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12月21日「回文の日」

12月21日は「回文の日」です。
 
 

回文の日

今日の日付を並べると「1221」。
上から読んでも下から読んでも
(左から読んでも右から読んでも)
「回文」(かいぶん)になっていることから
「回文俳句」などを手掛ける
宮崎二健(みやざきじけん)さんが制定したそうです。
 

回文とは

上から読んでも下から読んでも同じになる
文句を「回文」(かいぶん)と言います。
「回文」と言えば何を思い浮べますか?
短い単語で言うと、
新聞紙(しんぶんし)、八百屋(やおや)、
短文だと、
「竹やぶ焼けた」「ダンスがすんだ」
「私負けましたわ」といったところが
定番でしょうか?
昭和2(1926)年に出た「小学生文庫」という
シリーズの一冊『面白文庫』には
次のような回文が載っています。
 
  
 
  • よく利くよ(よくきくよ)
  • 縄の罠  (なわのわな)
  • 足しました(たしました)
  • 皆花見  (みなはなみ)
  • 色白い  (いろしろい)
  • 安い椅子屋(やすいいすや)
  • 那須野の砂(なすのすな)
  • 悲しい品か(かなしいしなか)
  • 烏賊食べたかい(いかたべたかい)
  • 確かに貸した (たしかにかした)
  • 妻堤を見つつ待つ
    (つまつつみをみつつまつ)
  • 長崎屋の焼き魚
    (ながさきやのやきざかな)
  • 悪い鉄柵が腐っているわ
    (わるいてっさくがくさっているわ)
 
 
現在も「回文作成」は、
頭の体操にもなると注目を集めていて、
落合正子さんが主宰する「日本回文協会」には、
楽しい回文がいくつも紹介されています。
 
2023
(卯年)
さあ 卯が 念願 願う朝
(さあ うが ねんがん ねがうあさ)
2022
(寅年)
タイガーがいた!
(たいがーがいた)
2021
(丑年)
友飲めうらら 丑年うらら梅の下
(とものめうらら うしどしうららうめのもと)
2020
(子年)
私 今朝 新年年始の寝酒したわ
(わたしけさしんねんねんしのねさけしたわ)
2019
(亥年)
先行き祝い平成へ 亥は活き活きさ
(さきいきいわい へいせいへ いは[わ]いききさ)
2018
(戌年)
けさ飲め狛犬いま米の酒
(けさのめこまいぬいまこめのさけ)
2017
(酉年)
立ったかもめ夢も語った
(たったかもめゆめもかたった)
2016(申年)は喪中だったためお休み
2015
(未年)
あなた着るは羊毛よ!初春はる来たなあ
(あなたきるはようもうよはるきたなあ)
2014
(午年)
馬抱き ダービーだ 期待舞う
(うまいだき ダービーだ きたいまう)
2013
(巳年)
美味かるは 今朝の巳の酒
初春が舞う
(うまかるは けさのみのさけ はるがまう)
2012
(辰年)
たった今 辰立った 舞いたった
(たったいま たつたった まいたった)
2011
(卯年)
さあ今日また 卯年、獅子と歌舞う
良き朝
(さあきようまたうとし、ししとうたまうよきあさ)
 
 

kaibun.jimdofree.com

 

よい初夢を引き寄せてくれる「回文」

 
かつて、よい「初夢」を見るようにと、
七福神が乗った宝船の絵を枕の下に置き、
その絵に書かれた歌(回文)を三度読んでから
寝るという風習がありました。
 
 
長き夜の 遠の睡りの 皆目醒め
波乗り船の 音の良きかな
 
なかきよの とおのねふりの みなめさめ
なみのりふねの おとのよきかな
 
-現代語-
長い冬の夜の長い眠りからすべてが目覚め、
波に乗る船の進む音が心地よい。
 
室町時代の頃から始まり、江戸時代には、
正月早々に「お宝、お宝」と声を掛けながら、
歌が書かれた「宝船」の絵を売る歩く
「宝船売り」がいて、
庶民は買いに走っていたそうです。
 
 
また、歌を歌いながら
千代紙や折り紙などに歌を書き記し、
その紙を帆掛け船の形に折って
枕の下に置くことで良い夢が見られるとも
言われました。
悪い夢を見てしまった場合は、
その船を川に流す(水に流す)ことで
邪気を払い縁起直ししたそうです。
 
 

linderabella.hatenadiary.com

 

最も古い回文

最も古い回文は、平安後期の
歌論書『奥義抄』に「草花を詠む古歌」として
載っている次の歌です。
 
むら草に 草の名は もし備はらば
なぞしも花の 咲くに咲くらむ
 
 むらくさにくさのなはもしそなはらは 
 なそしもはなのさくにさくらむ 
 
-現代語-
 多くの草に名がもし備わるならば、
 どうして花が咲くのに咲いているのだろう。
 
 
んー、難しい。
また何を言いたいのかよく分かりませんが、
こういう言葉遊びでは、
意味まで通じるようにするのは
無理なのかもしれません。
 
鎌倉時代の順徳上皇の歌論『八雲御抄』にも、
回文の歌はきちんと意味の続くのは少ないので、
こういう歌を好んで詠むのは、
普通の歌のために良くないとあります。