うまずたゆまず

コツコツと

♪ 唱歌『村の鍛冶屋』(むらのかじや)

 
唱歌や童謡が、
音楽教科書から外される理由のひとつに
社会や世相が変わってしまったために、
「時代に合わなくなった」
「明治や大正の時代に書かれた歌詞が
 現代の子供達には理解出来なくなった」
というのがあります。
その代表例が唱歌『村の鍛冶屋』でしょう。
 
 

唱歌『村の鍛冶屋』

『村の鍛冶屋』は、
大正元(1912)年12月に発表後、
時代により書き換えられながらも、
長く全国の小学校で愛唱されてきた唱歌です。
農林業が機械化され始めた
昭和30年代頃から次第に掲載されなくなり、
昭和60(1985)年には
全ての教科書から消滅しました。
 
初出


www.youtube.com

 
唱歌『村の鍛冶屋』(むらのかじや) は、
大正元(1912)年12月発行の
『尋常小学唱歌』第四学年用に
初めて掲載されました。
作詞者・作曲者ともに不詳です。
 
大正元(1912)年初版
一、
 暫時 (しばし) も止まずに つち打つひびき
 飛び散る火の花 はしる湯玉 (ゆだま)
 鞴 (ふいご) の風さへ 息をも継ががず
 仕事に精出す 村の鍛冶屋
・暫時 (しばし):少しの間。ほんの僅かな時間。
・槌  (つち) :物を打ち叩く工具。
・湯玉 (ゆだま):沸騰時に沸き上がる湯の泡。
       玉のように飛び散る熱湯のこと。
 
二、
 あるじは名高き いつこく老爺 (おやぢ)
 早起き早寝の 病 (やまい) 知らず
 鐵より堅 (かた) しと 誇れる腕に
 勝 (まさ) りて堅 (かた) きは 彼が心
・いっこく:頑固者。片意地を張る人。
 
三、
 刀はうたねど 大鎌 (おおがま)・小鎌
 馬鍬まぐわに 作鍬さくぐわ すきよ よな
 平和の打ち物 休まずうちて
 日毎に戰ふ 懶惰 (らんだ) の敵と
・懶惰 (らんだ) :なまけて怠る事。無精な様子。
 
四、
 稼ぐにおひつく 貧乏なくて
 名物鍛冶屋は 日日 (ひび) に繁昌
 あたりに類なき 仕事のほま
 槌うつ響に まして高し
・類なき:相並ぶ同等なものが存在しない様子
・ほまれ:誉められて光栄な事。
 
一番では、少しの休みもなく槌の音が聞こえ、
そこには火花が飛び、湯玉が走り、
火を強めるために風を送り込む鞴の音さえも
絶え間なく続く・・・・と、
とにかく、仕事に一生懸命な鍛冶屋の姿が
描かれています。
 
 
二番では、有名な頑固老爺で、健康が取り柄の
鍛冶屋自身を説明しています。
老爺が仕事に掛ける一途な思いや情熱は、
筋肉質で鉄のように堅い彼の腕よりも
堅いと言っています。
 
 
「鍛冶屋」というと、一般的に、
刀鍛冶を思い浮かべてしまいますが、
三番を見ると、老爺が作るのは鎌・鍬・鋤・鉈と、
主に農作業で使うような農具ものばかりです。
争い事を好まない老爺が
毎日闘っている敵と言えば、
自分自身の怠け心くらいのものでしょう。
 
 
四番では、日を追う毎に繁昌していく中で、
絶えず頑張っていることで、
お金が貯まっても使う暇えさえなく、
自分の仕事を誇らしく思う気持ちは、
まるで金槌の音のように高いと結んでいます。
 
昭和17(1942)年版
昭和17(1942)年発行の国民学校第四学年用
『初等科音楽二』では、
「暫時もやまずに」が「しばしも休まず」に、
「いつこく老爺」が「いつこく者よ」など
口語的表現や無難な言葉に変えられ、
更に3番、4番が削除されました。
 
昭和17(1942)年発行の『初等科音楽二』国民学校第四学年用に収録の際には、
「暫時もやまずに」が「しばしも休まず」に、「いつこく老爺」が「いつこく者よ」に
変更され、
農具が色々出て来る三番と、
「稼ぎに追いつく貧乏なし」と
労働を顕彰する四番は削られました。
 
昭和二十二年版


www.youtube.com

 
敗戦後の昭和22(1947)年に発行された
音楽教科書では、
新しく採用された歌が中心で、
戦時中の唱歌は削除され
戦時中の唱歌のほとんどが削除されるか、
歌詞を変えて掲載されました。
 
 
昭和22年改訂版
一、
 しばしも休まず 槌うつ響き
 飛び散る火花よ 走る湯玉
 ふいごの風さえ 息をもつがず
 仕事に精出す 村の鍛冶屋
 
二、
 あるじは名高い 働き者よ
 早起き早寝の 病 (やまい) 知らず
 永年鍛えた 自慢の腕で
 打ち出す鋤鍬 (すき くわ) 心こもる
 
『村の鍛冶屋』は、
タイトルは『村のかじや』と平仮名になり、
「いっこく者よ」が「はたらき者よ」に、
「鐵より堅いとじまんの腕で、
 打ちだす刃物に心こもる」の歌詞は
「永年鍛えた 自慢の腕で、
 打ち出す鋤鍬 心こもる。」と
内容に再修正は加えられたものの、
教科書への掲載は続きました。
 
3番以降はその後歌われなくなりましたが、
改訂後の2番の歌詞
「打ち出す鋤鍬 心こもる」の部分に
「野鍛冶」を示す表現が残されました。
 
「共通教材」について
 
年齢や、環境や境遇を越えて、
共通に歌える歌を持つことは
意味の深いことであるし、
そのような配慮は教育関係者にとって
当然必要とされるところであるところから、
昭和33(1958)年、文部省は学習指導要領で
「共通教材」を認定し、
親子で歌える唱歌を残すことにしました。
 
『村のかじや』は、昭和33(1958)年の
共通教材開設時に選ばれ、
昭和43(1968)年改訂にも継続されましたが、
昭和52(1977)年には省かれてしまいました。
 
教科書から姿を消す
長い間、愛唱されてきた『村の鍛冶屋』も
農林業が機械化され始めた昭和30年代頃から
次第に掲載されなくなり、
昭和60(1985)年には、全ての教科書から
消滅しました。
鍛冶屋の様子が児童に想像しにくいというのが
理由で教科書に掲載されなくなったそうです。
 
平成18(2006)年、文化庁とPTA全国協議会が、
親子で長く歌い継いで欲しい
『親子で歌いつごう日本の歌百選』にも
選ばれませんでした。
 
歌碑
 
教科書から姿を消すことを惜しんで、
金物の町として知られる兵庫県三木市では、
古くから鍛冶屋が栄えた当地に
この歌を永久に残そうと、
昭和53(1978)年12月8日に
上の丸町の「三木市立金物資料館」前に
『村の鍛冶屋』の歌碑を建てました。
 

 
碑前には青銅の「鞴」(ふいご) の模型が置かれ、
その正面に第一節の歌詞を刻み、
更に台座正面中央に全曲の楽譜が刻んで
あります。
 
 
 
資料館入り口にあるこの歌碑は、
懐かしく優しいメロディで
訪れる人々を出迎えてくれます。
 

www.city.miki.lg.jp

 

水打ち


www.youtube.com

 
『村の鍛冶屋」の歌の中に
「飛び散る火の花 走る湯玉」という
歌詞がありますが、
これは「水打ち」作業の様子を表現した
ものです。
 
熱せられた鉄の表面には
「酸化皮膜(黒皮)」が出来ますが、
水で濡らした手鎚で、
赤く焼けた鉄を細かく叩く作業
(水打ち)をすると、
それこそ蓮の葉の上を朝露が転がるように、
湯が玉になって走り回ります。
そして、触れた時の気化爆発の衝撃で
鉄の表面の酸化皮膜が剥がれることで、
鉄の表面が滑らかになり、
製品の肌(仕上がり)がキレイになります。
 

野鍛冶(のかじ)とは

 
大正元(1912)年に
文部省唱歌として発行された当時の
3番の歌詞には
「刀はうたねど大鎌小鎌、
 馬鍬に作鍬鋤よ鉈よ」とあることから、
唱歌『村の鍛冶屋』は、
「野鍛冶」(のかじ) の歌であることが
よく分かります。
 
 
鍛冶屋は作る道具の種類によって、
「刀鍛冶(刀工)」「専門鍛冶」「野鍛冶」の
3種類に大別されます。
 
「刀鍛冶」は、文字通り刀剣を作る専門家で、
現在は、刀匠の下で5年以上研鑽を積み
文化庁主催の作刀実地研修会を修了した者しか
名乗る資格が与えられていません。
現在の日本社会において、
日本刀は武器というよりも美術工芸品で、
主に実用品製造をしている鍛冶業界の中では、
特殊な位置づけにあります。
 
「専門鍛冶」とは、ある特定の製品、例えば、
包丁鍛冶・鋏鍛冶・鉈鍛冶・鍬鍛冶・鋸鍛冶などの
量産に特化した専門性の高い職人です。
日本三大刃物産地と言われる「大阪府堺市」
「新潟県三条市」「岐阜県関市」などには、
このような専門鍛冶がたくさん存在します。
 
そしてこの歌に歌われている「野鍛冶」は、
農具・漁具、山林刃物などの農林業で使う道具や
暮らしの中で使う道具を
小規模ながら幅広く作ったり修理したりする
仕事をする鍛冶屋のことです。
 
明治時代に入り、明治9(1876)年に
「廃刀令」が発布されたことによって、
刀鍛冶を専業にしていた鍛冶屋の多くが
町場の刃物鍛冶へと転業しました。
 
刀鍛冶は、古くから代々日本刀を作るために
伝統や技術を継承し、誇りを持って
仕事に取り組んでいた職人です。
そのような刀鍛冶の職人達が
道具鍛冶業界に流入したことで、
より専門的で精度の高い工具製品が
生産されるようになっていきました。