うまずたゆまず

コツコツと

唱歌『たなばたさま』

五節句「七夕」(たなばた) を代表する
唱歌の『たなばたさま』は、昭和16(1941)年に
国民学校教科書『うたのほん 下』に
初掲載されてから70年以上経った今でも
歌い継がれています。
 
 

『たなばたさま』の歌詞

 
『たなばたさま』の歌詞は、
七夕の夜に揺れる竹笹と、
その中で輝く星々の美しさを表現しています。
歌詞には、短冊に書かれた願い事や、
夜空の星がきらめく様子が描かれています。
 
  ♬ たなばたさま 
 ささの葉さらさら
 のきばにゆれる
 お星さまきらきら
 きんぎんすなご
 
 ごしきのたんざく
 わたしがかいた
 お星さまきらきら
 空からみてる
 
 
「ささのはさらさら のきばにゆれる」
(笹の葉さらさら 軒端に揺れる)
こちらは1番の歌詞の前半で、
「屋根の端に飾った七夕飾りの笹が
 風に揺られている様子」を表しています。
この歌詞に出てくる「のきば」は、
漢字で書くと「軒端」になります。
「軒端」は「屋根の壁から張り出した部分」で、
昔はこの「軒端」に七夕飾りを飾ったため、
このような歌詞になりました。
 
「おほしさまきらきら きんぎんすなご」
(お星様キラキラ 金銀砂子)
こちらは1番の歌詞の後半部分です。
「きんぎんすなご」は漢字では「金銀砂子」で、
「砂子」(すなご) とは、
「金箔や銀箔を、砂のように細かくしたもの」で
蒔絵・色紙・襖などに吹き付けられた
金銀箔のことです。
「たなばたさま」の歌詞では「金銀砂子」は、
「天の川の星々がキラキラと輝いている」
ことを表すのに使われています。
 
「ごしきのたんざく わたしがかいた」
(五色の短冊 私が書いた)
2番の歌詞の前半部分の「ごしきのたんざく」は
漢字では「五色の短冊」と書き、
「五色」は陰陽五行説の
「黒(紫)・白・赤・青(緑)・黄」のことです。
この五色はそれぞれに意味を持っています。
七夕の短冊では、それぞれに意味があります。

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「おほしさまきらきら そらからみてる」
(お星さまキラキラ 空から見てる)
2番の歌詞の後半部分は、
星空の輝きとそれを見上げる子供達の心を
巧みに表現しています。
この歌を通じて、子供達は七夕の伝統や
星空の美しさに触れることが出来ます。
 

「たなばたさま」の誕生


唱歌『たなばたさま』は、第二次世界大戦中の
昭和16(1941)年に生まれました。
国民学校初等科2年生(今の小学校2年生)の
音楽の教科書『うたのほん 下』に
載せるために作られ、第7曲目初出しています。
戦争中に作られたとは思えないほど優しく、
子供の心に寄り添うような温かさ溢れる歌で、
現在まで多くの人々に歌われ、愛されてきました。
 
作詞は作詞家で童謡詩人の権藤はなよ、
詩人の林柳波 (はやしりゅうは) が作詞の補助し、
作曲家で音楽教育家の
下総皖一(しもおさ かんいち)が作曲しました。
 
『たなばたさま』の作曲者
下総皖一
下総皖一 (しもおさ かんいち) は、
明治31(1898)年3月31日に現在の埼玉県加須市で生まれました。
大正9(1920)年、
現在の東京藝術大学(東京音楽学校)で
作曲を信時潔 (のぶとき きよし) に師事し、
首席で卒業後はドイツのベルリン芸術大学で
パウル・ヒンデミットに師事し、
ドイツの和声法や対位法を修得。
帰国後は母校の助教授となり、
昭和17(1942)年に教授、昭和31(1956)年からは
東京芸術大学音楽学部長を務めました。
数々の音楽理論書を著し、
日本近代音楽の基礎を作ったとされています。
 
 
門下には團伊玖磨、佐藤眞、芥川也寸志、
松本民之助、山岸磨夫、須田くにおなどが
います。
代表作には、『たなばたさま』『野菊』
『はなび』などの童謡・唱歌がある他、
宮城道雄との合作による『壱越調箏協奏曲』『三味線協奏曲』など、日本の伝統楽器を
用いた作品も発表しました。
全国の小・中学校・高等学校の校歌や
県歌、市歌、合唱曲なども手掛けました。
 
『たなばたさま』の作詞者
権藤はなよ
『たなばたさま』の作詞を手掛けた
山梨県韮崎市出身の童謡詩人の権藤はなよは、
山梨県師範学校卒業後、
母校の尋常小学校に勤務しますが、
文学への強い思いから上京。
大正後期から昭和初期にかけて全盛だった
「童謡運動」を推進した詩人の一人、
野口雨情に師事し、出版社に勤務しながら、
『金の星』『童話』などに
童謡詩、童話を発表しました。
 
宮崎県出身の声楽家・権藤円立と結婚後は、
吉祥寺に住み、武蔵野村第一尋常小学校
(現・武蔵野市立第一小学校)に勤めます。
昭和7(1932)年には、女性による最初の童謡集、
権藤はな子童謡集『雪こんこお馬』を
上梓しました。
平成8(1996)年に復刻版が出版されています。
 
平成25(2013)年7月7日に、
故郷の山梨県韮崎市の穴山さくら公園
童謡「たなばたさま」の詩碑が設置されました。
 
詩碑の裏面
権藤はなよ 略歴
旧姓 伊藤はなよ 筆名 権藤はな子
明治三十二年 北巨摩郡穴山村に生まれる
大正八年 山梨県師範学校を卒業
母校の穴山小学校に勤める
声楽家の権藤円立と結婚
東京の吉祥寺に住む
武蔵野市立第一小学校に勤務
野口雨情に師事し 童謡詩人として活躍
昭和七年 童謡集「雪こんこお馬」を出版
短歌詩「美知思波」 同人
兄は歌人の伊藤生更
昭和三十六年永眠 享年六十二
平成二十五年七月七日建立

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