「半夏生」(はんげしょう)は雑節の一つです。
半夏という薬草が生える頃。
雑節「半夏生」
「半夏生」(はんげしょう)とは、
七十二候では「夏至」の末候に当たりますが、
「雑節」でもあります。
日本独特の繊細で移ろいやすい季節を
より正確に把握するために作られた
日本独自の特別な暦のことです。
生きるために重要だった農耕は
季節や気象に左右されることも多く、
農作業の時期や節目を正確に見極めるために
必要だったのです。
では、雑節の「半夏生」は農作業にとって
どのような時期であり節目なのでしょうか?
雑節の「半夏生」には、
次のような諺や言い伝えがあります。
・チュウ(夏至)は外せ、ハンゲ(半夏)は待つな
(田植えは)「夏至」を過ぎてから始めて、
「半夏生」までには終わらせろ
「半夏生」までには終わらせろ
・ハンゲの後に農なし
半夏生以降は田植えをしない
・半夏半作(はんげはんさく)
半夏を過ぎてからの田植えは、
(この日までに田植を終わらないと)
秋の実りが遅れて、収穫が半分しか
見込めない
(この日までに田植を終わらないと)
秋の実りが遅れて、収穫が半分しか
見込めない
・半夏じまい
「半夏生」は、田植えを手伝った早乙女や
借りた牛の持ち主などに田植え賃を払う日
とされました。
借りた牛の持ち主などに田植え賃を払う日
とされました。
万が一、天候不順で田植え作業が遅れても、
「半夏生」以降は田植えをしないというもので
「半夏生」は、農繁期の一応の終了期と
されました。
農作業に一段落ついたら、ひと休み。
田植えで疲れ切った身体を休ませるために、
体を癒し栄養を摂るための食べ物を食べたり、
「半夏生」から数日間、殊更、働くことを忌む
伝承が全国各地に残っていたりします。
令和6(2024)年の雑節「半夏生」の日
「半夏生」の日は、太陽の黄経が100度を
通過する、ちょうど夏の中間地点に位置し、
「夏至」から数えて11日目に当たる日で、
今年、令和6(2024)年は7月1日 になります。
半夏雨(はんげあめ)
一般に「半夏生」(はんげしょう)の頃は、
梅雨も終わりかけの頃になります。
「半夏生」の時期に降る雨なので
「半夏雨」(はんげあめ)と言います。
この時期は、太平洋高気圧の勢力が
徐々に強まって、日本の上空に
温かく湿った空気が流れ込むため、
大雨になることが多く、河川の氾濫や土砂崩れなどが起こることが少なくありません。
大雨により発生する洪水は
「半夏水」(はんげみず)などと言われています。
但し、「半夏雨」(はんげあめ)は、
田植えを終えて安心した田の神様が
天に上る時の雨という所もあります。
早苗饗(さなぶり)
無事に田植えが終えた頃に
「早苗饗」(さなぶり)という行事を
行なうところもあります。
「田の神」が田植えが終わったのを見て、
山に帰るこの日、日本各地では、
田の水口や畔または床の間などに苗を供えて
田の神を祀る風習が見られます。
この日の天気で収穫の出来を占ったり
しました。
虫送り
田植えが無事に終わったこの時期に、
全国の様々な地域では、
農作物の害となる虫を退治し、
その年の豊作を願って、
「虫送り」の行事が行われます。
源平合戦で敗れた平家の武将・斎藤実盛が
稲の切株につまづき敵に討たれ、
その恨みから田畑を荒らす害虫の
イナゴに化身したという言い伝えから、
西日本では「虫送り」のことを
「実盛送り」と呼ぶこともあります。
「虫送り」の方法は、
害虫の身代わりの藁人形を燃やしたり、
稲につく害虫を炎におびき寄せて焼いたり、
川に流したりと、各地で違いはあります。
「物忌みの日」
三重県の熊野地方や志摩地方の沿岸部
「半夏生」の時季に「ハンゲ」という妖怪が
徘徊するとされています。
群馬県・嬬恋村
「ハゲンサン」という伝承があり、
「半夏生」の時季にネギ畑に入るのは
禁忌とされています。
これは、働き者の「ハゲンサン」が、
働き過ぎだと天の神様を怒らせてしまい、
ネギ畑で焼き殺されてしまったという
伝承によります。
青森県
半夏生の後に田植えをすると、
1日につき1粒ずつ収穫が減ると
言われています。
埼玉県
この時季になると、滅多に咲かない
「竹の花」が咲いたりするので、
竹林には入るなと言われています。
竹林に花が咲くのは120年に1度と言われ、
不吉の象徴とされています。
「半夏生」に食べると良いもの
「半夏生」は、休養と栄養をとって
体力の充実を図ろうとする期間です。
「半夏生」に食べると良いと言われるのは、
タコ、餅、焼き鯖(さば)、うどんなどです。
これらは、田んぼの神様にも供えられました。
半夏団子(はんげだんご)
「半夏団子」または「はげ団子」と言って、
ちょうど収穫の時期に当たる小麦の団子を
頂く習わしが、近畿・中国地方にあります。
団子は茗荷(みょうが)の葉に包まれており、
清涼感のある独特の香りとあんこの甘さが
農作業の疲れを癒しました。
そして田んぼの神様にも供えられました。
茗荷(みょうが)の葉を使うことから
「みょうがだんご」とも呼ばれています。
餅米ではなく小麦粉を使うのは、
米が貴重だった時代の名残りです。
半夏生餅(はんげしょうもち・はげっしょもち・はげっしょうも)
「半夏生餅」は、主に大阪・南河内地方や
奈良県で食されている餅米と小麦粉で作った
団子にきなこをまぶしたものです。
田植え後にこの団子を作って
田の神様にお供えして、その年の豊作を祈り、
田植えが無事終わったことに感謝しながら
団子をいただいたきました。
当時、団子の原材料だった小麦粉は
「白」ではなく「褐色」をしていて、
そんな小麦粉で作っ団子は赤く丸い
「ネコの丸い背中」に似ていたことから、
「あかねこ餅」として
親しまれるようになったそうです。
半夏蛸(はんげだこ)
関西では、稲が蛸の足の様に
沢山分かれて増えていきますようにと願い、
半夏生に蛸(「半夏蛸」)を頂く習慣が
あります。
半夏生鯖(はげっしょさば)
主に福井県大野市を中心とした奥越地方では、
「半夏生」に「丸焼きの鯖」を食べる習慣が
あります。
これは、その昔の大野藩主が田植えが終わった農民に、焼き鯖を食べて力を付けるよう
推奨したことから始まったと言われています。
これが現在まで伝わり、
この地方では「半夏生には鯖」が定着しました。
「鯖」(さば)はスタミナが出る食べ物で、
夏バテ防止には最適です。
暑い夏の到来に備えて、人々は「鯖」で
英気を養います。
うどんの日
香川県では、「半夏生」の頃は小麦の収穫時期。田植えや麦刈りは大仕事のため、
隣近所や方々から人手が集まって行われたため
農家の人は収穫したばかりの
麦で打ったうどんを手伝ってくれた人々に
振る舞ったと言われています。
現在、「うどん県」として知られる香川県では、
「半夏生にうどん」が広く親しまれています。
昭和55(1980)年、香川県製麺事業協同組合は
7月2日を「うどんの日」に認定。
県内では無料でうどんを振る舞うなど、
様々なイベントが開催されています。
半夏生の季節に咲く花
「半夏生」(はんげしょう)という呼称は、
植物の名前に由来するとされます。
「半夏生」の呼び名の由来には、
2つの異なる植物が関連しています。
「半夏生」(はんげしょう)と「半夏」(はんげ)です。
「半夏生」(はんげしょう)
「半夏生」とは、花穂のそばの葉が半分白い、
ドクダミ科の多年草です。
葉が白くなる様が、
まるで化粧をしたように見えたことから
「半化粧」(はんげしょう)と呼ばれ、
やがて半“化粧”が転じて半“夏生”となり、
「この花が咲く頃=半夏生」とするように
なったと言われています。
「半夏」(はんげ)
「半夏」(はんげ)はサトイモ科の薬草で、
「烏柄杓」(からすびしゃく)とも言います。
因みに「からすびしゃく」という名前は、
ラッパのような「苞」(ほう)が
柄杓に似ているからとも言われています。
夏の半ばに花が咲くので「半夏」とか、
「半夏生」の頃に姿が多く見られます。
生存力が強い植物で、
塊茎、種子、珠芽のいずれからも
繁殖が可能であることから、
厄介な畑の雑草としても知られています。
生薬「半夏」は、地下に出来る球状の塊茎を
乾燥させたもので、ホモゲンチジン酸
(フェノール類)などの成分を含み、
「鎮静」「鎮吐」「鎮咳」「去痰」などの
作用があります。