「七草」の風習やその種類は、
地域によって違いもあると言うことですが、
6日の夜、厄を払う「七草囃子」(ななくさばやし) を
唱えながら七草を叩き刻むことを
「薺打つ」(なずなうつ) と言います。
「七草」の菜のうち
最も手に入れやすいものが
「薺」(なずな) であるため、
「薺打つ」(なずなうつ) と
呼ばれるようになったようです。
が、必ずしも「薺」だけでなく、
地方によって菜の種類は異なるようです。
また地方によっては、「齊」に限らず、
タラの芽や串柿などを入れるところも
あるようです。
江戸時代後期の三都(京都・大阪・江戸)の
風俗、事物を説明した『守貞謾稿』には、
六日に七草を買い、
六日の夜と七日の暁の二度、まな板の脇に、
薪・庖丁・火箸・擂り粉木・杓子・銅杓子・
菜箸などの七具を添え、
歳徳神の方を向いて囃子詞を唱えながら
七草を七度、合わせて四十九回叩いたと
あります。
「七草囃子」(ななくさばやし)として歌われる
囃子詞 (はやしことば) は様々ありますが、
穀物を作る上で農耕に害となる鳥を追い払う
鳥追い歌です。
七草なずな、唐土の鳥が、
日本の土地に、渡らぬ先に、
七草なずな、手につみいれて、
亢觜斗張 (こうしとちょう)
「唐土 (とうど) の鳥」と言われるChinaの鳥は、
「鬼車鳥」(きしゃどり) といい、
「ふくろう」の属とされる頭が九つの怪鳥です。
首の一つを犬に噛まれ、
いつも血を滴り落としているとされ、
夜になると飛び回り、人家に入ると凶事があり
幼児に祟りをすると恐れられました。
6世紀の長江中流域の年中行事を記した
『荊楚歳時記』(けいそさいじき) には、
「正月の夜に鬼車鳥が沢山飛ぶので、
それを追い払うために
家々では槌で床や戸を打って鳴らし、
狗 (いぬ) の耳を捩って吠えさせ、
また、明かりを消して鬼鳥を祓った」と
あります。
そして「亢觜斗張」(こうしとちょう) と書いて、
「鬼車鳥」(きしゃどり) を追い払ったと
言われています。
「亢觜斗張」(こうしとちょう) とは、
Chinaの古代天文学による「二十八宿」の中の
四つの星、「亢」 「觜」 「斗」 「張」を指し、
これを書くことで「鬼車鳥」(きしゃどり) を
追い払ったと言われています。
更に日本では、古代から疫神は外界から
やって来るものという考えがあり、
「外界から来るもの」=「渡鳥」という連想で、
「唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬ先に」=
「大陸から鳥が疫病を持って来ないうちに」
という発想になったのではないでしょうか。
こうして叩いた七草を入れたお粥を炊いて
神様に供えてから家族で食べ、
一年の無病息災と五穀豊穣を祈りましょう。