うまずたゆまず

コツコツと

梅雨出水(つゆでみず)

 

梅雨時の集中豪雨によって
河川の水かさが増し氾濫することを
「梅雨出水」(つゆでみず)と言います。
 
単に「出水」(でみず)と言えば、
梅雨時の「梅雨出水」(つゆでみず)のことで、
春の雪解けによる洪水は「春出水」(はるでみず)
秋の台風による出水は「秋出水」(あきでみず)
と言います。
 
梅雨も終わり近くなると、特に西日本では、
南方からの湿った空気のために、
秋の台風の頃よりも
豪雨による被害を被ることが多いです。
 
 
「空梅雨」も困りものですが、
降り過ぎて、堤防が決壊したり、
浸水したりするのも本当に怖いものです。
 
 
また、梅雨期、降り続く雨のために、
元々地盤の緩い土地などに出来た陥没のことを
「梅雨穴」(つゆあな、ついりあな)と言います。
所々から水が湧き出て
穴に水が溜まることがあるため大変危険です。更に、この陥没がかなり大きければ、
地滑りなども誘発しかねず、
大きな災害に繋がることもあることから、
洪水や山崩れなど共に、
梅雨期に起こる災害の一つとされています。
 
大雨や台風が近づいている時は、
特に気象情報に注意してこまめにチェックし、
状況に応じて、土砂災害など状況を見極め、
避難などの必要がある場合は
速やかに行動しましょう。
 
 
 
ところで、鎌倉幕府の三代将軍・源実朝は
『金槐和歌集』の中で、
「時によりすぐれば民のなげきなり
 八大龍王雨やめたまへ」
という歌を残しています。
 
「恵みの雨も降り過ぎれば民の嘆きとなります。
 八大龍王よ、もう雨を止めて下さい」
という意味だそうです。
 
 
「八大龍王」(はちだいりゅうおう)とは、
仏法を守護する八つの龍神のことで、
雨乞いや海難など水に関する神様として
全国各地に祀られています。
 「八大龍王」(はちだいりゅうおう)
 難陀 (なんだ) 、跋難陀(ばつなんだ)
 娑羯羅(しゃがら)、和修吉(わしゅきち)
 徳叉迦(とくしゃか)、摩那斯(まなし)
 阿那娑達多 (あなばだった) 、優鉢羅(うはつら)
 
この和歌の詞書には、
「建暦元年七月、洪水天に漫(はびこ)り、
 土民愁歎せむことを思ひて、
 ひとり本尊に向かひ奉り、
 いささか祈念を致して曰く」とあります。
 
「建暦元(1211)年7月、洪水が激しく、
 農民が歎くだろうと、
 一人本尊に向かって、
 微力ながら祈念して、この一首を詠んだ」
ということです。
 
 
但し、治承4(1180)年から文永3(1266)年までの
87年間に起きた出来事を記した歴史書
『吾妻鏡』の中には、
この洪水に関する記述がないため
詳細はよく分かってはいません。
 
 
平成18(2006)年出版の『日本災害史』に、
「11世紀後半から12世紀は
 相対的に気温の高い時期であり、
 旱害や祈雨奉幣などに関する
 史料が頻出しているが、
 一方で水害史料も多く見られる」とあるので
どうやらこの頃は異常気象であったようです。
 
 
ところで、今上天皇陛下 (当時の皇太子殿下) は、
平成27(2015)年に国際連合本部で開催された
「第2回 国連水と災害に関する特別会合」の
基調講演で、この実朝の和歌を紹介されて
います。
 
和歌における水と災害
水は人々の暮らしにかけがえのないものであるだけに,世界でも多くの詩や物語に水が登場します。
日本には和歌や俳句などといった短いセンテンスで自然の情景や人々の心情を表現する独特の詩がありますが,これらに見られる人々の水への想いを紹介していきたいと思います。
 
朝ぼらけ 宇治の川霧 
たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木
(朝,だんだんと明るくなってくる頃,
宇治川に立ち込めた川霧がとぎれとぎれに晴れていき,その霧の間から,しだいに現れてくるあちらこちらの川瀬に仕掛けた網代木よ。)
この和歌は,13世紀の前半ごろに,
藤原定家が百人の優れた歌人の和歌を一首ずつ
選んで編纂した「小倉百人一首」に収められた
藤原定頼の句で,京都のそばを流れる
宇治川の早朝を詠んだものです。
人々が生業とする魚網をかける杭が次第に姿を
表す,幽玄とした朝の風景を描いた詩で,日本における水と人との関係を美しく描写しています。
 
一方,ひとたび豪雨が降れば,水は洪水となり,人々に襲いかかります。
「時により 過ぐれば民の 嘆きなり
 八大竜王 雨やめたまへ」
(時によって,度を越すと民の嘆きとなります。
八大竜王よ,雨をお止めください。)
鎌倉幕府三代将軍源実朝の歌集である
『金槐和歌集』に見えるこの一首には,
「建暦元年(1211年)7月,洪水となるような
 大雨が降り,民の嘆きを思い,
 ひとり本尊に向かい奉って,
 微力ながらも祈念して,歌を詠んだ」
という詞書がついています。
洪水が人々に大きな嘆きをもたらすため,
八大竜王すなわち水の神に訴えて雨が降るのを
とめてくれと懇願しているのです。
 
洪水とともに渇水は人々に大きな災厄をもたらします。歌人大伴家持は、万葉集の中でこう嘆きます。
「雨降らず 日の重なれば 植ゑし田も
 蒔きし畠も 朝ごとに凋み 枯れ行く
 そを見れば 心を痛み 緑子の 乳乞ふごとく 
 天つ水 仰ぎてそ 待つ あしひきの 
 山のたをりに この見ゆる 天の白雲 海神の
 沖つ宮辺に 立ち渡り との曇り合ひて
 雨も賜はね」
(雨の降らない日が重なると、稲を植えた田も、 
 種子を蒔いた畑も、日一日と凋み枯れてゆく。
 それを見ると心が痛く、赤子が乳を乞うように、
 天なる恵みの水を仰ぎ待つことだ。
 あしひきの山の窪みに見える天の白雲よ、
 海神の沖の宮殿あたりまで立ち渡って、
 雲一面を曇らせて、雨を与えてほしい。)
このように,水は人々の暮らしに直結するだけに,
日本でも人々の水への想いは,歴史を通じ,
大変強いものがありました。
ましてや,人々の命を奪う洪水や干ばつなどの
自然現象は,人知を超えた「竜王の所作」で
あったのでしょう。