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コツコツと

花咲男(はなさきおとこ)

 
江戸時代、大変な人気を集めた見世物芸人に
「花咲男」(はなさきおとこ) という人がいました。
花咲男さんの芸は何かというと・・・
「へ」っ!
 
 

見世物(みせもの)って?

 
「見世物」(みせもの) とは、
寺社の境内や都市の盛り場で、
祭礼や縁日に臨時に小屋掛けをし、
珍しい芸能、珍品珍獣、からくりなどを見せて
金銭をとる興行を言います。
 
室町時代に始まりましたが、
盛行を極めたのは江戸時代に入ってからで、
京都では四条河原、
大坂では道頓堀や難波新地、名古屋では大須、
江戸では両国、上野広小路、浅草奥山などで、
香具師 (やし) の手で盛んに興行されました。
(※香具師≒テキヤ)
 
 
見世物小屋で展示された見世物は
おおよそ次の3種類でした。

1.手品、軽業 (かるわざ)、曲独楽 (きょくごま)
  舞踊、武術などの「曲芸」

2.畸形 (きけい)、珍獣珍禽 (ちんきんじゆう)
  異虫魚 (いちゅうぎょ)、奇想木石 (きそうぼくせき)
  などの「天然奇物」

3.からくり、生人形 (いきにんぎょう)
  籠細工 (かございく)、貝細工などの「細工物」

 

花咲男とは、何者?

人気芸人
大変な人気を集めた見世物芸人に
「花咲男」(はなさきおとこ) とは、
安栄3(1777)年の4月から、
江戸の両国で演芸を始めた人気芸人です。
 
その芸は何かというと「曲屁」(きょくべ)
「曲放」(きょくひり) とも言います。
「曲屁」(きょくべ)?「曲放」(きょくひり)
簡単に言えば「おなら芸」です。
 
「曲屁」(きょくべ) 、「おなら芸」とは、
音の高低や長短、強弱を様々に変えながら
放屁することにより、聞き手を楽しませる芸
のこと(だそう)です。
 
この花咲男 (はなさきおとこ) さん、
自由自在に屁を放つことが出来たらしく、
「見世物」始まって以来の珍興行ということで
毎日見物人が足の踏み場もないほど殺到し、
付近の「見世物」が崩壊したほどだったと
言われています。
 
江戸期の蘭学者で発明家の平賀源内も
「昔語花咲男」(むかしがたりはなさきおとこ)
「放屁論」の中で記していますし、
その他にも色々な文献で話題にされました。
 
実際にどんな芸を披露したのか?
 
花咲男さん、まず舞台の中央に座って、
自ら口上を述べた後、
下座にいるお囃子の合わせて
「トツピョロピョロピッピッ」と
屁をかまします。
 
次いでニワトリの朝の鳴き真似。
「ブ・ブゥ~ブゥ~」
 
その後も、昔から伝えられた梯子屁
(プップップッと連続的に放つおなら)を始め、
長唄や端唄、義太夫節、
犬の鳴き声や花火の音と演目も豊富で、
リズムよく音色を変えながら
「ぶう、ぶう、ぷっぷ、ぷっ」とやらかしたとか。
 
 
また、巫女が神楽舞を舞う時に持つ、
「三番叟」(さんばそう) の鈴を鳴らしたように、
おならで「シャンシャン」とやったというですから何とも凄いものです。
 
そして 最後は「淀の水車」と
名づけたおなら芸を披露。
これは「ブウブウブウ」と屁を鳴らしながら
身体を横転させるというもので、
水を汲んでは移す水車のような趣きが
感じられたんだそうです。
 
 
絵看板も凄かった!
見世物小屋の前には
「花咲男」と書かれた幟 (のぼり) が立って、
かなり独特な絵看板も掲げられました。
 
やっこ姿の男が出した尻からは、
ちょうど空想に耽ったり、
夢を見ている時の様子を表すように
尻の割れ目から2つの線が空に広がり、
その中に、得意のおなら芸である
「梯子」を始め「三番叟の鈴」「水車」などが
描かれているというものでした。
調子に乗って、上方進出!
 
江戸での興行成功後、
花咲男さんは上方に上って、
京都の四条河原や大坂の道頓堀で興行して、
ここでも大いに人気を集めたそうです。
 
江戸に凱旋!
 
安永6(1777)年には再び江戸に戻って、
「三国福平」と改名して興行を続けました。
(福屁曲平、霧降花咲男、曲屁曲平などとも
 名乗ったようです)
 
但し、さすがに以前ほど満員にはならず、
その後はどことなく
屁のように姿を見せなくなり、
おならの音もニオイもなくなくなった・・・
そうです。