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「鵜飼」(うかい)

 

 5月11日から岐阜県の長良川では、
 伝統的な漁として知られる「鵜飼」が
 行われます。
 

「鵜飼」(うかい)とは

「鵜飼」(うかい)とは、
「鵜匠」(うしょう)が飼い慣らした
「鵜」(う)を巧みに操って
川にいる魚を獲る漁法のことです。
幻想的な篝火を焚きながらの漁は、
昔のままの姿を残す夏の風物詩です。
 

「鵜飼」の歴史

日本での「鵜飼」の起源は、
各地の古墳から「鵜飼」を表現していると
見られる埴輪が出土しているため、
少なくとも古墳時代には鵜飼が行われていた
可能性があります。
 
日本最古の歴史書『日本書紀』には、
「鵜養部」(うかいべ)に関する記述が見られます。
鵜養部(うかいべ)
「梁を作つて魚を取る者有り、
 天皇これを問ふ。
 対へて曰く、臣はこれ苞苴擔の子と、
 此れ即ち阿太の養鵜部の始祖なり」と、
『日本書紀』神武天皇の条 
 
同じく日本最古の歴史書『古事記』にも
鵜養のことを歌った歌謡が載っています。
 
文献では、大宝2(702)年の正倉院宝物
「御野国戸籍」に「鵜養部」の名が見られること
から、鵜飼漁は1300 年以上の歴史を持つと
されています。
 
鵜は魚を丸呑みするため、
傷がつかずに鮮度を保ったまま
脂が乗った良い魚を獲ることが出来るため、
鵜飼鮎は献上品として殊の外珍重され、
安土桃山時代以降は、幕府及び各地の大名に
よって鵜飼は保護されていきました。
 

 
織田信長は、鵜飼を生業とする高い技術を
持つ者を「鵜匠」(うしょう)と名付けて保護し、
例えば武田信玄の使者が岐阜を訪れた際に、
鵜飼観覧に招待しておもてなしをしたと
言われています。
 
江戸幕府にも保護され、将軍家への鮎鮨献上、
歴代尾張藩主による鵜飼漁の上覧が慣例化
される等、長良川の鵜飼漁は江戸幕府や
尾張藩の保護を受けました。
17世紀後半になると、全国各地の大名が
参勤交代等の折に、長良川の鵜飼漁を観覧しに
岐阜を訪れるようにもなりました。
 

 
また、松尾芭蕉は貞享3(1686)年に
長良川を訪れた際、鵜飼の句を詠んでいます。
おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな
 鵜飼の一夜が更けて鵜舟が帰りゆく頃は、
 あれほど鵜飼をおもしろがっていた心が、
 そのまま悲しく切ない思いへと変わってゆく
 ことだ。
 

 
しかし、明治維新後は大名等の後援を失い、
古代漁法として伝承されてきた鵜飼漁法は
消滅の危機に瀕しました。
そうした中、明治天皇の巡幸に随行した
岩倉具視らが鵜飼を見て、天皇に鮎が献上した
のを契機に、岐阜県は宮内庁に保護を願い出
ます。
そうして明治23(1890)年、
宮内省は長良川に3か所の御料場を設置し、
そこで唯一漁を行える鵜匠に職員の身分
(宮内庁式部職鵜匠)を与えることにより、
引き続き、御料鵜飼として鵜飼漁が行われる
ようになりました。
御料場では、皇族方による鵜飼御視察もあり、
近年では、平成9(1997)年に天皇皇后両陛下、
平成17(2005)年に秋篠宮同妃両殿下、
平成24(2012)年に皇太子殿下が鵜飼を
ご視察されました。
 

鵜飼の「鵜」(う)

 
「鵜」はカツオドリ目ウ科の水鳥の総称です。
世界中に分布し、合計39種類程の鵜が知られて
いますが、日本国内で確認されているのは、
ウミウ(海鵜)・カワウ(川鵜)・ヒメウ(姫鵜)・
チシマウガラス(千島鵜鴉)の4種です。
 
日本の鵜飼では、その中でも最も体格の良い
「ウミウ(海鵜)」が用いられています。
この鵜飼いに使われる「ウミウ」は、
養殖されたものではなく、
全て茨城県「鵜の岬」で捕らえられてきた
「野生の鵜」です。
 
昭和22(1947)年、ウミウは「一般保護鳥」に
指定されたことにより捕獲が禁止されたため
「鵜の岬」がウミウの唯一の捕獲場になりました。
鵜の岬は、渡り鳥であるウミウの休憩地で、
春には北方へ、秋には南方へ向かうウミウが
ここで羽を休めます。
その時、日本で唯一鵜捕獲の免許を持つ名人が、鈎のついた鵜捕り棒で鵜を捕獲します。
 
「鵜匠」の家には、いつも20羽前後の鵜が
鳥屋(とや)の中で放し飼いにされています。
鵜飼では2羽でペアをつくって漁をするため、
その2羽同志は仲が良く、他の鵜が近づくと
喧嘩になることもあるそうです。
 
鵜の食事は1日1回、主に冷凍のホッケなどが
与えられますが、鵜飼シーズン中は、
餌の量を少なくして、鵜飼に連れて行く前は
鵜にしっかり鮎を獲ってもらうために、
空腹の状態にしているそうです。
勿論、漁が終わったら、
ちゃんと食事は与えられますのでご安心を。
 
鵜飼の日は、まず鵜の体調などをチェックして
連れて行く鵜と行かない鵜に分け、
ペアになっている鵜2羽ずつを鵜籠(うかご)
入れます。
連れて行かない鵜にはこの時に餌を与えます。
 

「鵜舟」(うぶね)

鵜匠を乗せる舟を「鵜舟」と言います。
鵜舟の先頭で焚かれている篝火は
照明としての役割だけでなく、
光に敏感な鮎を驚かせ活発にする効果や、
川面を照らすことで鵜が鮎の姿を捉えやすく
するなど、様々な効果があります。

 

日本の三大鵜飼

長良川の他に、愛媛県大洲(おおず)
肱川(ひじかわ)の「大洲のうかい」、
大分県日田市の三隅川「三隈川の鵜飼」が
「日本三大鵜飼」と呼ばれています。
これ以外にも、日本全国の9つの川で
鵜飼漁が行われ、夏の風物詩となっています。
なお現在の鵜飼は、漁による直接的な生計の
維持というよりは、観光事業として行われて
います。
 
長良川鵜飼(岐阜県岐阜市)
・開催期間:5月11日~10月15日
岐阜の長良川で採れた鮎は、
「御料鵜飼」(ごりょううかい)として
皇室に献上されます。
 
大洲(おおず)の鵜飼い(愛媛県大洲市)
・開催期間:6月1日~9月20日
篝火を炊いた鵜匠船と客船の屋形船が並走して川下りをする、国内でも珍しい「合わせうかい」が行われる「大洲の鵜飼い」。
鵜が水飛沫を上げながら魚を捕る光景を間近で見ることが出来るその「近さ」が醍醐味です。
 
三隈川(みくまがわ)鵜飼(大分県日田市)
・開催期間:5月20日~10月31日
水郷日田の夏の風物詩「三隈川鵜飼」。
三隈川(みくまがわ)で鵜飼が行われるようになったのは、今から約400年前。
当時日田を統治していたた豊臣秀吉の家臣が、岐阜から鵜匠を招いて三隈川で鵜飼をさせたことが始まりと言われています。
江戸時代に徳川幕府の直轄地となった天領の時代からは、屋形船から鵜飼を見物する川遊びが盛んに行われるようになり、夏の夜の風物詩として定着するようになりました。
 

その他の鵜飼開催地

石和(いさわ)鵜飼(山梨県笛吹市)
・開催期間:7月中旬~8月中旬、週に4日間
毎夏、笛吹川の「石和温泉」付近で行われる
石和鵜飼」では、鵜匠が船に乗らずに、
川の中を歩きながら鵜を操って魚を獲る「徒歩鵜」(かちう)という漁法が伝統的に行われています。
 
木曽川うかい(愛知県犬山市)
・開催期間:6月1日~10月15日
夜空に浮かび上がる国宝犬山城を背景に篝火で川面を赤々と染めながら川を下る「木曽川うかい」。全国に先駆けて「昼鵜飼」を行っています。
 
三次(みよし)鵜飼(広島県三次市)
・開催期間:6月1日~9月10日
戦国時代に毛利氏に敗れた尼子氏の落武者が徒鵜を行っていたのを起源とする「三次鵜飼」。現在は毎年夏、江の川水系馬洗川で観光用にのみ行われています。
 
嵐山鵜飼(京都府右京区)
・開催期間:7月1日~9月23日
嵐山鵜飼」の歴史は平安時代に遡ります。
在原業平は「大堰川うかべる舟のかがり火にをぐらの山も名のみなりけり」と詠んでいます。
 
宇治川の鵜飼(京都府宇治市)
・開催期間:7月1日~9月30日
平安時代には既に行われていたと言われる
宇治川の鵜飼」。
藤原道綱母は『蜻蛉日記』に、宇治の川岸から鵜飼を見物した様子を興味深く書き留めています。