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菊の節句

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重陽の節句」は、
古くは「菊の節句」とも呼ばれましたが、
現在の新暦9月9日には
まだ「菊」の花は咲いていませんし、
店頭には一年中菊の花は並んでいますが、
「葬儀用の花」という印象が強くなって
しまっています。
 
菊を眺める宴「観菊の宴」を催したり、
菊の花びらを浮かべた「菊酒」を飲んだりして、
不老長寿を願いました。
 
 

重陽の節句を象徴する花
「菊」

原産地はChina
菊の花は皇室の御紋章とされるほど
日本を代表する花ですが、
元々、菊はChina原産の花です。
 
 
Chinaでは、菊は神聖な力を持つ薬として
珍重されていました。
『神農本草経』の上品に「菊花」が収載され、
「味は苦平。風による頭眩や腫痛、
 目が脱けるように涙出するもの、
 死肌、悪風、湿痺を治し、
 久服すれば血気を利し、身を軽くし、
 老に耐え、年を延す。一名節華」と
健康長寿に効果があると考えられていたよう
です。
 
漢時代には、
既に「重陽の節会」の行事が行われ、
菊の香りをつけた「菊酒」を飲み、
健康長寿を祝っていました。
 
菊の栽培が本格的に始まったのは、
梁(502-557)の時代と考えられています。
唐(618-907)の時代以降になると、
改良品種が盛んになっていきました。
 
平安時代に日本へ
 
『万葉集』には菊を詠んだ歌がないことから、
奈良時代の日本には鑑賞するような菊は
なかったと考えられています。
 
菊をもたらしたのは
遣唐使だろうという説もありますが、
日本の歴史に菊花鑑賞の記録が現れるのは
平安時代以降のことになります。
 
『類聚国史』(るいじゅこくし) には
延暦16(797)年10月に宴が催され、
桓武天皇が「このごろのしぐれの雨に
菊の花 散りぞしぬべきあたらその香を」と
詠んだと記されており、
これが日本最古の菊の歌とされます。
このことからも菊は平安時代になってから、
Chinaから伝わったと考えられています。
 
菊は宮中で人気の花となっていきました。
頻繁に詠まれ、『古今和歌集』には
菊に関する歌が多く収められています。
 
 心あてに折らばや折らむ
 初霜の置きまどはせる白菊の花

           (凡河内躬恒)
折るなら当てずっぽうにでも折ってみよう
初霜が降りて見分けがつかない白菊の花を
 
 長月の九日ごとに摘む菊の花も
 かひなく老いにけるかな

           (凡河内躬恒)
重陽の日には毎年長寿を祈念して菊の花を摘んでいたのに、その甲斐もなく年老いてしまった
 
 露ながら折りてかざさむ菊の花
 老いせぬ秋の久しかるべく

           (紀友則)
露の置いたままに折り取って挿頭にさそう、この菊の花を。
わが身の不老の年の久しくあられるように。
 
江戸時代に菊ブーム到来
 
時代の流れとともに、菊は貴族から武士へ、
武士から庶民へと人気が広がっていきました。
そして江戸時代になり、
「重陽の節会」が幕府公式行事となると、
園芸ブームが到来し、江戸各所で
菊の花が栽培されるようになりました。
現在、よく見かける菊の多くが
江戸から明治時代にかけて生まれたものです。
 
特に現在の駒込・巣鴨周辺には植木屋が密集し、
草花の品種改良の中心を担いました。
菊を使った花壇に菊を寄せて植えた「花壇菊」、
集めた菊で富士山などを模す「形づくり」が
盛んに作られると、
これらの「菊細工」を見るために、
江戸っ子達が駒込や巣鴨の植木屋に
押し寄せました。
 
 

菊酒(きくしゅ)


平安時代の宮中で行われた「菊の宴」では、
お酒の杯に
長寿の薬草とされる菊の花を浮かべて
長寿祈願をしながら、
爽やかな薬効ある香りとともに味わいました。

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菊の被綿(きくのきせわた)

重陽の節句(9月9日)の前夜に、
菊の花に真綿を被せて花の露や香りを移し、
翌朝、その綿で肌を拭いて不老長寿を願う、
平安時代から伝わる日本独自の風習です。

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菊合わせ

「菊合わせ」とは、
集まった人々を左右に分け、
双方が菊の花を使った作り物に歌を添えて競い、
優劣を争う物合わせのひとつです。
宇多天皇の寛平年間(889-898)の
記録が残っていますから、
早くより日本の宮中行事に取り入れられた
ようです。
 
当初は純粋な「菊合」でしたが、次第に
和歌の優劣を競う方に重点が置かれたもの、
菊の花の愛好者が自慢の菊を持ち寄る
品評会の「菊花展」(きくかてん) の行事に
重点が置かれたものに分かれていきました。
 

菊人形(きくにんぎょう)


江戸時代の後期に菊の栽培が盛んになると、
菊の花や葉を衣装に擬して人形
「菊人形」(当時は 「菊細工」 ) が生まれました。
江戸麻布の狸穴 (まみあな) で始まり、
やがて染井吉野で有名な巣鴨の染井で
流行しました。
 
人気役者の似絵や世相、流行、風俗などを
取り入れて、見世物として興行が行われ
ました。
明治20年頃には千駄木の団子坂を残して
廃れてしまいましたが、
現在も各地の公園などで行われています。
 
福島県二本松市、大阪府枚方市、
福井県武生市(今の越前市)が
「日本三大菊人形」と言われます。

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菊枕(きくまくら)

 
「菊枕」(きくまくら) とは、
重陽の日に摘んだ菊の花びらを陰干しにして
よく乾燥させ詰めた薄い枕のことです。
邪気を払い、頭痛を治し、
かすみ目に効果があると言われました。
また、好きな相手が夢に現れるとも言われ、
女性から男性への贈り物とされていました。
 

菊湯(きくゆ)

 
「重陽の節句」の日は、
湯船に菊を浮かべた「菊湯」に浸かって
美容や健康を願いました。
「菊湯」に使われる菊は、
「竜脳菊」と呼ばれる野生の原種菊で、
日本の山野に現在でも見ることが出来ます。

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菊襲(きくがさね)

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蘇芳
 
宮中や貴人の家に使える女房が
重陽の日から着た襲 (かさね) の色目で、
表が白、裏が蘇芳(または紫)のものです。
秋の晩秋に着用されるのが特徴です。
 

九日小袖(くにちこそで)


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縹色
(はなだいろ)

 
重陽の日に、清涼殿に昇殿を許されない
地下 (じげ) 階級の人々が、縹色 (はなだいろ) の小袖
または綿入れを着て互いに祝い合いました。
 

後の雛(のちのひな)

 
江戸時代、庶民の間に、
「後の雛祭り」と言われる風習が生れました。
3月3日の「雛祭り」で飾った雛人形を、
9月9日の「重陽の節句」に再び飾ることで
長寿を願うという意味を持つ風習です。
秋の雛、菊雛、菊の絵櫃 (きくのえびつ) とも
言います。
「桃の節句」が女の子の成長や幸福を願う
節句であるのに対し、
「菊の節句」は大人の女性の健康や長寿を願う
節句であることから、
「大人の雛祭り」とも呼ばれています。
この日は雛人形を菊とともに飾ることもあり、
酒の盃を菊の花を浮かべ、菊の香を移した
「菊酒」も添えます。
 
 
なお「後の雛」には、
もう一つの意味もあります。
高価な雛人形を1年間しまい続けると、
害虫がついたり傷んだりすることも多いため、
9月に再び飾ることで風を通し、
長持ちさせることが出来るというものです。
「もの」を大切にする知恵が生んだ行事です。
 

菊の文様

「菊水」の伝説や
能楽の『菊慈童』の伝説などにより、
菊は長寿を象徴する代表的な植物と言われ、
吉祥文様として様々な文様があります。
 

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和菓子、菊料理

 
9月9日の「重陽の節句」を祝い、
趣豊かな上生菓子や
「食用菊」を上手く盛り込んだ
日本料理の数々が作られます。
 
 
日本における菊が食用として
本格的に発達したのは江戸時代です。
Chinaから伝来した菊を原型に、
苦味を取り除き、
花弁を大きくする改良がなされました。
ほのかな香りと、シャキシャキとした食感が
特徴です。
 
 
菊を食べる食文化は、
東北から北陸地方など日本海側を中心に
受け継がれてきました。
食用菊の生産は山形県を筆頭に
新潟県、青森県などが盛んで、
10月下旬から11月にかけてが出荷期です。
 
 
山形の「もってのほか」や
新潟の「かきのもと」などの銘柄がよく知られ、
赤紫色や黄色の花弁が目にも美しく、
食感はシャキシャキ、
ほんのり菊の香りも加わって、
和え物やおひたし、酢の物などの
優美な小鉢が好まれます。
菊の花びらを茹でて三杯酢や芥子和えにした
「菊膾」(きくなます) は、酒の肴にも。