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江戸に多いもの、伊勢屋 稲荷に犬の糞

 

「江戸に多いもの、
 伊勢屋 稲荷に犬の糞」と
落語でネタにされるほど、
江戸市中には「稲荷」が多かったそうです。
 
 
「江戸名物、武士、鰹、大名小路、広小路、
 茶店、紫、東錦絵、火事と喧嘩と中ぅ腹、
 伊勢屋、稻荷に犬の糞」とは、
落語の一節で、
江戸の市中に多かったものの代表です。
 
「伊勢屋」は質屋のことです。
家康が江戸開府すると同時に
伊勢商人が江戸に続々と出店し、
「伊勢屋」の屋号を掲げたため、
江戸の町には「伊勢屋」が多いと
言われました。
 
「犬の糞」が多かったのは、
これは言うまでもなく、
江戸に野良犬が多かったことによります。
元禄3(1690)年にオランダ商館付の医師として
約2年間出島に滞在し、帰国後、日本での
見聞をまとめた書物『日本誌』を執筆した
ドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペルは
「江戸の町は野良犬どもが
 往来をうろつき廻り、
 通行人の妨げになること夥しい」と
『日本誌』の中に書き残しています。
 
 
 
そして「稲荷」すなわち「稲荷神社」は
お江戸八百八町には必ずあった他、
旗本御屋敷や武家屋敷には、大抵、
稲荷祠がありました。
 
 
 
江戸での「稲荷信仰」は、
かの大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)
三河(愛知県)の「豊川稲荷(妙厳寺)」から
御分霊を勧請し、赤坂の下屋敷に祀ったのが、
きっかけと言われています。

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大岡越前守という著名な名奉行が
信仰していたことに加え、
商売繁盛や金運の御利益から、
江戸での「稲荷信仰」が広まりました。
大岡家の赤坂の下屋敷では、
江戸の稲荷信仰ブームから
毎月「午の日」と22日には門を開けて、
庶民の稲荷への参拝が許可しました。
文政11(1828)年には信徒の強い要望で、
大岡邸内に「豊川稲荷妙厳寺」を創建。
明治20(1887)年に境内が手狭という理由で、
現在の東京赤坂にある「豊川稲荷東京別院
として移転・独立しました。

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江戸時代、「初午」(はつうま) は、
子供達にとって、
稲荷神社で行われるお祭りのことでした。
稲荷神社では皆一様に、太鼓を叩いたり、
住吉踊・道化踊・地踊などをして、
一晩中大いに賑わう
年に一度の人気イベント(子供祭)でした。
 
 
中でも王子稲荷妻恋稲荷、芝の烏森稲荷
日比谷稲荷神社、鉄砲洲稲荷
浅草の袖摺稲荷 (そですりいなり)、豊川稲荷、
玉姫稲荷、三囲神社 (みめぐりじんじゃ)
吉原の九郎助稲荷などが、江戸でも屈指の
「初午祭」を行なっていました。

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旗本御屋敷や武家屋敷では、
「骨正月(二十日正月)」が過ぎると
ぼつぼつ「初午」の準備に取り掛かりました。
 
大燈籠に奉納の発句を書いたり、
「鳥羽絵師」(とばえし) に頼んで
「地口行燈」(じぐちあんどん) を画かせたり、
「田楽燈籠」などを何千本と立て並べるなど、
「初午」は元来は子供のお祭りでしたが、
大人の方が寧ろ大騒ぎをしたそうです。
 
鳥羽絵師(とばえし)
 主に江戸時代に流行した滑稽な絵(戯画)
 「鳥羽絵」(とばえ) を描いた絵師のこと。
 平安時代の「鳥羽僧正覚猷」に因んで
 名付けられました。
 
地口行燈(じぐちあんどん)
 駄洒落(地口)や皮肉を絵にした
 「絵地口」を張った行灯のこと。
 
田楽燈籠(でんがくどうろう)
 棒の先に灯りを灯した飾り燈籠のこと。
 
 
この日の御馳走と言えば、
赤飯や菜飯 (なめし)、焼豆腐、芋、
蒟蒻 (こんにゃく) などの田楽、煮染 (にしめ)
小松菜の芥子あえなどに新沢庵を添え、
一、二輪の梅の花を載せた飯を出し、
神前にはこの他に御神酒と揚 (あげ) を供え、
更に鰶 (このしろ) 二尾を一組にしたもの数組を
「懸魚」(かけうお) として懸け、
神主を招いて祝詞をあげました。