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涅槃会(ねはんえ)

「涅槃会」(ねはんえ)とは、
お釈迦様(釈尊)がお亡くなりになられた
2月15日に行われる法要のことで、
「花まつり」や「成道会」と並ぶ、
仏教の三大行事「三仏忌」(さんぶっき)のひとつです。
 

 
 

仏教の三大行事「三仏忌」(さんぶっき)

 
仏教には「三仏忌」という3大行事があります。
これは、「花祭り(降誕祭、灌仏会)」「成道会」「涅槃会」の
3つの法会のことで、
全国各地の寺院で、お釈迦様の遺徳を偲ぶ法会が営まれます。
平安時代末期、日照りや疫病の流行などによる社会不安の高まり、
その際に極楽浄土を願う浄土信仰の貴族や庶民へ浸透しました。
この信仰が隆盛するとともに、法会が仏事として定着していきました。
 
花まつり

「花まつり」は、
元々は灌仏会かんぶつえ仏生会ぶっしょうえ降誕会ごうたんえなどともと呼ばれる、
お釈迦様の生誕をお祝いする仏教行事です。
日本では原則として毎年4月8日に行われています。
この日は、華やかな花御堂に安置された誕生仏に
甘茶を注ぐことで仏を供養し、子供達の健康を祈ります。

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成道会(じょうどうえ)

お釈迦様が悟りを開かれたこと(成道)を記念して
12月8日に行われる仏教行事です。
全国各地の寺院では、宗派を問わず
お釈迦様の悟りを讃えて感謝する法要や修行、行事などが
執り行われます。
12月は旧暦で臘月(ろうづき)とも呼ばれることもあるので、
「臘八会」(ろうはちえ)と呼ぶ宗派もあります。
 
 

涅槃会(ねはんえ)とは

 
「涅槃会」(ねはんえ)とは、
お釈迦様が80歳で入滅(にゅうめつ)した
2月15日に行われる法要です。
 
この日には「涅槃図」(ねはんず)をかけて、
「仏遺教経」(ぶつゆいきょうぎょう)などを唱え、
そのご遺徳を偲ぶ法要が行われます。
「仏遺教経」は、釈迦が涅槃に入る前に
最後の教えを行ったという内容で、
戒を守り、五欲を慎み、定を修して悟りの智慧を得ると説きます。
 
普段、非公開の「涅槃図」が掲示されるため、
素晴らしい仏教芸術が見られる大きな機会です。
「絵解き」と呼ばれる涅槃図の説明が聞ける場合もあります。
 
なお、「涅槃会」は誰でも参拝が可能で、
甘酒やお団子が振る舞われるところもあります。

 
 
涅槃図(ねはんず)

 
お釈迦様が8本の「沙羅双樹」(さらそうじゅ)の木々の元に横たわり
その周囲を弟子達や天女の他、信者や、
子丑寅卯など十二支の動物や昆虫達までもが集まって、
悲しむ最後の様子を描いたものです。
生きとし生きるもの全てに慈しみを施した
釈迦の徳を象徴的に表しています。
 
 
お釈迦様が亡くなると、
沙羅双樹の花が季節外れの白い花を一斉に咲かせ、
すぐに花を散らして釈迦の遺体を覆ったと言います。
中央の宝台(ほうだい)の上に釈迦が頭を北にして横たわっています。
これが死者を北枕に安置する由来と言われています。
また、右脇を下にして、
顔は阿弥陀如来のいる西方極楽浄土を向いていると言われています。
 
釈迦の母・摩耶夫人(まやぶにん)
病床の我が子を助けるために天から投げた薬袋が
沙羅双樹の木に引っ掛かって釈迦の元に届きません。
誰であっても死を逃れることはできないということを
意味しています。
 

 
 

涅槃会の時期

お釈迦様は80歳を迎えた頃に、自分の最期が近いことを知り、
3カ月後の入滅を弟子たちに告げて、
終焉の地・クシナガラで涅槃(肉体を捨てた悟りの境地のこと)を
迎えました。
涅槃の時には、集まった弟子達に
「物事は移り変わっていく、
 怠ることなく日々精進しなさい」との言葉を残し、
80年の生涯を終えたとされています。
紀元前383年のことと言われていますが、
実際にお釈迦様が入滅された日ははっきりとしていません。
 

 
南伝仏教では、
お釈迦様はヴァイシャーカ月の満月の夜に亡くなられたとされ、
南方の国々では、
5月の満月の日が涅槃会を実施する日になっています。
 
インドの暦によれば、
ヴァイシャーカ月は第2の月という意味があり、
Chinaには2月が亡くなった月と伝えられたようです。
そのためChinaでは、涅槃会は2月15日に実施されてました。
その影響を受けて、
日本でも2月15日に涅槃会を行うに至ったとされています。
但し、旧暦の2月は現在の3月に当たるため、
寺院によっては旧暦を取り入れて、
3月15日に涅槃会を行うところもあります。
なお日本では、「涅槃会」は飛鳥時代に奈良の興福寺で始まったと
言われています。