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コツコツと

京都大原の冬の風物詩「ほっこりおかぼちゃ焚き」

 

毎年、「冬至」を含む」3日間、
京都大原にある寂光院では、
「かぼちゃ焚き」が行われています。
令和7(2025)年は12月19日 (金) から22日 (月) の
4日間になります。
 
 

かぼちゃを食べて無病息災!
「ほっこりおかぼちゃ焚き」

建礼門院ゆかりの寺院として知られる
京都大原の「寂光院」(じゃっこういん) では、
冬至」にかぼちゃを食べると
無病息災の御利益があると言われており、
毎年「冬至」に合わせて
参拝者の方へかぼちゃの無料接待
「ほっこりおかぼちゃ焚き」が行われて
います。
 
令和7(2025)年は、
12月19日 (金) から22日(月)の
4日間開催予定です。
 
地元大原産のかぼちゃを
醤油を使わずに甘く炊き上げた
「かぼちゃの炊いたん」が本堂に運ばれると、
まず法要が執り行われ、本尊にお供えされ
ます。
法要が終わったら、客殿で参拝された方々に
「かぼちゃの炊いたん」を振舞うため、
大原女姿の女性の皆さんが運んでくれます。
 
冬至」にかぼちゃを食べると
無病息災の御利益があると言われています。
かぼちゃをいただいて運気を上げましょう。
<開催日時>
 12月19日(金) ~ 22日(月)
 各日9:30から(拝観は9:00から)
<拝観料>
 大人600円・高校生600円・
 中学生350円・小学生100円
 ・無くなり次第終了となります。
 ・かぼちゃ焚きの接待は無料ですが、
  寂光院の拝観料が必要となります。
 

冬至にかぼちゃ

 
冬至」に、
南瓜 (かぼちゃ) を食べる風習が始まったのは、
江戸時代のことだそうです。
南瓜 (かぼちゃ) は夏野菜ですが、保存が効き、
新鮮な野菜が少なくなるこの時期に、
節目である「冬至」に栄養をつけて
寒い冬を乗り切るための先人の知恵です。
 
南瓜 (かぼちゃ) には、体内でビタミンAに
変化するβ-カロテンを始め、
ビタミンC、ビタミンE、鉄分、カリウム、
カルシウム、食物繊維などが含まれており、
風邪の予防を始め、冷え性や貧血の予防、
体力の回復に効果があると言われています。
 
また「冬至」の日に
「ん」が付くものを食べると
運が呼び込めると言われ、
更に「ん」が2つ付く食べ物である
かぼちゃ(なんきん)、にんじん、れんこん、
ぎんなん、きんかん、かんてん、
うんどん(うどん)は「冬至七草」と呼ばれ、
運がつく、風邪を引かない、出世すると
言われています。

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炊いたん


「炊いたん」(たいたん)とは、
京都を始めとする関西の言葉で
「炊いたもの」という意味があります。
 
大根や南瓜、芋などの具材を
ひたひたのお出汁や煮汁で
じっくりコトコトと加熱して、
素材にお出汁や煮汁の旨味を含ませる
調理法を言います。
「大根の炊いたん」とか「南瓜の炊いたん」
のようにして使われています。
 
煮汁の味が食材にしっかりと染み込み、
素材の味を損なわない薄味の
「炊いたん」は、
素材の味は勿論、お出汁の旨味も堪能出来る
昔から好まれてきた京料理の伝統と言っても
よいでしょう。
 
一般的な「煮物」とは違い、「炊いたん」は
煮汁を使ってじっくりと煮含めるイメージに
近いです。
 
ところで「 炊く」と「煮る」には
微妙な違いがあります。
「炊く」は素材に
ひたひたの出汁や煮汁を加えて加熱し、
出汁や煮汁を食材に含ませる調理法です。
一方「煮る」は素材に
たっぷりの出汁や煮汁を加えて加熱する
調理法です。
ですから「豚汁」など、
たっぷりの出汁で食材を煮る料理は
「炊く」ではなく「煮る」になります。
 

寂光院(じゃっこういん)

 
建礼門院ゆかりの寺院として知られる
京都大原の「寂光院」(じゃっこういん) は、
境内には、汀の池や汀の桜など、
『平家物語』に因む庭園があり、
初夏は新緑、秋は紅葉に彩られます。
 
創建
「寂光院」(じゃっこういん) は、
京都市左京区大原にある天台宗の尼寺で、
飛鳥時代の推古2(594)年に聖徳太子が
父・用明天皇の菩提を弔うために僧健したと
伝えられています。
 

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初代住持・慧善比丘尼
 
初代住持 (開基) は、聖徳太子の御乳人であった
玉照姫 (たまてるひめ) で、
「日本仏教最初の三比丘尼」の一人として
知られています。
玉照姫は、敏達天皇13(584)年に出家し、
法名を慧善比丘尼 (えぜんびくに) と称しました。
その後、代々高貴な家門の姫君らが住持となり
法燈を守り続けています。
 
第2代・証道比丘尼
 
第2代は、藤原通憲 (信西) の息女 (または孫) で、
崇徳天皇の寵愛を受けた女官であった
阿波内侍 (あわのないじ) とされます。
 
 
現代和訳
岩に堰き止められた急流が分かれても、
またひとつになるように、私達の間も、
将来必ず結ばれると信じています。
 
この歌は、崇徳上皇を愛し、彼を生涯支え続けた「阿波内侍」に宛てたものと考えられています。
 
 
崇徳上皇が
「保元の乱」後に讃岐に流された後は、
宮中で平清盛息女で高倉天皇の中宮となり、
安徳天皇の母となった
平徳子 (後の建礼門院) に仕えたと言います。
 
 
崇徳上皇が怒りに荒れ狂う中で
無念の死を遂げられた後は出家されて、
永万元(1165)年に「寂光院」に入寺され、
証道比丘尼 (しょうどうびくに) と称して
第2代庵主になったと言います。
 
第3代・真如覚比丘
 
第3代は建礼門院徳子です。
 
「源平の合戦」に敗れ、
壇ノ浦で幼い安徳天皇と共に入水するも、
源氏方に引き上げられて生還。
京へ送還されて出家されました。
文治元(1185)年に5月、「寂光院」入寺され
真如覚比丘尼 (しんにょかくびくに) と称し、
36 歳で亡くなられるまで、
8歳の幼さで亡くなった我が子の安徳天皇や
滅亡した平家一門の菩提を弔いながら、
侍女達とともにこの地に閑居して
終生を過ごしたと言います。
お寺の一角には、建礼門院が過ごした
「御庵室跡」が残っています
 
阿波内侍は、徳子に最後まで忠実に仕え、
最期をみとったと言われています。
 
 
なお、阿波内侍は、大原の里では
柴を売って生活していたとされ、
柴刈りに出た時の姿が大原の娘達に真似られ、
藍染めの筒袖の着物に御所染の前結びの帯、
甲掛 (こうがけ)、脚絆 (きゃはん)
「大原女」(おはらめ) のスタイルになったと
言われています。
 
 
また、大原名物の「柴漬け」は、
寂光院にご閑居されていた建礼門院に
里人が夏野菜を漬け込み献上したところ、
その美味しさにお喜びになられ、
「紫葉漬」(しばづけ) と命名されたそうで、
大原は「柴漬け発祥の地」とされています。
 
 

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