♪ 童謡『一年生になったら』は、
昭和41(1966)年の発表以来、
令和8(2026)年現在も、
幼稚園などの卒園式や小学校の入学式など
日本の入学シーズンの風景を象徴し続けている
不朽の名曲です。
今年はこの童謡が発表されてから60年ですね!
作詞はまど・みちお氏。
まど・みちお氏による歌詞は、
「友達を100人作りたい」
という純粋な願いから始まり、
富士山の上でおにぎりを食べる、
世界中を驚かせるほど笑い転げるといった、
子供達のみずみずしい想像力を
肯定する温かさに満ちています。

そしてマーチ(行進曲)のような
軽快で弾むようなメロディは、
新しい環境へ一歩踏み出す子供達の
背中を明るく押し、高揚感を与えてくれます。
この曲の作曲を手掛けた山本直純氏。
クラシックは言うに及ばず、
映画、ドラマ、CM、バラエティー、童謡と
生涯で作曲した数は4000曲以上。
音楽関係者の間では
「日本の音楽普及に最も貢献した一人」として
高く評価されている大作曲家です。
♬「火の用心の歌」も作り、
CMにも纏を持って出演しています。
作詞 まど・みちお
作詞者のまど・みちお(本名:石田道雄)は、
104歳まで現役の詩人として活躍した
日本を代表する詩人です。
独自の感性で生きることの尊さを
優しい言葉で表現した作品は、
子供だけでなく大人の心にも
深く響き続けています。
まど・みちおは、明治42(1909)年11月16日、
山口県徳山町(現・周南市)に生まれました。
5歳の時、父親の仕事で
家族が台湾へ移り住んだ際、
一人だけ祖父の元に残されてしまいました。
その時の寂しさや孤独が、
詩作の原点となったそうです。
10歳で家族のいる台湾へ移住し、
学校を卒業した後は、
台湾総督府交通局の道路港湾課に
勤務していましたが、
昭和9(1934)年、24歳の時に
雑誌『コドモノクニ』の童謡募集に応じて
まど・みちおのペンネームで5篇を投稿。
そのうちの2篇
「ランタナの籬(かき)」「雨ふれば」が
選者の北原白秋の目に留まり、
特選に選ばれたのをきっかけに、
本格的に童謡詩の創作を本格的に始めます。
戦争の応召を挟んで、『やぎさんゆうびん』
『ぞうさん』『ふしぎなポケット』
『一年生になったら』などの童謡の作詞で
国民的な人気を得ました。
人生の半ばを迎えた
昭和36~39(1961-64)年にかけての4年間、
人知れず絵の制作に没頭します。
その大半は抽象画でした。
「この世のどこにもない世界、
この世にひとつきりの、
自分の世界を描きたいと思ったのです」
という言葉を残しています。
描かれたのは、 宇宙に直結するかのような
深い響きを宿すイメージ の数々でした。
この「ことばではいいきれない」ものに
沈潜したこの時期を経て、
昭和43(1968)年に初めての詩集
『てんぷらぴりぴり』を上梓します。
以降、優れた作品を世に出し続けます。
平成4(1992)年には、
美智子皇后陛下 (当時) ご自身が
数あるまどさんの詩の中から20篇を選出し、
世界の子供達に
日本の詩を知ってもらいたいという願いから
美しく原文に忠実な対訳をなされた
『どうぶつたち (The Animals) 』が
日本と米国で同時出版されました。
これにより、平成6(1994)年、85歳の時に
児童文学のノーベル賞と言われる
「国際アンデルセン賞」の作家賞を
日本人としては初めて受賞しました。
平成10(1998)年、美智子皇后陛下 (当時) は
アンデルセン賞の主催者である
IBBY (国際児童図書評議会) の
インド大会の基調講演にビデオ出演。
これが日本が子供の文化を尊重する国である
というイメージを世界に植え付けるのに
成功した要因と評価されました。
満90歳を過ぎても、
老いを「生かされている」喜びや
万物への感謝と捉え、ユーモアを交えながら、
日々の「ふしぎ」や命の尊さを
瑞々しい詩に綴り続けました。
96歳の時のインタビューでは、
時の経過や老いを
「母なる宇宙」に抱かれているような
安心感として表現しました。
更に満100歳を迎えるにあたり、
新作詩集『のぼりくだりの…』と
『100歳詩集 逃げの一手』の2冊を
刊行しています。
平成26(2014)年2月28日午前9時9分、
老衰のため東京都稲城市の病院で
満104歳で亡くなりました。
なお平成26(2014)年9月6日より、
まどの地元である山口県周南市の徳山駅で、
在来線下り方面の接近メロディに
「一年生になったら」が採用されています。