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五月蠅なす神(さばえなすかみ)

 
「五月蠅なす神」(さばえなすかみ)とは、
陰暦五月頃の騒がしく、煩わしい蠅のように
四方八方駆け巡る「悪鬼」「邪神」「疫神」「疫病神」のことです。
 
陰暦の五月は梅雨の最中で、
疫病の流行する時期でもあったため、
疫病などをもたらすものを、
蠅のような悪鬼に喩えて恐れたのです。
 
 
ところで「五月蝿」(さばえ) は、
『古事記』や『日本書紀』にもある
大変古い言葉です。
 
 
『古事記』の「三貴人分治」の条には、
須佐之男命 (すさのおのみこと)
母神・伊邪那美命 (いざなみのみこと) の元へ
行きたいと言って泣き続けるので、
「是を以ち悪ぶる神の音、
 狭蠅さばえ如す皆満ち、万の物の妖悉く発る」
とあります。
 

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また「天岩戸」でも、
天照大御神が天岩戸にお隠れになり
世界中が真っ暗闇になった時にも、
「是に万の神の声は、
 狭蠅さばえなす満ち、万の妖悉く発りき」
とあります。
 
 
どちらも「狭蝿なす満ち」した結果、
あらゆる災厄が悉く起こったとあります。
つまり「狭蠅」(さばえ)は、
災厄が世界に影響を及ぼす
根源とされていたのです。
 

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『古事記』の「国譲り」の条でも、
誓約によって生まれた
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
葦原中国を統治すべき子として
天照大御神が天降りさせようとした際、
天忍穂耳命が天浮橋に立って地上を覗くと、
「ここを以ちて悪ぶる神の音なひ、
 狭蝿なす皆満ち、萬の物の妖、悉に発りき」
とあります。
 
 
この場面は『日本書紀』では、
「然も彼の地に、多に蛍火の光く神、
 及び蠅声す邪しき神あり。
 復た草木咸くに能く言語あり。」と記され、
『出雲国造神賀詞』にも、
「豊葦原の水穂の国は、
 昼は五月蠅なす水沸き、
 夜は火瓮なす光く神あり、
 石根、木立、青水沫も事問ひて
 荒ぶる国なり」とあります。
 
蘆原中国は、蛍火のように光る神や
蠅のように騒がしく邪な神がいたと
いうのです。
古代人は「蛍」にあまり良い印象を
持っていなかったようです。
魑魅魍魎が蠢く漆黒の暗闇が広がる夜に
青白く光り、 しかも燃えない冷たい火を放つ
蛍をまさに邪悪な神だと感じていたようです。

 
 
そしてその後、皇御孫命すめみまのみこと瓊々岐命ににぎのみこと
地上に御降臨されるに当たって、
御威光に従わずに荒れまわる神々に、
先ず服従するかどうかを問い糺し、
それでも帰順せずに
反抗する神々は討伐処罰されると、
岩石や草木の片端(かたはし)のひと葉までもが
口やかましく言いたてて居たのが、
ふっつりと物を言うことを止めて
静かになったように、
騒乱の国土も平和に鎮定されたと
神道の祭祀に用いられる祝詞の一つである
「大祓詞」(おおはらえのことば)にあります。
 
年に二度行われる「大祓」(おおはらえ)
6月の「夏越の祓(なごしのはらえ)
12月の「年越の祓」(としこしのはらえ)では、
この「大祓詞」を唱え、
人形(ひとがた)などを用いて、
身についた半年間の穢れを祓い、
無病息災で、新たな気持ちで過ごすことが
出来るように祈る神事です。