
日本には古来より、
年の初めに雪の間から芽を出した若菜を摘み、
自然界から新しい生命力をいただくことで
一年の無病息災や健康長寿を願う
「若菜摘み」という風習がありました。
供若菜
(わかなをくうず)
民間の人々の間でで古くから行われていた
「若菜摘み」の風習は、
宮廷行事として取り入れられて
一定の日に春先に萌え出る若菜を摘んで
献上する宮廷行事となりました。
こうして摘まれた若菜は、
年頭の祝儀に用いるために、
邪気を祓う趣旨で羹にして食しました。
平安時代独特の季節美観を重んじる行事の
代表的なものとなりました。
明日よりは 春菜採まむと 標めしのに
昨日も今日も 雪はふりつつ
昨日も今日も 雪はふりつつ
山部赤人
明日からは春菜を摘もうと
印をした野だったのに、
昨日も今日も雪が降っています。
「若菜摘み」の様子について、
『古今和歌集』にも有名な一首があります。
きみがため 春の野にいでて 若菜つむ
わが衣手に 雪はふりつつ
わが衣手に 雪はふりつつ
光孝天皇
あなたに差し上げようと思って
春の野に出て若菜を摘んでいると
私の袖にはしきりに雪が降りかかって
きます。
これら和歌からも伺えるように、
「若菜摘み」が労力と手間を要する
ものであったと同時に、
非常に特別な行事であったことが伺えます。
そして「供若菜」の行事には、
紀貫之の『土佐日記』(935年) の記述から、
正月子の日(初子)の日の「供若菜」と
正月七日(人日)の「供若菜」の
二つがあったことが分かります。
正月子の日(初子)の
供若菜
正月の子の日の「供若菜」の行事としては、
延長2(924)年正月25日甲子の、
醍醐天皇40歳の長寿祝いの「算賀」に際に、
宇多院より天皇に献上した例が早く、
この頃より儀式化する傾向があったようです。
故実書の『西』の中には
「若菜、上子日、内蔵、内膳、各供若菜」とあって、平安中期には完全に年中行事化していた
様子が見られます。
『源氏物語』若菜上巻には、
光源氏四十歳の賀の祝いに際して、
左大臣(髭黒)の北の方(玉鬘)が、
正月子の日の「供若菜」に因んで、
源氏に若菜を献じることが描かれています。
「正月廿三日、子の日なるに、
左大将殿の北方、若菜まいり給。
(中略)沈のおしき四つして、
御若菜、さまばかりまいれり。
御かはらけ取り給て、
「小松原末のよはひに引かれてや
野辺の若菜も年をつむべき」
など聞こえかはし給て、
上達部あまた南の廂に着き給」と、
玉鬘が、光源氏の算賀に南の町の寝殿において
若菜を献ずる様子が記されています。
なお、この行事に供せられるのは、
「十二種若菜」で、
「若菜、薊、苣、芹、蕨、薺、葵、芝、蓬、
水蓼、水雲、松(菘)」です。
ただ時代が下がると十二種を揃えることが
難しくなったためか、
「十二種若菜」は廃れて、
「七種菜」となっていきました。
正月七日の
供若菜
平安時代に、Chinaから
「七種菜羹」(ななしゅさいのかん)という
七種類の菜が入った吸い物が伝わりました。
これは、年中行事である
「人日」(人を殺さない日)に作られた
7種類の穀物で使った塩味の利いたもので、
この影響を受けて、「七種粥」が食べられる
ようになったそうです。
「正月子の日の供若菜」が
七種とは限らなかったのに対し、
「正月七日の供若菜」は必ず七種(七草)
供しました。
「七種粥」の創始としては、
嵯峨天皇の弘仁年間(810-24)、あるいは、
後醍醐天皇の延喜11(911)年と諸説ありますが、
平安中期には貴族社会で盛んに行なわれた
ようです。
『枕草子』には
「七日の若菜を、六日、
人の持て来さはぎとりちらしなどするに、
見もしらぬ草を、子供の取てもてきたるを」
とあります。
なお「七種菜」を
公式の年中行事として奉ることも、
室町時代には廃れたようです。
一方民間では、
「七種菜」を入れた粥の習慣は広まり、
江戸時代になり、二代将軍の秀忠の時に
正月七日が五節句の一つに定められると、
「七種粥」となって公式行事に復活します。
その一方で「子の日の若菜の羮」は
吸収されてしまいました。
小正月の「小豆粥」
正月七日の「七草粥」とは別に、
小正月の正月十五日に行なわれた
七種の物を入れて炊いた粥も
「七種の粥」(ななくさのかゆ) と称することが
あります。
この時の「七種」は諸説ありますが、
米(こめ)・粟(あわ)・黍(きび)・稗(ひえ)・
蓑米(みのごめ)・胡麻(ごま)・小豆(あずき)だった
ようです。
これが後世の「小豆粥」の源流となったよう
です。
各地で行われている
「若菜祭」(わかなまつり)
宮中で行われていた「七種粥」の行事は、
現在、各神社で様々な名称で行われています。
三重県の「伊勢神宮」では、1月7日に、
「七種粥」を神前に供え、新年を寿ぐ神事を
伊勢神宮内宮では「若菜御饌」(わかなのみけ)、
外宮では「新蔬菜御饌」(はつくさのみけ) と
言います。
奈良県吉野郡吉野町菜摘の
「勝手明神」で行われている七種の神事は、
「菜摘川の神事」(なつみかわのしんじ) と
言います。
この日、「勝手明神」の神官や氏子が
菜摘で若菜を摘み、
吉野山に戻って神前に捧げます。
なお菜摘川とは、奈良県吉野町菜摘にあるとも
万葉集の夏実川を指すとも言われますが、
一般には吉野川の辺を指すようです。
京都市の「北野天満宮」では「若菜祭」と言い、
「七種粥」を御祭神「菅原道真」に献じ、
新春を寿ぐ祭儀を執り行っています。
京都の「貴船神社」では「若菜神事」、
大阪市の「生國魂神社」では
「若菜卯杖祭」と称しています。
鹿児島県の「鹿児島神宮」では、2月7日に
「七草祭」と称し、
同じく七種粥を神饌に供しています。

