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菊の節句

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重陽の節句」は、別名「菊の節句」とも言い、
菊を眺める宴「観菊の宴」を催したり、
菊の花びらを浮かべた「菊酒」を飲んだりして、
不老長寿を願いました。
 
 

菊酒

古代Chinaの菊を愛でる「重陽の宴」が、
日本に伝わったのは、
天武天皇十四(686)年で、
寿命が延びると言われ飲まれたのが
「菊の酒」です。
 
 
今のChinaの南陽市近くの山上に、
菊が繁茂しているところがあって、
その菊水が谷川を流れ、
この水を飲んだ人が百二、三十歳まで生きた
という故事によっています。
 
 
本来は、蒸した菊の花びらを使い、
冷酒に一晩漬けて、
香りを馴染ませたものを飲みました。
今は菊の花びらを盃に散らし、
冷酒を注いで飲む方法が主流です。
 
 温め酒(あたためざけ、ぬくめざけ)

旧暦九月九日の「重陽の日」に
温めた酒を飲むこと、またはその酒のことを
言います。
この日は寒暖の境目とされ、
酒を温めて飲むと病に罹ることがないという
言い伝えがあり、この日から酒は温めて飲むものとされていました。
 

菊合(きくあわせ)

 
集まった人々を左右に分け、
双方が菊の花を使った作り物に歌を添えて競い、
優劣を争う物合わせのひとつです。
宇多天皇の寛平年間(889-898)の
記録が残っていますから、
早くより日本の宮中行事に取り入れられた
ようです。
当初は純粋な「菊合」でしたが、次第に
和歌の優劣を競う方に重点が置かれたもの、
菊の花の愛好者が自慢の菊を持ち寄る
品評会の「菊花展」(きくかてん) の行事に
重点が置かれたものに分かれていきました。
 
 
平安時代の初め頃、
9月9日は「重陽節」として
宮中行事の1つとなり、菊を眺める宴
「観菊の宴(重陽の宴、菊見の宴)」が
開催されるようになり、
「菊酒」が振る舞われたそうです。
 
 
 

菊人形

江戸時代の後期に菊の栽培が盛んになると、
菊の花や葉を衣装に擬して人形
「菊人形」が生まれました。
江戸麻布の狸穴 (まみあな) で始まり、
やがて染井吉野で有名な巣鴨の染井で流行し、当時は「菊細工」と呼ばれていました。
 
 
人気役者の似絵や世相、流行、
風俗などが取り込まれて、
見世物として興行が行われていました。
明治20年頃には千駄木の団子坂を残して
廃れてしまいましたが、
現在も各地の公園などで行われています。
 
福島県二本松市、大阪府枚方市、
福井県武生市(今の越前市)が
「日本三大菊人形」と言われます。
 

菊の着せ綿(被綿・きせわた)

 
日本独自の風習として、
「菊の着せ綿 (被綿)」(きせわた) があります。
 
重陽の前夜、つまり9月8日の夜に、
菊の花を真綿で覆って夜露と香りを移し取り、
翌朝、その綿で体や顔を拭うというものです。
そうすれば老いが去り、
長寿を保つと信じられていました。
 

 
平安時代、殊にこの時代の女性方には、
菊の持つ不老長寿、若返りの効能が
信じられていたようです。
『紫式部日記』には、
紫式部が道長の正妻・源倫子より
「菊の被綿」を贈られて感激して詠んだ
次の歌が有名です。
菊の露 若ゆばかりに袖ふれて
花のあるじに 千代はゆづらむ
 
近世になると、
「白菊」には「黄色い綿」、
「黄菊」には「赤い綿」、
「赤菊」には「白い綿」を使うなど、
色を変えた小さな綿で
(しべ) を作るという風に、
色々と細かい決まりも出来たようです。
 
「旧暦」の時代には
盛んに行われていた「被綿」ですが、
明治時代に「新暦」が採用されてからは、
次第に行われなくなり、宮中も含めて、
「被綿」の記録はあまり残ってないそうです。
 

後の雛(のちのひな)

 
3月3日の「雛祭り」で飾った雛人形を、
9月9日の「重陽の節句」に再び飾ることで
長寿を願うという意味を持つ風習です。
秋の雛、菊雛、菊の絵櫃 (きくのえびつ) とも
言います。
 
「桃の節句」が女の子の成長や幸福を願う
節句であるのに対し、
「菊の節句」は大人の女性の健康や長寿を願う
節句であることから、
「大人の雛祭り」とも呼ばれています。
この日は雛人形を菊とともに飾ることもあり、酒の盃を菊の花を浮かべ、菊の香を移した
「菊酒」も添えます。
 
 
なお「後の雛」には、
もう一つの意味もあります。
高価な雛人形を1年間しまい続けると、
害虫がついたり傷んだりすることも多いため、
9月に再び飾ることで風を通し、
長持ちさせることが出来るというものです。
「もの」を大切にする知恵が生んだ行事です。
 

菊枕

「菊枕」(きくまくら) とは、
重陽に摘んだ菊の花びらを陰干しにして
よく乾燥させ詰めた薄い枕のことです。
邪気を払い、頭痛を治し、かすみ目に効果があると言われる。
 
その「菊枕」で眠ると、
菊の香りが邪気を払い、
頭痛やかすみ目に効果があると言われました。
 
また、好きな相手が夢に現れるとも言われ、
女性から男性への贈り物とされていました。
 

菊襲(きくがさね)

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縹色
 
旧暦9月9日の「重陽節」の日から着た
(かさね) の色目で、
表が白、裏が蘇芳(または紫)のものです。
宮中や貴人の家に使える女房が
重陽の日より着たとされます。
 

九日小袖(くにちこそで)

 
旧暦九月九日の重陽の節句で、
清涼殿に昇殿を許されない
地下(じげ) 階級の人々が
縹色 (はなだいろ) の小袖または綿入れを着て
互いに祝い合いました。
 

菊の文様

「菊水」の伝説や
能楽の『菊慈童』の伝説などにより、
菊は長寿を象徴する代表的な植物と言われ、
吉祥文様として様々な文様があります。
 

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和菓子、菊料理

四季折々の歳時記を大切にする
和菓子や日本料理の世界。
9月9日の「重陽の節句」を祝い、
趣豊かな上生菓子や、
食用菊を上手く盛り込んだ
日本料理の数々が作られます。
 
 
菊を食べる食文化は、
東北から北陸地方など日本海側を中心に
受け継がれてきました。
食用菊の生産は山形県を筆頭に
新潟県、青森県などが盛んで、
10月下旬から11月にかけてが出荷期です。
 
 
山形の「もってのほか」や
新潟の「かきのもと」などの銘柄がよく知られ、
赤紫色や黄色の花弁が目にも美しく、
食感はシャキシャキ、
ほんのり菊の香りも加わって、
和え物やおひたし、酢の物などの
優美な小鉢が好まれます。
菊の花びらを茹でて三杯酢や芥子和えにした
「菊膾」(きくなます) は、酒の肴にも。
 

菊湯

 
「重陽の節句」の日は、
菊を湯船に浮かべた「菊湯」に入りました。
 

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後れ菊(おくれぎく)

重陽を過ぎてから咲く菊、
または盛りを過ぎた晩秋や初冬に咲いている
菊の花のことを
「残菊」「後の菊」「後れ菊」などと
呼びました。
 
「六日の菖蒲、十日の菊」という諺があります。
これは、5月5日の「端午の節句」に
遅れてしまった「菖蒲」と、
9月9日の「重陽の節句」に間に合わない菊は、
役に立たないことのたとえです。
 
しかし、盛りの時期を過ぎて、
ひっそりと咲く菊の花には、
また違った情趣があるということで、
昔は「残菊の宴」(ざんぎくのうたげ) を催して、
「後の菊」を愛でました。
 
現代の暦では9月9日の「重陽」を祝うと、
全てが「後れ菊」になってしまいます。
というより現代は、一年中、
延命長寿の花とも言われる菊が出回っている
時代です。
道理で寿命が延びるはずですね。

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