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ひな会式(法華寺)

 
平城宮の東北に位置する
総国分尼寺「法華寺」では、
天平時代から、毎年4月1~7日に、
雛人形の段飾りの原型とも言われる
「ひな会式」(ひなえしき)が執り行われています。
 
 

「ひな会式」

奈良時代から続く「ひな会式」とは、
法華寺を開いた光明皇后の遠忌法要で、
平安時代の仏教説話集の
『三宝絵詞』(さんぼうえことば)にも
記載されている伝統ある行事です。
 
光明皇后が蓮池を歩く姿を写した
とも言われている国宝の本尊「十一面観音」の
前に設けられた段上には、
可憐な子供の姿をした高さ20~30㎝の
小さな人形「善財童子」(ぜんざいどうじ)
50体余りを祀って、
7日間に渡り法要が行われます。
 
この「善財童子」(ぜんざいどうじ)
「ひな」と言われていたことに由来して、
「ひな会式」と呼ばれています。
 
「善財童子」(ぜんざいどうじ)とは、
文殊菩薩(もんじゅぼさつ)から教えを受け、
仏道を極めるため55人を訪ね、
最後に普賢菩薩(ふげんぼさつ)に会って
悟りを開いたと言われています。
 

法華寺

奈良県奈良市「法華寺」は、
第45代・聖武天皇の妻、光明皇后の発願により、
総国分尼寺として建立された寺院です。
 
国分寺こくぶんじ」/「国分尼寺こくぶんにじ
 
8世紀の中頃、都では病気が流行して
多くの死者が出たり、更に貴族の反乱が起きたり、
世の中に不安が広がりました。
そこで仏教を深く信じた聖武天皇は、
仏教の力を借りて人々の不安を鎮め、
社会を安定させようとしました。
天平13(741)年、国毎に「国分寺」と「国分尼寺」
を建立しました。
更に都には「国分寺」の総本山として
「東大寺」を建立し、銅製の大仏「盧舎那仏るしゃなぶつ」を造らせました。
なお国分寺の正式名称は「金光明四天王護国之寺こんこうみょうしてんのうごこくのてら
国分尼寺が「法華滅罪之寺ほっけめつざいのてら」です。
壱岐や対馬には「島分寺とうぶんじ」が建てられました。
 
法華寺」は元々、光明皇后の父である
藤原不比等の邸宅があり、
その死後は光明皇后宮となっていました。
皇后はここを寺院に改め、
その後、総国分尼寺となりました。
境内には、皇后が湯施行したという浴室が
残っています。
また本尊の十一面観音立像(国宝)は、
光明皇后をモデルにして造られたという
伝説が残っています。
 
平安遷都後、「法華寺」は
一時は衰退してしまいましたが、
豊臣秀頼、淀君によって、慶長6(1601)年に
本堂・南門・鐘楼(いずれも重要文化財)が
再建されました。
 
  • 住所:〒630-8001
    奈良県奈良市法華寺町882
  • 電話:0742-33-2261