東京都内最古の寺院「浅草寺」(せんそうじ) では、
毎年7月9日、10日の2日間、江戸の夏の風物詩「四万六千日・ほおずき市」が開かれ、
多くの人々で賑わいます。
四万六千日・ほおずき市
毎年7月9日、10日は、
浅草寺境内に「ほおずき市」が立ち、
ガラスの風鈴付きの竹籠に入った
ほおずきを売る露店が約100軒軒を連ねて、
夜遅くまで賑わいます。
元々、7月10日は「四万六千日」と呼ばれる
観音様の縁日で、この日にお詣りすると
4万6千日分の功徳があると云うことで、
江戸時代からこの日のお詣りが盛んに
なりました。
「ほおずき市」としては、6月23・24日に
東京都港区の「愛宕神社」で行われる
「千日詣り・ほおずき縁日」の方が古いです。
この縁日で買った青ほおずきを煎じて飲むと
癪 (しゃく) を癒し、子供の疳の虫 (かんのむし) に
効能があるとされました。
『江戸名所花暦』には、
「此日境内にて青き鬼灯を鬻ぐ (ひさぐ) 。
小児に吞するときハ虫の病の根を切ると
云ならハせり」とあります。
浅草寺の「ほおずき市」では、
実を付けたほおずきや、
江戸風鈴の付いた鉢植えのほおずきが、
約1,000円~2,500円くらいで販売されます。
東京の「お盆」は7月13日から始まるため、
ほおずきを提灯として用い、
先祖の供養を行うことが多いようです。
またこの2日間限定で授与される
黄色の掛け紙「黄札」や「雷除札」を
求める人も多いです。
なお10日は、「ほおずき」の売り切れと同時に
店が閉まるため、
10日にほおずきの購入を考えている場合は
早めに出向くことをおススメします。
四万六千日
(しまんろくせんにち)
今でこそ「ほおずき市」の方が
馴染み深いのですが、
江戸時代は「四万六千日」目当てに、
誰もが得を得ようと浅草に押しかけました。
この日に参拝すると、
「四万六千日」(しまんろくせんにち) 分に相当する
功徳 (くどく) を授かる特別なラッキーデーと
されたからです。
7月10日に一番乗りで参拝したいという人が増え
前日の9日から意気込んだ人々が
多く訪れるようになったことから、
9日・10日の二日間が縁日とみなされるように
なりました。
「四万六千日」の由来は、
「46000日=約126年」であることから、
「一生に相当する功徳を与える」という
意味から来たと言われています。
また、米一升分が大体46000粒であるため、
「一升」と「一生」の語呂合わせから来ている
という説もあります。
なお「四万六千日」(しまんろくせんにち) は、
江戸時代中期に始まったもので、
「浅草寺」の他にも、
京都東山山麓の「清水寺」、
聖徳太子が建立した「四天王寺」など、
観世音菩薩を祀る寺社で縁日が行われ、
当初は「千日詣(千日参)」
(せんにちもうで/せんにちまいり) と言われました。
それでも「浅草寺」の人気が圧倒的だったのは
浅草一帯が江戸随一の大歓楽街で、参拝後、
茶店や見世物小屋などが集まる
「浅草奥山」(あさくさおくやま) に
立ち寄りやすかったからでしょう。
浅草奥山(あさくさおくやま)
浅草寺本堂の北西一帯。
江戸一番の庶民娯楽の場で、水茶屋の他、
見世物小屋が並び、軽業や居合、手妻 (奇術)
などの大道芸人が人々を楽しませました。
明治になると、見世物小屋の多くは
六区に移転していきました。
また「明暦の大火」 (1657) の後は、
浅草寺の裏手の程近い場所に、
吉原(幕府公認の遊郭)が移転。
更に「天保の改革」により、芝居の町である
猿若町が移って来たこともあり、
参拝後のお楽しみには事欠かなかったことから、
お参りついでに観光を楽しもうと思う人は多く、
たとえ「四万六千日」を行っている寺院が
ご近所にあったとしても、
わざわざ浅草寺まで足を運びました。
赤とうもろこし
7月10日に「四万六千日」に
「市」が出るようになったのは、江戸中期。
そして文化年間(1804-18)頃に
屋台で売られていたのは、
雷除けの「赤とうもろこし」でした。
『東都歳時記』によれば、
「赤いとうもろこし」を天井から吊るしていた
農家が落雷の被害を免れたという逸話が
由来です。
実は、千住で栽培された「とうもろこし」が
偶然赤い実になったため困っていたところ、
たまたまこの年は雷が多かったので、
「雷除け」と名付けて売り出したところ、
大ヒット。
この「赤いとうもろこし」を
破魔矢のように家に飾っておくと、
その家に雷が落ちないと言われました。
雷おこし
ある年の「四万六千日」は雨が降ったので、
参拝客が少なくなって
「赤いとうもろこし」が売れ残りました。
余った商品をどうにか処理するために、
「赤いとうもろこし」で
「おこし」を作り売ったのが
「雷おこし」の由来だそうです。
雷除けのとうもろこしを使ったので
「雷おこし」になったそうです。
なお浅草寺の他にも、
芝の「魚籃観音」(ぎょらんかんのん)、
駒込「光源寺」(こうげんじ) の大観音、
本所の「回向院」(えこういん)、
青山の「梅窓院」(ばいそういん) などでも、
7月10日の「四万六千日」の日には
「赤いとうもろこし」が販売されたようです。
ところが明治初(1868)年頃、不作によって
「赤とうもろこし」が出回らないことがあり、
これに困った信徒が浅草寺に
「雷除け」のお守りを求めたことから、
浅草寺では竹串に挟んだ三角形の
「雷除け守護札」を授与するようになったと
言われています。
「赤とうもろこし」から
「ほおずき」へ
この風習は次第に廃れて、
明治の終わり頃には、
「ほおずき」を売る市に変わり、
やがて芝の愛宕神社をしのぐ盛大なものに
なっていったようです。
そして遂には江戸中に広がったようです。
そして艶々と輝くオレンジ色のほおずきの鉢が
境内にずらりと並ぶ「ほおずき市」が
各地に立つ頃には、梅雨も明け、
いよいよ本格的な夏の到来を告げる
夏の風物詩となりました。
7月9日・10日の両日は、
参拝客目当てに近郷の農家で栽培された
鉢植えのほおずきを売る店が立ち並びますが、
この鉢植えのほおずきにも変遷があります。
かつては高さ30㎝程で
2~3㎝位の実がたくさんついた
「千成り (せんなり) ほおずき」が主流でしたが、
今では昔ながらこのほおずきは数が少なくなり、ほとんどが早生で、朱赤色の美しい大実種の
「丹波ほおずき」になっています。
また多くのほおずきの鉢には
「風鈴」がついているのが見られます。
これは暑さを和らげるという目的の他に、
澄んだ音色で邪気払いをするという
意味があるそうです。

