一般的にクリスマスを行うようになったのは、
明治時代の明治33(1900)年頃だったそうです。
そして日曜学校に通う子供達のための
「教材」として、
日本初のサンタクロースが登場した小説
『さんたくろう(三太九郎)』が
現在も銀座に本社のあるキリスト教系書店で
出版社の「教文館」から出版されました。
日本のクリスマスの起源
戦国時代
初めて日本でクリスマスが行われたのは
戦国時代(16世紀)と言われています。
天文18(1549)年に、イエスズ会の
フランシスコ・ザビエルとともに
日本に訪れた宣教師らにより、
1552年12月10日(天文21年12月25日)、
周防国山口(現在の山口県・山口市)で
降誕祭のミサが行われたのだそうです。
因みに当時は「クリスマス」ではなく、
「ナタラ」と呼ばれていたんだそうです。
阿蘭陀冬至(おらんだとうじ)
その後はキリスト教の禁教令が出されたため、
クリスマスの祝いすることはなくなったものの、
長崎の出島に出入りする外国人の間では
「阿蘭陀冬至」(おらんだとうじ)と称して、
お祝いをしていたと伝わっています。
クリスマス文化の再到来
明治時代に改めてクリスマス文化が
到来しました。
最初の頃は、宣教師が質素な食事後にツリーに
火のついたロウソクを飾っていたので、
頻繁に火事が起こったという話もあります。
一般的にクリスマスが行われるように
なったのは、明治33(1900)年頃だったそうです。
そして、その頃日本で初めて
サンタクロースが登場する小説(教材)が、
現在も銀座に本社のあるキリスト教系書店・
出版社の「教文館」から出版されました。
「さんたくろう」
明治33(1900)年12月に
日本初のサンタクロースが登場した
小説のタイトルは「さんたくろう」です。
著者は進藤信義さん。
国会図書館デジタルコレクションで
全文を読むことができます。
「さんたくろう」は、
ファンタジーなお話というよりも、
「義理人情に厚い北国の男」
「良い行いをしている子供達に贈り物をする人」
としてサンタクロース「三太九郎」(さんたくろう)
が描かれています。
この小説に描かれた「さんたくろう」は、
白く長いヒゲを蓄え、
三角帽子の代わりに頭巾を被り、
ロングコートを着て、ロングブーツを履き、
大きな袋の代わりに斜めがけのバッグを下げ、
手には小さなツリーを持った、
どこからどう見ても
ただのおじさんにしか見えません。
またお供はトナカイではなく小さなロバで、
背中の籠には色々な玩具を積んでいます。
この物語は元々、
日曜学校に通う子供達のための
「教材」として書かれたものだそうです。
そのため、随所にキリスト教の教えが
出てきます。
「さんたくろう」のお話
8歳の少年、小林峰一とその家族は、
雪の多い北国で暮らしています。
一家は敬虔なキリスト教徒であり、
日々聖書の教えを守ることと、
神様に祈りを捧げることを欠かさずに
過ごしていました。
ある雪の夜、飼い犬の斑犬(ぶちいぬ)が
帽子をくわえて帰ってきました。
「どこかに雪に埋まってしまった人が
いるのではないのか」と
勘づいた父親は、峰一を連れて
その人を助けに向かいます。
旅人は、一家の献身的な看病と
熱心な祈りのおかげで、
奇跡的に一命を取り止めました。
是非お礼をさせて欲しいと言う旅人に、
父親は言います。
一家の話に感銘を受けた旅人は、
自らも神の道に入ることを決意し、
三日目の朝に自分の家へと帰って行きました。
翌年の春、そろそろ麦を刈り取ろうという
季節に入り、突然、父親が病に倒れて
しまいました。
最初は軽い病気かと思っていましたが、
父親の具合は時間が経つごとに
どんどん悪化していきます。
父親は天国へ行くことを覚悟しますが、
峰一と母親は必死に神様に祈りを
捧げ続けました。
すると、天に願いが届いたのでしょうか。
父親の体調は、ある夜から急速に回復し始め、
秋の終わり頃にはほとんど全快と言っても
いいほどに良くなったのでした。
しかし父親が半年も働くことの出来なかった
一家の生活はすっかり荒れてしまってしまい、
もうすぐクリスマスだというのに、
峰一に贈り物一つあげることが出来ないと、
両親は意気消沈します。
親子でこんな会話を交わしたクリスマスの夜、
峰一が眠ってしまった後、一家のもとに
前年の冬に一家が命を救った旅人・井口五平が、
一家とともにクリスマスを祝うために
たくさんの贈り物を持ってやって来ました。
勿論、峰一にもです。
翌朝、目覚めた峰一は、枕元の贈り物を見て
大喜びしました。