「あしはじめてしょうず」と読みます。
だんだんと暖かくなり、
野山だけでなく、水辺の葭(あし)も芽を吹き始める季節です。
葭は、「葦 」とか「蘆」とも書き、
また「悪し」(あし)に通じることを避けて、
「善」(よし)とも読まれます。
「葦原中国」(あしはらのなかつくに)は日本の古称です。
美称して「豊葦原中国」、
略して「葦原国」とか「葦原」とも言います。
「葦原中国」(あしはらのなかつくに)は、
天上界の「高天原」(たかまがはら)、
地下の「黄泉国」(よみのくに)の中間に存在するとされる場所で、
地上世界を指すと言われています。
葦が生い茂っていることが由来とされています。
『古事記』や『日本書紀』には、
「天(あめ)と地(つち)がひらけるはじめは、
国土が浮き漂い遊漁が水の上に浮かぶようであった。
その中から葦芽(あしかび)のようなものが生じて神となり、
国常立尊(くにのとこたちのみこと)ともうしました。・・」と
記されています。
「豊葦原の瑞穂の国」(とよあしはらのみずほのくに)とも言いますが、
「豊」は豊か、「瑞穂」は瑞々しく実る稲の穂の意の美称です。
『古事記』には、
「この豊葦原の千秋の長五百秋の瑞穂の国」という記載があります。
別名に「浪速草」というのがありますが、
これは「水の都」と呼ばれる大阪に多く生育していたためで、
葦(浪速草)は大阪府の郷土の花にもなっています。
水に恵まれた日本では、古くから水辺に生える葦を
屋根や簾(すだれ)、紙や生薬などに活用してきました。
日本人の生活を、ずっと昔から支えてきてくれた植物です。
葦の茎は、竹同様に中が空洞なので、軽くて丈夫です。
葦簀(よしず)や葦笛(あしぶえ)、茅葺き民家の屋根材などとして、
古くから様々な形で利用され、人々の暮らしに身近な植物でした。
根茎は「蘆根」(ろこん)という名の生薬として、
利尿、消炎、止瀉などに煎じて用いられてきました。
また、春先の葦の新芽は、食用にも使われていました。
17世紀の仏の哲学者パスカルは遺稿集『パンセ』の中で、
「宇宙の無限と永遠に対し、自己の弱小と絶対の孤独に驚き、
大自然に比べると
人間は一茎の葦のようなもので、最も弱い存在である。
しかし、人間は単なる葦でなく『考える葦である』」という
名言を残しています。
人間の、自然の中における存在としてのか弱さと、
思考する存在としての偉大さを言い表したものなのだそうです。