夏の夕べ、水辺などで幻想的な光を放ちながら
舞う蛍を追って捕らえたり眺めたりすることを
「蛍狩り」(ほたるがり)と言います。
蛍狩り(ほたるがり)
夏の宵、幻想的な光を放つ蛍の舞う姿を眺める
「蛍狩り」(ほたるがり)は日本の夏の風物詩です。
古来、「蛍狩り」の対象となってきたのは
大きい「源氏蛍」と小さい「平家蛍」です。
「源氏蛍」と「平家蛍」の違い
源氏蛍(げんじぼたる)
「源氏蛍」は日本の固有種で、
本州以南に分布し、5~7月頃に見られます。
体長は源氏蛍の方がが大きくて、
背中中央に黒い十字架のような模様が
あります。
曲線的に飛んで、2~4秒に1回強く光ります。
平家蛍(へいけぼたる)
一方「平家蛍」は日本の固有種ではありません。
日本全国・朝鮮半島・China北部などに分布し、
7~8月頃に見られるます。
体長は源氏蛍の半分程度と小さく、
背中には黒くて太い縦の線があります。
直線的に飛んで、1秒に1回弱く光ります。
「源氏蛍」「平家蛍」という
名前の由来
源氏蛍という名前の由来には諸説あって、
今のところ定説はありません。
・「光る」と『源氏物語』の光源氏をかけた
とする説
とする説
・光ることに一種の力を感じたことから、
山伏を意味する「験師」(げんじ)に由来する説
・光るので暗くてもよく見えることから、
「顕示」(けんじ)に由来する説
(柳田国男)
・戦に敗れた源頼政の亡霊が蛍となった説
・蛍が乱れ飛ぶ様子を「蛍合戦」と呼んで、
源平合戦になぞらえたという説
「源氏蛍」という名前が先につけられ、
「平家蛍」という名前は後になって付けられた
ものとみられます。
「平家蛍」は「源氏蛍」よりも小さくて、
光も弱いことから、源平合戦で源氏に負けた
平家の名がつけられたようです。
「蛍狩り」という言葉が
生まれたのは江戸時代
室町時代の寛正元(1460)年の
東福寺の僧の日記『碧山日録』には、
夏になると宇治橋の上や船上に
貴賤の人々が群れ集い、
川面を乱舞する蛍を観賞する様子が記され、
宇治の風物詩として「宇治川の蛍」が
定着していたことが分かります。
そして「蛍狩り」(ほたるがり)という言葉が
登場したのは、江戸時代初期と言われています。
「蛍狩り」と言っても、
蛍を捕まえることではありません。
「狩り」という言葉には、
動物などを捕まえるという意味の他に、
「紅葉狩り」などと同じように
「季節の風物を楽しむ」「鑑賞する」という
意味があります。
今で言う『観光ガイド』のようなものが
出版され、「蛍狩り」の名所が紹介され、
「蛍狩り」は江戸時代には
かなりメジャーなイベントとなっていた
ようです。
江戸市中の蛍の名所
江戸市中の蛍の名所としては、
江戸中期に著された『続江戸砂子』では、
高田落合・関口・王子石神井川・谷中宗林寺、
江戸後期刊行の『江戸名所花暦』では、
ほたる沢・姿見の橋・王子下通り・江戸川の辺・
深大寺が名所であるという記載されています。
そしてこういった蛍の名所には、
1万人の人々が蛍狩りに集まったようです。
特に神田川と妙正寺川が落ち合う
「落合」(現在の新宿区下落合近辺)は、
清流が落ち合うことが
名の由来と言われたこともあって
キレイな水を求めて蛍が多く集まりました。
この蛍は大きくて一際明るかったことから
「落合蛍」(おちあいほたる)と呼ばれ、
「落合」は蛍の観光スポットになりました。
『江戸名所図会』の「落合土橋」の項には
ホタルについての説明があります。
「この地は蛍に名あり。
形大いにして光も他に勝れたり。
山城の宇治、近江の瀬田にも越えて、
玉の如く又星の如くに乱れ飛んで、
光景最も奇とす。夏月夕涼多し」
また浮世絵「落合ほたる」には、
蛍狩を楽しむ人々の姿が描かれています。
蛍の俳句
江戸中期になると、
「蛍狩り」(ほたるがり)を季語とした俳句が
多く詠まれるようになっていきます。
<小林一茶>
・大蛍ゆらりゆらりと通りけり
・舟引の足にからまる蛍かな
・舟引の足にからまる蛍かな
・わんぱくや縛られながらよぶ蛍
・夕暮れや蛍にしめる薄畳
・さくさくと飯くふ上を飛ぶ蛍
・出支度の飯の暑さやとぶ蛍
・孤(みなしご)の我は光らぬ蛍かな
<与謝蕪村>
・学問は 尻から抜ける ほたる哉
・狩衣の袖のうら這ふ蛍かな
・掴みとりて心の闇のほたる哉
・さし汐に雨の細江のほたる哉
・洪水を見てかへるさのほたるかな
・水底の草にこがるる蛍哉
・ほたる飛ぶや家路にかへる蜆(しじみ)売り
・辻堂の仏にともすほたる哉
・淀舟の棹の雫もほたるかな
・佐保河のほたるに遊ぶ上草履
・手習ひの顔にくれ行くほたるかな
・静けさの柱にとまるほたるかな
・淀舟の棹の雫(しずく)もほたるかな
<松尾芭蕉>
・昼見れば首筋赤きほたる哉
・草の葉を落つるより飛ぶ蛍かな
・目に残る吉野を瀬田の蛍かな
・己が火を木々の蛍や花の宿
・蛍灯の昼は消えつつ柱かな
蛍籠(ほたるかご)
蛍を入れる籠を「蛍籠」(ほたるかご)と言います。
中にスギナのような葉の細かい草を入れて、
霧を吹いて蛍を放ち、
蛍が静かに明滅するのを見て楽しみました。
昔は各地で作られましたが、現在はその作り手もなく見かけることが少なくなりました。
最近、この技術をアレンジした蛍籠が
インテリアとして注目を集めています。
現代の蛍狩り
かつては田植が終わった頃、
そこここの水辺で蛍を目にするのは
珍しいことではありませんでした。
捕まえた蛍を「蛍籠」に入れて持ち帰って
「蚊帳」に放ち、
「蛍火」を目で追っているうちに
いつしか寝入ってしまう。
農薬などの散布で一時は姿を消しましたが、
近頃ではあちこちに
「蛍狩り」の新名所が生まれ、
蛍狩りツアーや都心の庭園での「蛍見」が
人気を呼んでいます。
「蛍」は、午後7時頃から光り始め、
午後8時から9時頃が活動のピークになります。
特に、蒸し暑く風もない、月明かりがない
曇り空の時に多く飛び回ります。
逆に、雨の日や風が強かったり、気温が低い時、
月明かりが明るい夜はあまり飛びません。