春から初夏にかけ、
黒潮に乗って太平洋岸を北上する鰹は、
「初鰹」(はつがつお) と言って、
江戸っ子の間で人気は熱狂を極めました。
旬は年2回!
「初鰹」と「戻り鰹」
「鰹」は、水温の高い海域を好み、
冬季は暖かいフィリピン沖の海域などに
生息する魚です。
寒い時期が終わる頃から「黒潮」に乗って、
イワシ等の餌を求めて
群れをなして太平洋側を北上します。
そして秋が深まる頃になると、
今度は産卵活動に入るために
南方の海に向かって「黒潮」を下ります。
基本的に鰹には旬が2回あり、
1度目は4月から5月にピークを迎える「初鰹」、
2度目は8月から9月にピークを迎える「戻り鰹」
です。
それぞれの時期によって、
呼び方や味わいが異なります。
鰹の旬・1「 春」

「初鰹」と呼ばれる鰹の旬の時期は、
3~5月です。
3月頃には九州南部の地域、
5月頃には本州の地域で、
「初鰹」として水揚げされます。
そして「初鰹」はエサを探して
北上している最中なので、
身が引き締まっていて脂はのっていません。
サッパリ食べられて、プリプリした食感を
堪能するのが「初鰹」です。
🐟呼び方 :初鰹・上りガツオ
🐟旬の時期:3月~5月
🐟脂身が少なく、サッパリとした旨味
🐟身が引き締まっているので
プリっとした食感
プリっとした食感
鰹の旬2.「秋」

🐟呼び方 :戻り鰹・下りガツオ・
トロカツオ
トロカツオ
🐟旬の時期:9月~11月
🐟脂が乗っていて濃厚な味わい
🐟産卵に向け肥えているので、
こってりとした食感
こってりとした食感
江戸っ子の「初物好き」
江戸っ子の「粋」の証
「初物」(はつもの) とは、旬の「走り」や
出始めたばかりのもののことで、
どんなものでもシーズンの初めは
珍しさが先行し、値段も高いものですが、
値段など気にせずに「走り」を買うことこそが
江戸っ子にとっての「粋」の証でした。
初物七十五日
古くから「初物を食うと寿命が75日伸びる」
という言い伝えがあり、どんなものでも
「初物」というだけで珍重され、
その中でも「初鰹」は活きが良く、
よりエネルギーや生命力を感じられ、
特に人気の「初物」でした。
江戸の「初鰹」人気
江戸での「初鰹」の人気は元禄頃に始まり、
特に熱狂的だったのは、
明和・安永・天明・寛政の18世紀後半
だったようです。
当時、江戸の人々は「初鰹」を競って求め、
驚くような高値がつくようになります。
「初鰹」の出始め
寛文5(1665)年の
幕府の魚鳥野菜の出回り時期の定めでは
「初鰹」の出始め4月(新暦5月)でした。
桜が散り、木々が青葉に変わり始める初夏に
「初鰹」は水揚げが始まることから、
夏の始まりを告げる食べ物として浸透しました。
「初鰹」は初夏の季語です。
江戸中期の俳人・山口素堂 (やまぐちそどう) の
「目には青葉山ほととぎす初鰹」という
有名な句があります。
将軍様の初鰹
そんな青葉の頃に
相模湾・鎌倉沖で獲れた「初鰹」は、
早舟「押送船」や早馬で日本橋まで運ばれ、
まず将軍様に献上されました。

「押送船」(おしおくりぶね) とは、
江戸時代に主に関東地方の漁村から
江戸の魚市場へ鮮魚を急送するために
使われた小型の快速船です。
主に房総、相模、伊豆の沿岸に多く見られ、
帆と櫓を併用して漕ぎ進めました。
この船が港を出たと聞きつけると
江戸庶民は大騒ぎとなり
船が戻ると多くの人で賑わったそうです。
初鰹の最高値は年収の2倍

次に大名や豪商、高級料亭などが、
魚河岸から金にものをいわせて
法外な値段で買い取ったそうです。


11代将軍家斉の頃、文政6(1823)年には、
「初鰹」1本に金4両という最高値が
つけられた言われています。
これは男の町方奉公人の当時の年収が
2両の時代ですから、庶民にとっては
まさに目の飛び出るような金額でした。
庶民も、少し待てば安くなるのは承知の上で
「初鰹」を食べるのに躍起になったようです。
「まな板に 小判一枚 初鰹」(宝井其角) とか
「褞袍 (どてら) 質に置いても 初鰹」
「女房子供を質に置いてでも初鰹」と
詠われました。
初鰹レース

その年に一番最初に水揚げされた
「初鰹中の初鰹」に最も高い値段が付けられ、
二番目以降は大幅に値下げしてしまうことから当時漁師達は、一番最初に水揚げするために
激しい競争をしていたようです。
一番最初の「初鰹」を
どうしても食べたい庶民の中には
「漁港で待っているよりも、
舟で近くまで行った方が
他の人よりも先に手に入れられるのでは」と
「初鰹」を受け取るために沖まで行く人達も
いたようです。
奢侈の人の初鰹を賞翫するに、
魚屋の持来るを待てば、其品すでに劣るとて、
時節を計り品川沖へ予め舟を出し置、
三浦三崎の方より、
鰹魚積みたる押送船を見掛け次第、
漕寄せて金一両を投げ込めば、舟子は合点して、
鰹魚一尾を出すを得て、櫓を飛して帰り来る、
是を名付て真の初鰹喰と云へり
(喜多村香城『五月雨草紙』慶應4年)
鰹の江戸時代の食べ方
ところで刺身と言えば、「薬味」や「つま」が
ないと美味しさも半減してしまいます。
現在、「鰹」の薬味と言えば
「生姜」とか「にんにく」ですが、
当時、鰹はどうして食べていたのでしょうか。

川柳に次のようなものがあります。
「梅に鶯、鰹には辛子なり」
「初かつお辛子がなくて涙かな」
「初鰹 銭とからしで 二度なみだ」

「初鰹」の刺身の「薬味」には
「辛子」がつきものとされ、
「辛子醤油」か「辛子味噌」で食べるのが
一般的だったようです。
これで鰹の生臭さを消したのでしょう。

なお、脂が乗ってきた頃の鰹は
醤油に「大根おろし」がよいとされていた
ようです。

また上等な刺身の「つま」は、
千切りにした「ウド」、「生の海苔」、
「防風の芽(浜防風)」、タデの芽の「姫蓼」
でした。
一方安物の刺身の「つま」は、
「黄菊」海藻の「ウゴ」だったそうです。
