うまずたゆまず

コツコツと

初荒神・初三宝荒神・初不動・・・

 

28日は、大日如来、不動明王、鬼子母神、
三宝荒神・・・と、多くの神仏の縁日です。
 
「縁日」とは、特定の神仏と
御縁にまつわる特別な日のことで、
それぞれ特定の神仏に割り当てられた
日にちにお参りすれば、
特別な御利益があるとされ、
昔から言い伝えられてきました。
 

 
仏・菩薩が「三十日秘仏」(さんじゅうにちひぶつ)
神様が「三十番神」(さんじゅうばんしん)
「十二支」の暦で割り振られた神仏もいます。
 

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更に日本では、「神仏習合」したことから、
「大日如来」は「不動明王」の化身であったり、
「盧舎那仏」(るしゃなぶつ)
「天照大御神」(あまてらすおおみかみ) と同一視
されたりして、縁日は広く変化しました。
 
 

 
元々「神道」は、太陽などの自然を神と仰ぎ、
自然現象などにその霊力を感じ取ってきました。
日々の恵みをもたらしてくれる神の優しい
温和な霊力「和魂」(にぎみたま)と共に
時には神の怒りを示しているとも言われる
激しい霊威「荒魂」(あらみたま)を発揮して、
風水害・落雷・地震など、大規模な災害を
もたらしました。
 
そこで日本では古来より、
人間社会に災いをもたらす様な神霊を
「荒振神」(あらぶるかみ)と呼んで、
畏れ敬う信仰がありました。
 

 
この日本古来の「荒魂」(あらみたま)に、
古代インドに源泉を持つ
「夜叉」(やしゃ) の形態が取り入れられて、
神道・密教・山岳信仰など様々な要素が混交して
「荒神信仰」(こうじんしんこう) は成立しました。
 
なお「荒神」(こうじん)を祀る寺院や神社は
日本全国に約300社もあるそうです。
 
「夜叉」(やしゃ) は、古代インド神話に登場する鬼神のことを指し、男はヤクシャ、女はヤクシー
またはヤクシニーと呼ばれていました。
顔が恐ろしく残虐かつ暴力的で、
人を食べる半神半鬼の悪鬼神である一方、
北方の守護神である財宝の神クベーラの眷属で、
後に釈迦の説法に帰依し、悪い行いを辞めて
仏法の守護神となりました。
 

 

 
「荒神信仰」(こうじんしんこう) には、
屋内の囲炉裏や竈など火を使う場所に
火の神・火伏せの神として人々を災いから守り、
金銭を融通してくれる家の守護神
「三宝荒神」(さんぽうこうじん)と、
屋外に祀られ、屋敷神や同族神、
地域の守護神として機能する
「地荒神」(じこうじん)とに大別されます。
また牛馬の守護神、牛荒神の信仰もあります。
 
 
「三宝荒神」は飛鳥時代から奈良時代にかけて
役行者 (えんのぎょうじゃ) が感得したのが最初と
言われます。
 役行者 (えんのぎょうじゃ) は、7~8世紀に
 奈良を中心に活動していたと思われる、
 修験道の開祖とされている人物です。
 
 
 
東大寺大仏殿建立の時に、
多数の死傷者が出て悩まれていた聖武天皇が
「荒神を祀れ」というお告げをお聞きになり、
華厳宗の僧・良弁僧正 (ろうべんそうじょう) に命じて
祈願を行わせたところ、
7日目に「三宝荒神」は姿を現したことから、
これを書き写して丁重に祀ると、
全国から怒涛のように寄進が集まり、
大仏殿は無事建立されました。
 

 
また弘法大師・空海が高野山を開く際、
「三宝荒神」の姿を描いて本尊とし、
「立里荒神」(たてりこうじんしゃ) として
祀ったところ、高野山の伽藍は
無事に建立されたと言われています。
 
「立里荒神」(たてりこうじんしゃ) は、
日本三大荒神の一つで、村の中央にそびえる
荒神岳(1260m)の山頂にある神社です。
なお正式名称は荒神社 (あらがみしや) です。
弘仁7(816)年、空海が高野山に伽藍を建立する際に初めてご登山されたと伝わっています。
高野山を開基するに当たり、
一枚の板に三宝荒神の像を描いて本尊として、
17日間に渡って荒神を祀り、
檀上の鬼門に荒神の社を勧請されました。
 
 
 
「三宝荒神」は、仏教系では
仏・法・僧の三宝を守る神様とされています。
「三宝荒神」の尊像は、
三面六臂(三つの顔と六つの腕)か
八面六臂(八つの顔と六本の腕)であり、
「不動明王」に通じる
慈悲極まる忿怒(ふんぬ)の形相をしています。
なお、「不動明王」は、
真言密教の最高仏と位置づけられる
「大日如来」の化身とされています。
 
 
「鬼子母神」(きしぼじん)は、
インドで訶梨帝母(かりていも)と呼ばれ、
王舎城(おうしゃじょう)の夜叉神の娘で、
嫁して多くの子供を産みましたが
近隣の幼児をとって食べるので、
人々から恐れ憎まれました。
お釈迦様に、末の子を隠されて初めて
今までの過ちを悟り、お釈迦様に帰依し、
その後安産・子育の神となることを誓い、
人々に尊崇されるようになったとされて
います。