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早苗饗(さなぶり)

 

「早苗饗」(さなぶり)は、
田植の終わりに田の神様を送る祭です。
 
昔は、「早苗饗」は6月下旬に行われましたが、
現在は稲作の技術の進歩に伴い、
田植えの終了が昔よりも1か月以上早くなり、
しかも、機械で植えることが多くなったため、
「早苗饗」の行事が行われるところも
少なくなりました。
 
 

田の神様を送る日

 
「早苗饗 ( なぶり)」の「さ」は、
「田の神様」のことで、
「早苗 ( なえ)」や「早乙女( おとめ) 」の「さ」
「田の神様」のことだと言われています。
 
田植えは、まずその前に、
田の畦などに神の依代(よりしろ)を作って、
天から「田の神様(=さ)」をお迎えする行事、
早降(さおり)」(さ+降り)を行い、
田植えを無事に終了することと豊穰を
祈願しました。
 
そして田植え後には、
再び天に「田の神様(=さ)」が昇っていく、
早昇り(さのぼり)」(さ+昇り)するのを
お見送りする行事を行いました。
この「早昇り」(さのぼり)が転訛して、
「早苗饗」(さなぶり)になりました。
 
 
「田の神様」には、キレイに洗った早苗三把と
神酒、小豆飯や五目飯などを供えて、
田植えが終了したことを感謝します。
そして、巡り来る秋の豊かな実りを願って、
山へ帰る田の神を送りました。
 
早乙女(さおとめ)
田植をする女性達のことです。
昔は、田植を担当するのは
専ら「早乙女」と呼ばれる女性達でした。
紺絣の着物に、赤襷(あかだすき)、
手甲脚絆(てつこうきゃはん)、
白手拭いに菅笠と言う晴れ着姿で
田植え歌を歌いながら、早苗を手に
一列になって一株ずつ植えていきました。
 
「さおとめ(早乙女)」の「さ」は
「さがみ(田の神)」のことで、
田の神に仕える乙女と言う意味になりますが
既婚でも年配でも「早乙女」です。
 
 
「早苗饗」(さなぶり)という呼び方は、
東北や関東に多く、
四国や九州では「早上り」(さのぼり)
北陸・山陰・山陽では「シロミテ」と言います。
 

田植終わりの祝宴・慰労会

 
田植後に田の神様が帰るのを送る日が転じて、
田植えという重労働を終えての
家族の者や田植えを手伝った人達に、
心ばかりのご馳走を振る舞い、共に食べる
祝宴・慰労会にもなりました。
 
 
機械のなかった時代は手植えだったため、
家単位では手が足りず、
「結」などの共同作業で行われていました。
 
 
田の神を送って秋の収穫を祈願し、
早乙女を上座に、酒や肴を揃えて
一日をゆっくりと過ごしました。
 

骨休みの日

更に転じて、田植を終え、
神に感謝する祝宴をし、
辛かった田植作業の骨休みの日となりました。
「早苗饗」はであると同時に、
かつては、「苗代作り」から
「田植」が終わるまでの農家の忙しさは
大変なものだったからです。
 
裏作に「麦」を作ることも多かったため、
田植の途中で、麦刈りをして脱穀しました。
更に田植前の田んぼでは、
馬鈴薯や玉葱なども作ったりしましたから、
それらの収穫を終えてから、
馬や牛を使って鋤起こし、畦を塗り、
そして代掻きをしました。
このような連日の重労働の後、
休む間もなく、田植の作業が始まります。
 
腰を屈めたままの田植は
とても辛い作業です。
更にこの時期は雨の日の作業も多く、
作業後に洗った後、翌日乾かないままで
数日間濡れたままの作業着を着たまま
作業し続けなくてはならないことも
度々あり、過酷を極めました。
 
そのため「早苗饗」は、
このような辛い仕事の終わった
農家の束の間の息抜きの日でもあったのです。
田植終了後の農閑日を見計らって、
1~3日位を農休日にし、
お嫁さんを実家にやって休養させたり、
湯治に行って休養したりもしました。
 
 

「馬鍬洗い」(まんがあらい)

 
「馬鍬洗い」(まんがあらい)と呼ぶ
地域もあります。
 
 
「馬鍬」(まんが) とは、
馬や牛に牽かせて田んぼを耕す道具で、
農具が機械化される前までは、
馬や牛(東日本は馬、西日本は牛が多い)を
自分の家で飼育して農作業の労働力として
活用していました。
 
そこで田植えが済むと、
代掻きから田植えまで使ってきた
「馬鍬」(まんが) などの道具を洗い清め、
その洗い清めた道具に神酒や供え物をあげて、
田植えが無事終了したことを感謝しました。
 
 
現在では、馬も馬鍬も見られなくなり、
代わりにトラクターや耕運機などの
機械が使われるようになったことから、
「馬鍬洗い」の際にはそれらの機械を
掃除する家も多くなりました。