うまずたゆまず

コツコツと

春は眠い。・・・「春眠暁を覚えず」「朝寝」に、「蛙の目借り時」⁉

春は眠い。とにかく眠い。
朝は布団から抜け出せないし、
日中も睡魔に襲われて、
眠くてたまらなくなります。
 
 

春眠暁を覚えず

 しゅんみんあかつきをおぼえず
「春眠暁を覚えず」とは、
春の夜は眠り心地が良く、
朝が来たことにも気付かずに
寝過ごしてしまうという
非常に風情のある表現です。
 
漢詩『春暁』(しゅんぎょう)
「春眠暁を覚えず」の語源は、
唐の詩人・孟浩然 (もう こうねん) が詠んだ
漢詩『春暁』(しゅんぎょう) の冒頭の一節です。
 
 春眠不覚暁
 (しゅんみんあかつきをおぼえず)
 処処聞啼鳥
 (しょしょていちょうをきく)
 夜來風雨聲
 (やらいふううのこえ)
 花落知多少
 (はなおつることしんぬたしょうぞ)
 
春の暁は気候も暖かく、心地良い眠りに
夜が明けたのも知らず寝過してしまったが、ふと眼を覚ませば、あちこちで小鳥の
啼く声が聞こえる。
そう言えば、昨夜は風雨の音が激しかった。
あの嵐で庭の花はさぞたくさん散ったこと
だろう。
 
短い詩の中に、春の朝の素晴らしさや
自然の風情を感じられる作品です。
爽やかな朝の空気、溢れる日の光に、
花の散り敷いた庭などを思い浮かべながら、
「行く春」を惜しむ情感が巧みに表現されて
います。
 

朝寝(あさね)

「春眠暁を覚えず」の
「春眠」の意味が派生して出来た春の季語に
「朝寝」(あさね) があります。
 
春の朝は寝心地が良いので
たとえ十分な睡眠をとっていても、
つい寝過ごしてしまう、
いつまでもうつらうつらと
温かい寝床にくるまっていたいという
意味を持った言葉です。
 
また春は日照時間が長くなり始めているため、
同じ睡眠時間でも、目覚める頃には
すっかり明るくなっているということも
意味しています。
 

蛙の目借り時
(かわずのめかりどき)

 
蛙がしきりに鳴き交わす晩春の眠気を催す頃を
「蛙の目借り時」(かわずめかりどき) と言います。
 
眠くなるのは、蛙が人の目を借りるために
人間も眠くなるという俗説に基づいたものです。
ただ何故この時期に
蛙が人間の目を必要とするのか
はっきり判ってはいません。
 
 
蛙の単調な鳴き声を聞いていると、
つい、うつらうつらと眠くなって来て、
「目がいくつあっても足りないくらい眠い」
という気分を、蛙を引き合いにして
言ったのでしょうか?
 
 
鎌倉後期の延慶3(1310)年頃の成立とされる
類題和歌集『夫木和歌抄』に
藤原光俊という人が詠んだ
「つとめすと 寝もせで夜を明かす身に
 めかる蛙の心なきこそ」という
和歌が載っているのですから、
「蛙の目借時」という言葉自体は
随分古くからあったようです。
 
 
また「めかり」は、
「妻狩り」とか「雌離り」であるという説も
あります。
 
地域や種類によって異なりますが、
4月から7月(ピークは5月~6月)は、
水田を主な棲み処とする多くの蛙にとって
繁殖期に当たり、オスはメスを求めて
しきりに鳴き立てる時期です。
 
 
「妻狩る」は、蛙が配偶者を求める行動、
つまり、相手を求めて鳴き立てることを
指しているそうです。
 
 
一方「媾離り」は、
早春に交尾が済ませて産卵した後、
もう一度土中に潜ったり、木陰や草陰に隠れて
静止状態を続け、初夏になるまで出て来ない
行動を指しているそうです。
なるほど蛙もまた、産卵後は一時、姿を消し、
春眠をむさぼっているのですね。