「♪ 夏がくれば思い出す
はるかな尾瀬 遠い空・・・」の
歌い出しで知られる『夏の思い出』は、
夏を感じさせる数多の楽曲の中でも
清々しい初夏の風景と懐かしさを
感じさせてくれる名曲です。
昭和24(1949)年に
ラジオ番組の中で初めて発表され、
その後現在に至る迄、中学校の音楽教科書に
掲載され続けていることもあって、
令和になった今でも日本人に親しまれています。
『夏の思い出』誕生の経緯
NHKの歌謡番組
NHKでは、戦前、
「家庭で歌える流行歌を独自に作ろう」
という趣旨で「国民歌謡」などの番組を
放送していました。
そして終戦後の昭和21(1946)年5月1日からは、
国民に親しみやすい曲を紹介する
「ラジオ歌謡」という番組を開始しました。
第1作は昭和21(1946)年5月に発表された
『風はそよかぜ』という心温まる春の歌で、
その後、『朝はどこから』『三日月娘』
『あざみの歌』『山小舎の灯』『さくら貝の歌』
『森の水車』『雪の降るまちを』など、
今でも叙情歌として親しまれている作品を
数多く発表しました。
夢と希望の歌
作詞家の江間章子 (えましょうこ) が
「荒廃した国土に暮らす日本国民に
夢と希望のある歌をお願いします」と
NHKから作詞の依頼を受けたのは、
昭和22(1947)年のことでした。
題材に困っていると、
ふうっと、子供の頃に岩手山麓で見た
「水芭蕉」の白い花が浮かんできました。
更に昭和19(1944)年の5、6月頃に、
疎開先の近所の人に誘われて食糧を求めて
尾瀬の入口の林の中の湿地帯一面に
水芭蕉の白い花が咲いているのを見た瞬間、
岩手山麓の水芭蕉とのイメージがダブり
夢心地になったことを思い出しました。
「戦争末期の昭和19年ですよ。
こんな時でも、夢と希望があるんだと
思いました。
その感動、思い出を詩にしました。
そうして書き上げたのが「夏の思い出」です」
と後に語っています
(平成12年5月23日(火)の読売新聞より)。
尾瀬ってどこですか?
NHKの制作部に出来上がった
『夏の思い出』の原稿を持って行きますが、
「尾瀬ってどこですか?」と
ディレクターの反応は冷たく、
危うくボツになりそうだったそうです。
実は当時、「尾瀬」は、
僅かに植物学者や地質学者、
登山者だけが訪れる静かな湿原で、
一般の人にはほとんど知られていない場所
だったのです。
ちょっとお粗末なんじゃないかい?
その詩に新進作曲家の中田喜直が曲をつけて
誕生したのが『夏の思い出』です。
中田喜直は、作曲を依頼された時点では、
作詞者の江間との面識がなく、
また尾瀬にも行ったことがなかったそうです。
中田が初めて尾瀬を訪れたのは、
作曲から約40年後の平成2(1990)年のこと。
「当時、私は一度も尾瀬に行ったことは
なかったが、いつものように、詩を読んで
いるうちに湧いてきたイメージをもとに
その場で書き上げた。
後に尾瀬を訪れる機会を得て、
この詩の素晴らしさを改めて感じた」と
後に語っています。
平成21年発行『中学生の音楽1』(教育芸術社)
江間の詞を受け取った中田は、
とても作りやすい詩であったので
即座に作ってしまい、
ピアノを弾きながら歌っていました。
するとたまたまそれを聞いていた母親が
「ちょっとお粗末なんじゃないかい?」と
言います。
そこで今度は詩の言葉を大切にして
丁寧に見直して改作したのが、
名曲『夏の思い出』です。
後年、中田は『夏の思い出』について
「僕にとっては『母の思い出』
とも言える作品」と語っており、
完成の経緯もあって印税は全て
母親に渡したそうです。
日本人の愛唱歌に
そしていよいよ、昭和24(1949)年6月13日に
NHKラジオ番組『ラジオ歌謡』にて
石井好子の歌で『夏の思い出』が流れると、
瞬く間に多くの日本人の心を捕え、
日本人の愛唱歌として口ずさまれるように
なりました。
昭和29(1954)年に、
藤山一郎によるレコードが発売されると、
藤山の端正で美しいテノールの歌声が魅了し、
大ヒットしました。
昭和37(1962)年8月から9月には、
NHKの『みんなのうた』で
高木淑子とヴォーチェ・アンジェリカ (女性6人からなるコーラス・グループ) の歌で
紹介されました。
昭和44(1969)年からは
当時の文部省の「学習指導要項」の改訂に伴い
中学校の音楽の必修曲 (共通教材) に指定され、
そのため幅広い世代に親しまれています。
平成18(2006)年には、
「日本の歌百選」に選定されました。
歌碑
なお群馬県片品村ではこの功績を称え、
江間章子を名誉村民の第1号に選定しました。
また江間章子の故郷・岩手県西根町でも
名誉町民第1号に選び、江間章子賞を設けて、
県内の小中学生が書いた詩に賞を
贈っています。
尾瀬の福島県側の玄関口の檜枝岐村には
『夏の思い出』の歌碑があり、毎朝6時に
村の防災無線でこの曲が放送されています。
一方群馬県側の玄関口である片品村にも
国道401号「尾瀬かたしなライン」沿いに
『夏の思い出』の歌碑があり、
近くには『夏の思い出』の
メロディーラインがありましたが・・・・
道路補修工事のためアスファルトを削り、
その後、復活することも出来ないまま、
現在に至るとのことです。
残念です。
『夏の思い出』
『夏の思い出』は、聴く人がまさに
「夏がくれば思い出す」原風景を
思い出させてくれるような温かい楽曲です。
尾瀬の自然の壮大さや色彩豊かな風景が
シンプルな言葉で、
まるで絵画のように見事に描かれています。
そして、過酷な冬を乗り越えて咲く
「水芭蕉」に希望を重ねたり、
夕暮れの空に
「遠い日の母(あるいは大切な人)」の
面影を重ねたりと、
風景描写がそのまま
作者の内面世界を表しています
ですが夏の楽しさを描いた歌ではありません。
この歌が見詰めているのは、
過ぎ去ってしまった時間、
そしてそれを思い出す時に生まれる、
少しだけ胸の奥が痛むような感覚です。
歌詞
夏の思い出
作詞:江間章子
作曲:中田喜直
作曲:中田喜直
1.夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬 遠い空
霧のなかに うかびくる
やさしい影 野の小径
水芭蕉の花が 咲いている
夢見て咲いている 水の辺 (ほと) り
石楠花 (しゃくなげ) 色に たそがれる
はるかな尾瀬 遠い空
2.夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬 野の旅よ
花のなかに そよそよと
ゆれゆれる 浮き島よ
水芭蕉の花が 匂っている
夢見て匂っている 水の辺り
まなこつぶれば なつかしい
はるかな尾瀬 遠い空
一番の歌詞

夏という季節が訪れる度に、
立ち込める霧の向こう側の「野の小路」を
かつて一緒に歩いたであろう
「やさしい人」の面影がぼんやりと
浮かび上がってきます。
「遠い空」とは
思い出の地である岩手の情景であって、
「やさしい人」とは
その景色を通して浮かんでくる
自分を愛で包み込んでくれた母親のことを
表しているのかもしれません。
そして尾瀬の景色の中に、
岩手の思い出の景色を見つけたことで
心の飢えを癒し、
夢と希望を見い出したのではないでしょうか。
情景の美しさと心の中に湧き出る
温かな気持ちが重なる魅力的な歌詞です。
二番の歌詞
「野の旅」とあるため、
尾瀬の小路を散策している様子が想像出来ます。
進んで行くと、花の中に揺れる「浮き島」を
見つけます。
尾瀬ヶ原には、「池塘」(ちとう) と呼ばれる
大小約1800個もの池が点在しています。
その「池塘」の中にあるのが「浮き島」で、
「池塘」の縁が切り離されたり、
底が剥がれて浮かび上がって作られ、
「浮島」の表面はミズゴケに覆われ、
モウセンゴケやツルコケモモなどが
寄せ植えされたように生えています。
風がある日には浮き島がゆっくりと動くのが
見られるそうです。
後半では「水芭蕉」の香りに注目しています。
「水芭蕉」は最盛期になると、
香水のような甘い香りを放つ花です。
実は人間の五感の中で、「嗅覚」だけが
「記憶」と「感情」のメカニズムに
ダイレクトに作用するという
特別な構造を持っています。
そのため、特定の「匂い」を嗅いだ時に、
それに結びつく過去の記憶や感情が
無意識に呼び起こされるのです
(プルースト現象)。
そう言えば、「水芭蕉」の花言葉は、
「美しい思い出」「変わらぬ美しさ」です。
これは、尾瀬に咲く水芭蕉の情景を歌った
『夏の思い出』に因んでいるそうです。
葉に包まれて咲く姿や香りに
どこか懐かしさを感じることが由来だそうです。
曲の特徴
『夏の思い出』は、何よりも生徒にとって
歌いやすい歌であることが特徴です。
特に、変声期を迎える男子生徒にとっては、
音域が高過ぎず低過ぎずのラインとなって
います。
4小節のまとまりが4回繰り返される
シンプルな構造で作られていますが、
とても細かな配慮がなされた曲でもあります。
同じ旋律が繰り返されても、
後半で伴奏形や和音を変えることで
曲全体に変化と表情を持たせています。
また大きな跳躍音程はなく、
滑らかな音の繋がりで
あたかも階段を上り下りするように
穏やかで美しい旋律になっています。
更に記憶の中の風景を描くように、
全体的にピアノ (P:弱く) を基調としていますが、
強弱記号によって歌詞で描かれている風景が
巧みに表現されています。
尾瀬(おぜ)
尾瀬とは?
「尾瀬」は、福島県・栃木県・群馬県・新潟県の
4県にまたがって広がる、
燧ヶ岳 (ひうちがたけ)・至仏山 (しぶつさん) など
2000m級の山々に囲まれた、
日本最大の山岳湿地です。
平成19(2007)年に「日光国立公園」から、
「尾瀬国立公園」として指定されました。
平成17(2005)年には「ラムサール条約」への
登録もなされています。
見渡す限りの広大な湿原の中を木道が走り、
春のミズバショウ、夏のニッコウキスゲ、
秋の草紅葉と、季節毎に表情を変える湿原、
神秘的な池沼、可憐な高山植物が
訪れる人々を魅了し続けています。
日本の自然保護運動の発祥地
『夏の思い出』がラジオで放送されるやいなや
空前の大ヒットとなり、
「知る人ぞ知る」存在だった尾瀬の名は
全国区となりました。
尾瀬の名が全国的に知られるようになったのは
まさにこの歌の力によるところなのです。
しかし、観光客があまりにも殺到し、
湿原が踏み荒らされるなど
湿原の荒廃が深刻な問題となりました。
また戦前から
幾度もダム建設が計画がされるなど、
約1世紀にも渡り
尾瀬は開発の危機にありました。
これに対し、学者や自然保護団体、地元住民が
猛烈な反対運動を展開したことにより
ダム建設計画は完全に終結。
こうした自然保護運動が実を結び、
尾瀬は昭和9(1934)年に
「日光国立公園」の一部として指定
(後に単独で「尾瀬国立公園」)され、
「日本の自然保護運動の象徴」となりました。
その後、尾瀬では全国の国立公園に先駆けて
「木道の整備」「湿原への立ち入り禁止」
「ペットの同伴NG」「ごみ持ち帰り運動」
「トイレの有料化」「マイカー規制」など、
環境保全のための厳格な保護ルールが作られ、
受け継がれてきました。
また最近ではシカ食害対策など、
美しい自然景観を護るために
人々が積極的に活動しています。
水芭蕉の花
「水芭蕉」(ミズバショウ)は、
まだ風の冷たい早春に、山野の水辺や湿地で
純白の大きな花を咲かせる
サトイモ科ミズバショウ属の多年草です。
実は花に見える部分は花ではなく
「苞」(ほう) と呼ばれる葉が変形したもので
苞の中央の円柱状の部分にある
小さな穂のようなものが
「花」に相当するものだそうです。
この「苞」が終わると
葉が大きいものでは1m以上にも成長し、
この大きな葉が「芭蕉」に似ていることから、
水辺にある芭蕉で「水芭蕉(ミズバショウ)」と
名付けられたそうです。
ところで尾瀬の「水芭蕉」のシーズンは、
湿原の雪がようやく消える
5月下旬から6月上旬に当たります。
そのため、折角、夏に来たのに
「水芭蕉」を見ることが出来なかった
という人が多いそうです。
「水芭蕉を見ようと、夏休みに尾瀬に行ったら
既に水芭蕉の季節は終わっていた。
あの歌の題名は間違っている」と某週刊誌に
書いた女性の旅行評論家もいたようです。
江間はそれについて、
「尾瀬において、水芭蕉が最も見事な5、6月を
私は夏と呼ぶ、それは歳時記の影響だと思う」
と述べています。
確かに「水芭蕉」は「夏」の季語ですから、
間違いではありませんね。
