
日本の初代天皇。
天照大御神の五世の孫。
高千穂宮(現在の宮崎県)で
兄の五瀬命(いつせのみこと)ら兄弟と話し合い、
天下を平定するために東征へと出かける。
数々の大きな戦いを経て大和を平定し、
畝傍山の麓に橿原宮で即位し、日本を建国した。
高天原(たかあまのはら)を治める
天照大御神(あまてらすおおみかみ)の子孫である
神倭伊波礼毘古(かむやまといわれびこのみこと)、
後の神武天皇は、
日向(ひむか)の高千穂宮(たかちほのみや)で、
世の中を上手く治めるために東へ行こうと言い、
豊国(大分)、筑紫(福岡)、阿岐国(広島)、吉備(岡山)を経て、
海路で浪速(大阪)に上陸します。
そこで、登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)に敗北し、
兄の五瀬命(いつせのみこと)は受けた傷がもとで亡くなります。
南へ迂回して紀国(和歌山)の熊野に再度上陸しますが、
そこで現れた大熊の毒気に当てられ、
一行は、ばたばたと倒れてしまいます。
しかし、天照から夢のお告げにより授けられた剣を
高倉下(たかくらじ)が献上すると、
皆、正気を取り戻しました。
そして道案内の八咫烏(やたがらす)に導かれて吉野に入り、
現地の反対勢力を倒して、倭の畝火(うねび)の白檮原宮(かしはらのみや)で
初代の神武天皇として即位しました。
● 皇子原神社[おうじばるじんじゃ] (宮崎県・高原町 )
神倭伊波礼毘古命が生まれた地と言われる
神倭伊波礼毘古命が生まれた地と言われる
● 狭野神社 [さのじんじゃ] (宮崎県・高原町 )
神倭伊波礼毘古命が生まれた地と言われる
● 立磐神社 [たていわじんじゃ](宮崎県・日向市 )
境内には神倭伊波礼毘古命(神武天皇)が腰掛けたと言われる
「お腰掛け岩」がある
● 駒宮神社 [こまみやじんじゃ](宮崎県・日南市 )
神倭伊波礼毘古命が阿比良比売[あひらひめ]を妻に迎えた宮の跡と伝わる
● 美々津 [みみつ] (宮崎県・日向市 )
神倭伊波礼毘古命の東征の出発地と言われている
● 岡田宮 (福岡県・北九州市 )
神倭伊波礼毘古命が東征の際、一年滞在したと言われる
● 多家神社 [たけ] (広島県・府中町 )
神倭伊波礼毘古命が東征の際、七年滞在したと言われる
● 高島宮 (岡山県・岡山市 )
神倭伊波礼毘古命が東征の際、八年滞在したと言われる
● 速吸門 [はやすいのと] (兵庫県)
神倭伊波礼毘古命が槁根津日子[さおねつひこ]と出会ったとされる
● 浪速[なみはや]の渡 (大阪県・大阪市 )
神倭伊波礼毘古命が東征の際、この地を通過したとされる
● 青雲[あおくも]の白肩津[しらかたのつ] (大阪県・東大阪市 )
神倭伊波礼毘古命が東征の際、この地に停泊したとされる
● 竈山神社 [かまやまじんじゃ] (和歌山県・和歌山市 )
神倭伊波礼毘古命の兄である五瀬命を祀る
● 熊野の村 (和歌山県・新宮市 )
神倭伊波礼毘古命が紀伊半島を南へ迂回して着いた地とされる
● 八咫烏神社[やたがらすじんじゃ] (奈良県・宇陀市 )
八咫烏の化身と言われる建角身命[たけつぬみのみこと]を祭神としている
● 橿原神宮 (奈良県・橿原市 )
神武天皇が即位された橿原宮の聖蹟に明治二十三年に創建された
(橿原神宮の説明による)
● 神武天皇陵(畝傍[うねび]山東北陵) (奈良県・橿原市 )
畝傍山東北の地に比定されている神武天皇の陵墓
● 石上神宮 [いそのかみ] (奈良県・天理市 )
神倭伊波礼毘古命(神武天皇)を
熊野の村の大熊から救った霊剣が納められた社
● 熊野三山 (和歌山県・田辺市ほか )
熊野本宮大社、熊野速玉[はやたま]大社、熊野那智大社の総称。
八咫烏は三山の神の使いとされる
● 宮崎神宮 皇宮屋[こぐや](皇宮[こぐや]神社) (宮崎県・宮崎市 )
神倭伊波礼毘古命を主祭神として祀る
● 率川神社[いさがわ] (奈良県・奈良市 )
皇后・伊須気余理比売[いすけよりひめ]を祀る
橿原神宮
天照大神(あまてらすおおみかみ)が天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に仰せになった「豊葦原の瑞穂国はわが子孫の君たるべき国なり」のお言葉通り、神武天皇が国内を統一なさり、畝傍山の東南・橿原の地に皇居を造られ、即位の礼を行われました。明治時代に入り、天皇の御聖徳を永遠に尊び敬いたいという思いから、この地に神宮創建をという請願が民間有志より出されました。明治天皇がこれを深くほめたたえ、元京都御所の賢所と神嘉殿を下げ渡され、明治23年4月2日、官幣大社・橿原神宮として御鎮座になりました。
京都御所の内待所(賢所)を移築した本殿は、重要文化財に定められています。
橿原神宮(かしはらじんぐう)
- 住所:奈良県橿原市久米町934
- 電話:0744-22-3271
- 神武天皇陵
- 住所:奈良県橿原市大久保町