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初寅(はつとら)

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正月初めての「寅の日」に、
毘沙門天に参詣することを
「初寅」(はつとら)と言います。
 
 

初寅とは

 
「初寅」(はつとら)とは、
その年最初の「寅の日」のことを言います。
この日、福徳を願って
「毘沙門天」(びしゃもんてん)に参拝します。
「魔除けの福笹」の授与や
「甘酒」の無料接待などがあります。
 

 
聖徳太子や鑑真和上の高弟・鑑禎上人が
困った時に「毘沙門天」が
「寅」に関する日時に現れたことから、
「毘沙門天」は寅の日時に現れて
力を頂けるという信仰が広まりました。
また「毘沙門天」の使いとされる
「蜈蚣」(むかで)はお足(お金)が多いので、
おあし(銭)がたくさんついて
金運を呼ぶとか(福徳開運)、
商人や芸人の間では「客足、出足」が増え、
商売繁盛するなどと、人々の信仰を集めました。
また、鉱脈の形や鉱山の採掘穴が
ムカデの姿形に似ているから
鉱山師や鍛冶師に信仰されたと言われています。
 
 

信貴山朝護孫子寺

 
奈良県、標高437mの信貴山中腹に建つ
信貴山朝護孫子寺(しぎさんちょうごそんしじ) は、
聖徳太子によって創建され、
毘沙門天がお祀りされている寺です。
 

www.sigisan.or.jp

 
今から1400年程前、聖徳太子が
物部守屋の討伐の際に、
この山を訪れて戦勝の祈願をすると、
天空に「毘沙門天王」が現れて、
必勝の秘法を授けました。
そのご加護で敵を倒した聖徳太子は、
この山を「信ずべき、貴ぶべき山」として
信貴山と名付け、
自ら「毘沙門天」を彫刻し伽藍を建て、
お祀りするための寺院を創建しました。
 

 

 
ちょうど毘沙門天が現れたのが
「寅の年」「寅の日」「寅の刻」であったため、
「寅」が信仰されるようになったのです。
そしてその故事から、「寅」の縁日に、
信貴山の毘沙門様にお参りすると、
聖徳太子にあやかって
良いご利益を授かるとして
信仰を集めるようになりました。
 

 
更に、平安中期に信貴山の中興の祖とされる
命蓮上人(みょうれんしょうにん)
醍醐天皇の病気回復を
毘沙門天王に祈願すると、
たちまち全快されたことから大変お喜びになり、
朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として
朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)の勅号を
賜ることとなりました。
 

 
現在では、「信貴山の毘沙門さん」とか
「信貴山寺」などと呼ばれ、
「商売繁盛」「必勝祈願」「金運招福」
「合格祈願」など、民信仰の場として
広く親しまれています。
 

京都・鞍馬寺

京都の鞍馬寺の毘沙門天が有名。
牛若丸と呼ばれた源義経が幼少期に修行した
として知られている京都・鞍馬山にある
「鞍馬寺」の本殿金堂には、
60年に一度の「丙寅」の年に開帳される
「毘沙門天」が秘仏として祀られています。
そして本殿金堂前には、
「毘沙門天」の使いである「寅」を
「狛寅」とする「阿吽の寅」があります。
 
鑑真和上の高弟・鑑禎上人は、
霊夢で白馬に導かれて鞍馬山に登り、
鬼女に襲われたところを
「毘沙門天」に助けられたのが
「寅の月」「寅の日」「寅の刻」だったため、
鑑禎上人は草庵を結び、
「毘沙門天」を祀ったという伝承があります。
 

毘沙門天について

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インドの財宝の神様「クベーラ」
「七福神」や「四天王」として
知られている「毘沙門天」ですが、
その前身はインド神話に登場する「クベーラ」という財宝の神様と言われています。
 
 
「クベーラ」は、サンスクリット語では
「ヴァイシュラヴァナ」と呼ばれ、
この「ヴァイシュラヴァナ」という音が
Chinaで訳されて「毘沙門」となりました。
 
「仏説毘沙門天王功徳教」というお経には
「毘沙門天」の住む天敬(てんぎょう)城では
財宝や福が湧き出しており、
1日に3度も焼き捨てるほどであり、
「毘沙門天」に帰依をすれば
この福を授かることが出来ると説かれています。
 
戦いの神様、四天王「多聞天」
 
帝釈天に仕え、須弥山の中腹で仏法を守護する
「四天王」(持国天・増長天・広目天・多聞天)
として祀られる際は「多聞天」(たもんてん)
いう名で呼ばれていますが、
これはサンスクリット語
「ヴァイシュラヴァナ」が
「よく聞く」という意味をChina語に訳されて
「多聞天」になったと伝えられています。
「多聞天」は「四天王」の神様の中で
最も強い神様として描かれ、
仏教が伝来したChinaでは
「戦いの神」とされています。

「毘沙門天」は日本にもたらされると、
国家鎮護の神様として信仰をされるように
なります。
聖徳太子が建立した「四天王寺」(大阪)は
日本初の勅願寺院です。
 

 
聖徳太子の信仰もあってか、
「毘沙門天」は「戦いの神」として
多くの武将に信仰されます。
平安時代に東北の蝦夷を討伐しに行った、
日本最初の征夷大将軍の坂上田村麻呂に、
名将・楠木正成の幼名は
「多聞天」から頂いた多聞丸だったそうです。
 
 
何といっても「毘沙門天」信仰で
有名な武将と言えば、上杉謙信です。
自らを「毘沙門天」の生まれ変わりとし、
「毘沙門天」を信仰し、
居城である春日山城には「毘沙門天像」を
祀っていました。
 
 
七福神「毘沙門天」

 
「毘沙門天」は朝廷や武将による信仰が
広がっただけでなく、
民間にも信仰が広がりました。
平安時代には、商売繁盛などの
現世利益を授ける神様という側面が
民間に広がっていたとされ、
「毘沙門天王功徳経」という
お経に書かれている「毘沙門天の十種の福」に
預かろうということで信仰が広まりました。
 
  1. 無尽の福
    尽きることのない福
  2. 衆人愛敬の福
    皆から愛される福
  3. 智慧の福
    智慧により物事を正しく判断する福
  4. 長命の福
    長生きする福
  5. 眷属衆太の福
    周囲の信頼に恵まれる福
  6. 勝運の福
    勝負事に勝つ福
  7. 田畠能成の福
    田畑を豊作に導く福
  8. 蚕養如意の福
    家業が成功する福
  9. 善識の福
    良い教えを学ぶ福
  10. 仏果大菩提の福
    悟りを得られる福
 
室町時代頃から広まる
日本独自の信仰である「七福神」にも、
「毘沙門天」は早くから名を列していました。
 
 
「七福神」の中でも得られる
福の数はトップであり、
この世に存在するほとんどの問題は
「毘沙門天」の福によって解決出来そうです。
 
北を守護する「十二天」のお一人「毘沙門天」

 
「毘沙門天」は「十二天」(じゅうにてん)
お一人でもあります。
「十二天」とは
仏教の護法善神12種の天神の総称で、
各方位に当てられています。
「毘沙門天」は、「北」の方角を守護する
神様です。
  • 東 :帝釈天 (たいしゃくてん)
  • 東南:火 天 (かてん)
  • 南 :焔摩天 (えんまてん)
  • 西南:羅刹天 (らせつてん)
  • 西 :水 天  (すいてん)
  • 西北:風 天 (ふうてん)
  • 北 :毘沙門天(びしゃもんてん)
  • 東北:伊舎那天(いざなてん )