うまずたゆまず

コツコツと

かわひらこ

 
 

かわひらこ

現在、普通に使われている蝿(はえ)、蜂(はち)
(せみ)、飛蝗(ばった)、蜻蛉(とんぼ)など
多くの虫の名称は全て日本古来の大和言葉です。
 
 
 
 
ところが「蝶」(ちょう)の呼び名は、
後にChinaから入ってきた「漢語」だそうです。
元々「蝶」のことを大和言葉では、
「かわひらこ(かわびらこ)」と呼んでいました。
 
 
「かわひらこ」という名前は、
川辺をひらひらと飛んでいる様子からついた
と言われています。
「かわひらこ」の「こ」は、
小さなものに対する親愛の情を表す接尾語。
あんなに弱々しくて儚げなのに、
不安も恐れも感じないかのように
無邪気に舞飛ぶ蝶はまるで
無心で生を楽しんでいる幼子のようです。
「かわひらこ」という言葉には、
温かい眼差しが一杯詰まっているようです。
 
 

初蝶(はつちょう)

 
春、3月中旬頃になって、
その年初めて目にする蝶のことを
「初蝶」(はつちょう)と言います。
 
この時期に目撃する蝶は、
前翅(ぜんし)の中央に灰黒色の斑点が2つある
「紋白蝶」(もんしろちょう)
「紋黄蝶」(もんきちょう)
それより更に小さい「蜆蝶」(しじみちょう)
などです。
 
 
「紋白蝶」「紋黄蝶」「蜆蝶」といった
小さな「蝶」が目の前に不意に現れるので、
幻を見たかのように
一瞬立ちすくんでしまいますが、
その行方を目で追っていくうちに、
春を迎えた喜びに心がときめいてきます。
 

胡蝶の夢(こちょうのゆめ)

胡蝶の夢・『荘子』斉物論
昔者むかし荘周そうしゅう、夢に胡蝶こちょうと為る。
昔、荘周は夢でチョウになった。
栩栩然くくぜんとして胡蝶こちょうなり。
ひらひらと飛んでいて、
チョウそのものであった。
自らたのしみこころかなへるかな。
(チョウであることを) 自分で楽しみ、
満足したことだなあ。
しゅうなるを知らざるなり。
(自分が) 荘周であることに
気づかなかった。
俄然がぜんとしてむれば、
則ち遽遽然きよきよぜんとしてしゅうなり。
突然目が覚め、
ハッとして我に返ると
(自分は紛れもなく) 荘周であった。
知らず、しゅうの夢に胡蝶こちょうと為れるか、
胡蝶こちょうの夢にしゅうと為れるか。
荘周の夢で蝶になったのか、
チョウの夢で荘周になったのか
分からない。
しゅう胡蝶こちょうとは、則ち必ずぶん有らん。
(しかし)荘周とチョウとは、
必ず区別があるはずだ。
これ物化ぶっかと謂ふ。
このことをまさしく
「物化(=万物の変化)」というのである。
 
 
「胡蝶の夢」(こちょうのゆめ)は、
古代Chinaの戦国時代(紀元前4世紀頃)の
思想家・荘子(荘周)の『荘子』(そうじ)内編
「斉物論」(せいぶんろん)にある故事です。
 
夢の中で蝶となって
自由に楽しく飛び回っていたが、
目覚めると紛れもなく荘子である。
果たして自分は蝶になった夢をみていたのか、
それとも実は夢でみた蝶こそが本来の自分で
今の自分は蝶が見ている夢なのかという内容で、
『荘子』(そうじ)の中でも重要とされる
「斉物論篇」を締めくくる位置にあります。
 
「斉物論」(せいぶんろん)とは、
「万物は全て斉しい(等しい)とする論」とされ、
是非・善悪・彼我を始めとした区別は
絶対的なものではない事を主張しています。
 
この説話でも、夢と現実(胡蝶と荘子)の
区別が絶対的ではないとされると共に、
捉われのない、何もせずあるがままの
「無為自然」(むいしぜん)の境地が
暗示されているそうです。
 
更に「蝶として飛び回っていた自分が、
夢から覚めると人間の荘子であった」
という点がフォーカスされ、
「美しく楽しい出来事は実は儚い」
「人生もまた夢のように儚い」という
意味としても使われるようになりました。