風薫る(かぜかおる)
初夏、特に5月頃に木々の間を吹いてきて、
青葉の香りを運んでくる爽やかな心地良い
南風のことを「風薫る」(かぜかおる) と言います。
「風の香」(かぜのか)とか「南薫」(なんくん) という
言い方もあります。
この「風薫る」は、平安朝の頃には、
梅や桜など花の香りを運んで来る風を表わす
言葉でした。
それが、「薫風自南来」(薫風南より来たる)
という漢詩の影響などもあって、
夏の南風に乗って来る香しい気分を表す
季語になったようです。
薫風自南来
「薫風自南来」は、初夏の5月に掛けられる
茶室の掛け軸として使われることが多い
禅語ですので、
茶道をしている方の中には
見たことがある方も多いのではないでしょうか。
この「薫風自南来」の最初の出所は、
9世紀の文宗皇帝から始まった五言絶句であり、
その後も文人や禅僧社会で語り継がれて
有名になりました。
意味
「薫風自南来」の書き下し文は
「薫風南より来たる」(くんぷう みなみよりきたる) で
「初夏、爽やかな風が南から吹いてくる」
という意味になります。
また、悟りの境地や心の清々しさを
表現することもあります。
なお「薫風 南より来る」(くんぷう みなみよりきたる) と読むより、
「薫風自南来」(くんぷうじなんらい) と読むのが
習慣的です。
由来
「薫風自南来」の語は、
唐の皇帝・文宗(在位827〜840)の起句を、
書家で政治家でもあった
柳公権 (りゅう こうけん) が受けた詩句が
元になっています。
人 皆 苦 炎 熱
我 愛 夏 日 長
薫 風 自 南 来
殿 閣 生 微 涼
人は皆炎熱 (えんねつ) に苦しめども
我れは夏日 (かじつ) の長きを愛す
薫風 (くんぷう) 南より来たりて
殿閣 (でんかく) 微涼 (びりょう) を生ず
前半の二句は文宗皇帝 (ぶんそうこうてい) で、
後半の二句が柳公権 (りゅう こうけん) によるもの
です。
皇帝は「皆、夏の暑さを苦しむが、
私は夏の日が長いことを愛す」
と詠ったのに対して、
柳公権は「爽やかな風が南から吹いてきて、
宮殿内は僅かな涼しささえ生じる」と
答えた漢詩です。
世の人々は夏の暑さを嫌がるが、
私はその夏が長いことを好んでいる。
暑い中、時折吹く薫風によって
宮中が清々しくなるのはとても心地良く、
こんな気分は夏でないと味わえないといった
意味です。
更に進んで、
一般の人が苦悩するようなことでも、
我が身の心掛けと受け取り次第では
楽しんで受け容れることが出来るというのは、
我々も日常よく見聞するところであるという
意味になります。
ところでこの漢詩が有名になったのは
後世の二つの故事によります。
批判
その約200年後、
宋代随一の文豪・蘇東坡 (そとうば) は
この漢詩を、皇帝の身勝手で人民の苦しみを
思いやることのないものとして
「為政者の思い上がりの詩」と批判しています。
そして当時の上流階級の人々への諷刺を込めて
一篇の詩を作ります。
一 為 居 所 移
苦 楽 永 相 忘
願 言 均 此 施
清 陰 分 四 方
一たび居の為に移されて
苦楽永く相忘る
願わくば言わん、
此の施しを均しくして
此の施しを均しくして
清陰を四方に分けたんことを
皇帝陛下は生まれながらにして
広々とした宮中に住んでおられるので、
天下の人々が炎熱の中に苦しんでいるのに
気がつかないのです。
どうか、もっと天下万民の上に思いを寄せ、
「薫風自南来、殿閣微涼を生ず」のような
楽しみ、安らぎを人々に分かち与えてこそ、
皇帝ではないでしょうか。
禅語「薫風自南来」
ところで「薫風自南来」というこの語が
禅語として重用されるのは、
この因縁話とは関係はありません。
この句が禅門で親しまれるようになったのは、
『碧巌録』(へきがんろく) の大成者である
圜悟克勤 (えんごこくごん) がした説法を聞いた
宋末 (12世紀半ば) の臨済宗の禅僧、
大慧禅師 (だいえぜんじ) が悟りを開かれた
からです。
圜悟克勤がした
説法とは?
『碧巌録』(へきがんろく) の大成者である
圜悟克勤 (えんごこくごん) がした説法とは
次の通りです。
圜悟克勤禅師の説法の中で、
ある僧と雲門禅師の問答の話をされました。
ある僧が雲門禅師に尋ねました。
「悟りの境地とはどのようなものですか?」
雲門禅師は答えました。
「東山水上行」(東の山が水上を流れて行く)
この言葉に対して、私(圜悟克勤禅師)なら
こう答えよう「薫風自南来 殿閣生微涼」
雲門禅師「東山水上行」
この「東山水上行」(とうざんすいじょうこう) も
よく知られている禅語のひとつです。
『雲門広録』(うんもんこうろく) によると、
唐末の高名な禅僧・雲門禅師 (うんもんぜんじ) は、
「三世の諸仏の悟りの境地とは」と問われて
「東山水上行」と答えられたそうです。
三世の諸仏
過去・現在・未来の三世に在す
諸々の仏陀の総称
「東の山が川の上を流れて行く」という、
動かないはずの山が動くという、
現実にはありえないことなのですが、
「動くもの」「動かないもの」と
分けて考える枠さえ脱した境地が、
悟りの境地と雲門禅師は言っているのです。
仏教の世界では、
物事を例えば「好き」「嫌い」など、
分けて考えることから不幸が生まれると
考えます。
「好き」「嫌い」や「動く」「動かない」など
物事を分けて考える人の習性のことを、
「分別」と言います
ですから雲門禅師は、悟りの境地とは、
「分別」を超えた境地のことでもあり、
「動く」「動かない」という「分別」を超えた
境地を悟りの境地として示したのです。
圜悟克勤が付け加えた
「薫風自南来 殿閣生微涼」の意味
雲門禅師の「東山水上行」の
「分別を乗り越えた境地」というのは、
「一陣の薫風によって吹き払われて、
無駄なものがすっかり無くなったような
境地」という意味なのでしょう。
大慧禅師が感得したこととは?
では大慧禅師 (だいえぜんじ) は
この「薫風自南来、殿閣生微涼」を聞いて
何を感得したのでしょうか。
私達は何かというと損失にこだわり、
利害に囚われ、愛憎に偏り、善悪にこだわり、迷悟 (めいご) に囚われ、凡聖 (ぼんしょう) に偏って
右往左往する毎日です。
しかし、それらの対立的観念を
一陣の薫風によって吹き払ってしまえば、
多くの選択を迫られる日々でも
こだわりもなく、囚われもなく、
偏りもなく、柔軟に対処して
清々しい日々を過ごしていけるのでは
ないでしょうか。