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陽炎(かげろう)

 

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陽炎(かげろう)

春から夏にかけて日差しが強くなるにつれて、
地面が熱せられ、
そこから空気がゆらゆらと揺らめいて
立ち上って見える「陽炎」(かげろう)
現れる日や場所が多くなります。
 
「陽炎」が起こる仕組み
地面が強い直射日光に熱せられると、
暖かい空気は密度が小さく軽いため上へ、
冷たい空気は密度が大きく重いため下へと
動こうとして、空気がかき混ぜられて、
空気の温度(密度)分布に
ムラがある状態になります。
 
このようなかき混ぜられて空気の密度が
不均一かつ変動しているような
ムラのある状況下では、
光が様々な向きに屈折するため、
その向こうの景色が歪んだり揺れたりして
見えるという訳です。
 
晴れて日差しが強く、風が穏やかな日に、
アスファルトの道路や砂浜・線路・
車のボンネットの上などでよく見られます。
また、飛行機のジェットエンジン付近や
焚火の上でゆらゆらと揺らめいて見えるのも
同じく「陽炎」です。
 
「逃げ水」との違い
「陽炎」と同じように、
日差しが強く暑い日に
地面付近で起こる光の屈折による現象に
「逃げ水」(にげみず) があります。
 
「逃げ水」は、「蜃気楼」の一種で、
光の屈折によって
地面に空などが反転して映り
水たまりのように見える現象です。
 
「陽炎」も「逃げ水」も、
空気の密度(温度)の差がもたらす
光の屈折によって起こる点は同じです。
 
「陽炎」が
局所的な空気の密度の揺らぎにより
空気がゆらゆらと立ち上って見える
現象であるのに対して、
「逃げ水」は地面の近くの空気の密度差が
地面付近が温められた密度の小さな空気で、
その上に冷たい密度の大きな空気と
層状になっている点で異なります。
 
光は密度の小さい地面付近の方が
速く進みますが、
密度の境界は段階的に変化しているので、
密度の差による光の屈折も段階的に起こり、
光は下方向にカーブを描きながら
私達の目に届きますが、
人は目に入ってくる光の延長線上に
その物体があると錯覚するため、
地面の方向に遠くの空や景色が映ったように
見えるという訳です。
 
紫外線対策
揺らめく「陽炎」を見かけたら、
日差しが強いという証拠ですから、
外出時には日焼け止めや日傘で
しっかりと紫外線対策を行って下さい。
 

春の季語

麗らかな春の日
現在では夏の道路などで見られる
「蜃気楼」の意味で使われることが多い
「陽炎」(かげろう) という言葉ですが、
春の暖かさや長閑さ、麗らかな陽気に
合うということから、
「春の季語」として親しまれてきました。
 
明け方の光
明け方の日の出る頃に、
東の空に見える明け方の光、
「曙光」(しよこう) という意味もあります。
 
「東の野に 炎の立つ見えて
  かへり見すれば 月傾きぬ」
  ひむかしののに かぎろいのたつみえて
      かへりみすれば つきかたぶきぬ
 
 東の空は、
 曙の太陽の光が差してくるのが見え、
 振り返って西を見ると、
 月が西の空に沈んでいこうとしている。
 
『万葉集』(巻一 48)
 
これは、宮廷歌人であった柿本人麻呂が
後の文武天皇、軽皇子 (かるのみこ) のお供で、
奈良県宇陀郡にあった野原・阿騎野 (あきの)
随行した時に柿本人麻呂が詠んだ歌です。
軽皇子を東の空の太陽に、
軽皇子の亡父・草壁皇子 (くさかべのみこ) 
沈みゆく月に見立てて、
父宮は不幸にして崩御されましたが、
後を継ぐ皇子が立派にこの世を治めていくことを述べた歌であるとされます。
 
人の心の状態を表現した意味
「儚いもの」「ほのかなもの」
「陽炎」の揺らめきを
「儚いもの」や「ほのかなもの」、
「不安定なもの」「幻覚のような状態」など
といった人の心の状態を表現した意味で
使われることもあります。
 

「陽炎」の別称

陽焔(ようえん)
麗らかな春の日に、野原に立ち昇る気のことを
「陽焔」(ようえん) とも言います。
 
野馬(かげろう・やば)
「陽炎」を
「野馬」(かげろう・やば) と表記する例が
『荘子(逍遥遊篇)』などに見られます。
「野馬」は野生の馬や放牧の馬のことで、
「陽炎」の揺らめきを、
まるで自由奔放な野馬のように捉えて、
その様子を表現していると言われてます。
 
 野馬也 、塵埃也、
 生物之以息相吹也。
 天之蒼蒼、其正色邪?
 其遠而無所至極邪?
 其視下也、亦若是則已矣。
 
野馬 (かげろう) と塵埃 (じんあい) と
生物の息を以て相吹くなり。
天の蒼蒼たるは、その正しき色なるか?
その遠くして極みに至ることなきためか?
その下を視るや、また是くの若くならんのみ。
 
野馬 (かげろう)、あるいは巻き上がる砂埃、
こういったものは、
何がしか大きな者の呼吸によって
産み出されているのではなかろうか。
その遥かな高みに広がっている
天空の美しい蒼さは天空の本当の色なのか?
それとも天空と地上が隔たっていて
遥かに遠く離れているからそう見えるのか?鵬の高みから見下ろせば、
この大地は蒼一色に見えるに違いない。
 
 
糸遊(いとゆう)、遊糸(ゆうし)
「糸遊」は、「陽炎」の意の漢語
「遊糸」(ゆうし) の影響を受けて出来た表記と
言われています。
 
漢語の「遊糸」の元々の意味は、
中晩秋、または初春の快晴の日に、
ある種の蜘蛛が糸を吐きながら
風に乗って空を浮遊していると、
その糸が光に屈折して
ゆらゆらと光って見えるというものです。
 
「陽炎」が「絲のように」立ち昇っていると
見たのでしょう。