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土用の虫干し

 
夏の土用(なつのどよう)の時期の、
それも天気の良い日を選んで、
衣類や書籍、書画、経典などを陰干しし、
風を当てて虫のやカビの害を防ぐのが
「土用の虫干し」です。
 
 

虫干し

地理的条件により、
年間を通じて湿度の高い日本では、
古くから「虫干し」を行って、
衣類や書籍、書画などを陰干しして風を通し、
カビや虫の害から守って来ました。
 

 
日本の「虫干し」の起源は古く、
時期も夏ばかりでなく、
春や秋にも行われたようで、
平安時代には、宮中行事の一つとして定着して
いたようです。
この風習も江戸時代になると、
「虫干し」「虫払い」「土用干し」「風入」
「御衣干し」(おんぞぼし)「夏干し」などと呼び、
夏の年中行事のひとつとなり、
現在まで受け継がれてきました。
 
「虫干し」は、
梅雨明け後の「土用干し」、
夏に付いた虫を追い払う「秋の虫干し」、
真冬の「寒干し」と
年3回行うのが理想とされます。
・土用干し  : 7月下旬~ 8 月上旬頃
・秋の虫干し : 9月下旬~10月上旬頃
・寒干し   : 1月下旬~ 2 月上旬頃
 
この湿度の比較的低い時期の、
2、3日晴れが続き湿度が低くなった晴天の日の、
夕方や夜間など湿気が多い時間帯を避けて、
正午前後の数時間(10時頃~15時頃まで)に
窓やふすま、ドアを開けて、風通しを良くして行うのが最適です。
 

土用干し(どようぼし)

「土用干し」(どようぼし)とは、文字通り、
梅雨が明けた「夏の土用」の頃の、
乾いた風の通る晴れた日に物を干す行事です。
 

 
代表的なのは「梅干し」です。
夏の土用」は、1年で一番暑くて、
晴れの日が続き、紫外線も多い、
夏の真っ盛りの時期です。
この時期に「梅干し」を干すのは、
紫外線で日光消毒して
カビの発生を抑える効果があるためです。
 

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衣類や履物、書物・絵画や家具なども干します。
夏の土用」の時期は、
ちょうど梅雨明けの時期と重なります。
梅雨の時期にたっぷり湿気を吸い込んだ
衣類や書物などを
こちらは直接、陽光に晒さずに陰干ししたり、
風に晒して湿気を飛ばして、
カビの発生を防ぎます。
 

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更には田んぼの水も一時的に抜いて
土壌を乾かす「田の土用干し(中干し)」も
行われます。
土用に田んぼの水を抜くのは、
虫の発生を防いで病気の予防するだけでなく、
更には土壌中に空気を入れ替えて、
根の生長を促進するためです。
 

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曝涼(ばくりょう)

寺社などで、カビや虫害を防ぐために、
仏具や衣類、書画などの宝物類や資料などを
土用に風日に曝して「虫干し」することを
「曝涼」(ばくりょう)と言います。
 
古来、寺院などでは、
「曝涼」(ばくりょう)を行事化して、
年に1度、宝物を点検・公開しました。
 
日や風に当て、湿気を飛ばして、
虫やカビを払うだけでなく、
伝統的な「目通し・風通し」により点検し、
修理や清掃を行うことで、私達の祖先は、
長い間、歴史的宝物が守ってきました。
 
特に「書籍」は、湿気を帯びやすく、
虫やカビの被害が起きやすいことから、
「曝書」(ばくしょ)と言って、
紙を食べる虫から守ってきました。
 
曝涼・曝書の歴史
日本の「曝涼」(ばくりょう)は、
古代Chinaから伝わった行事が
平安時代に年中行事として定着したものです。
大量の書籍を所有する社寺や公家では、
「経師」(きょうじ)の仕事として行われていた
ようです。
鎌倉・室町時代には、
公家・武家・社寺の年中行事として
多くの日記に記録されています。
江戸時代になると、武家・公家・社寺・町衆にまで
書画の所有者の年中行事として普及しました。
特に社寺の宝物虫干し行事よる宝物公開は、
地域の人々の楽しみにもなっていたようです。
 
正倉院の曝涼


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日本の「曝涼」の代表的なものに
「正倉院の曝涼」があります。
「正倉院」では奈良時代より、
好天の続く「晩秋の11月」に
「曝涼」を実施してきました。
 
「正倉院」は当初、
東大寺の倉として建てられましたが、
天平勝宝8(756)年の聖武天皇崩御すると、
光明皇后により東大寺盧舎那仏に献納された
聖武天皇遺愛の品々や東大寺に関係する品々を
「正倉院宝物」呼んで、
それらを収納する倉として使用されてきました。
 
『正倉院文書』には 、
787年(延暦6年6月26日)、
793年(延暦12年6月11日)、
811年(弘仁2年9月25日)、
856年(斉衡3年6月25日)に
「曝涼」が行われたとの記録があります。
 
この記録には、「曝涼」を行った
宝物名および数量が記載され、
薬物など増減の認められる宝物については、
理由も記されています。