました。
仕立ての様式や丹精の仕方なども発達し、
「菊花壇」や「菊人形」などが
観賞されるようにもなりました。
新花の品評がしばしば行なわれ、
人々の秋の行楽となりました。
 

 
「菊の花」と言うと、
「仏花」のイメージがついて回りますが、
これは西洋の「菊は墓参の花」という習慣が
日本に入ってきたためです。
そのため、病気見舞いに菊の花を贈ることは、
日本でもタブーになりました。
 

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