初物(はつもの)

旬(しゅん)
食べ物には自然の中で普通に育てた場合、
それぞれ、一番美味しくて栄養たっぷりな時期
「旬」(しゅん) があります。

そして「旬」には、
「走り」「盛り」「名残」の3種類あると
言われています。
「走り」
その季節に初めて収穫された
農作物や漁獲物のこと。
農作物や漁獲物のこと。
「盛り」
流通量が増えて
食材を最も美味しく食べられる、
いわゆる「出盛り期」のこと。
食材を最も美味しく食べられる、
いわゆる「出盛り期」のこと。
「名残」
「また来年食べられるように」と
季節の終わりに名残惜しんで
食べるものという意味があります。
季節の終わりに名残惜しんで
食べるものという意味があります。
初物(はつもの)とは?
「初物」(はつもの) とは、
その食べ物のシーズンが到来して、
初めて取れた野菜・果物・魚などのことです。つまり「初物」とは、
「旬」の一番初めに出回る食材であり、
「旬」の「走り」のものです。

最近は、栽培の技術や保存方法が進歩して、
「旬」に関係なく多くの食材を
一年中食べることが出来るようになり、
「初物」への有難みが薄くなりがちですが、
四季折々の食材が豊富で「旬」の味覚を愛する
日本らしい食文化である「初物」は、
現代でも楽しむことが出来ます。
江戸時代の「初物ブーム」
江戸時代、江戸っ子達は「初物」を
熱狂的に買い求めて価格高騰の激化を招き、
争いの種にもなったことから、
幕府からの禁止令が出るほど人気でした。
初物七十五日

江戸時代には、「初物」を食べると、
新たな生命力を自分の身に得ることが出来ると
考えられていました。
「初物七十五日」、つまり、
「初物を食べると七十五日寿命が延びる」
という諺 (ことわざ) もあり、
「初物」はとても縁起の良いものとして、
人々は「初物」にこだわりました。
「初物七十五日」の由来となる諸説の1つに、
「江戸の死刑囚の言動が始まりという説」が
あります。
江戸時代には、死刑囚が最後に望む食べ物を
1つだけ食べさせてもらえる制度があり、
ある死刑囚が少しでも刑の執行を延ばして
長生きするために、
その時期に取れない食べ物を所望し、
収穫期までの75日間生き長らえたというもの
です。
江戸っ子気質の「見栄っ張り」

江戸っ子には、人よりも少しでも早く
珍しいものを口にして
見栄を張りたいという風潮があり、
先を争って「初物」を食べる
「初物食い」がブームになりました。
初物四天王

安永5(1776)年刊行の「初物」ランキング本
『初物評判福寿草』
(はつものひょうばんふくじゅそう) によると、
「初物」(はつもの) として好まれたものは、
初鰹・初鮭・初酒・初蕎麦・若鮎・若餅・
早松茸・早初茸・新茶・初茄子で、
特に人気が高かったのは
「初物四天王」と呼ばれた
1つ目は「鰹」(かつお)、2つ目は「鮭」(さけ)、
3つ目は「松茸」(まつたけ)、
4つ目が「茄子」(なす) の4つの食材でした。

そして「初鰹」や「初鮭」などの
鮮度が非常に重要なものは、
飛脚を使って獲れたてを
すぐに身分の高い人の元へ届けていました。
庶民は「茄子」を始めとした様々な野菜や筍、
果物や新酒などを幅広く楽しんでいました。
初鰹(はつがつお)

その中でも、特に江戸っ子が夢中になって
買い求めたのが「初鰹」(はつがつお) でした。
「初物」ブームはどんどんエスカレートし、
天明年間 (1781-1789) には頂点に達し、
高価でなければ「初鰹」(はつがつお) でないとまで
言われました。
特に、幕府の定めた鰹の取引期間(5月~)より
前に闇ルートで入手する「初鰹」(はつがつお) は
高値で取り引きされました。

蜀山人(大田 南畝)の記録によると、
文化9(1812)年3月25日に、
日本橋魚河岸(現在の築地市場の前身)に
「初鰹」が17本入荷した時は、
6本は将軍家お買上げ、
3本は2両1分で八百善が買い、
8本は魚屋へ渡り、
その中の1本を中村歌右衛門が3両で買い、
大部屋の役者に振舞ったと記録されています。

また「絵島生島事件」(1714)で
三宅島へ流された生島新五郎が、
江戸の市川團十郎(二世)へ
「初かつお辛子がなくて涙かな」の句を
書き送ったという話もあります。
「初鰹」の値段は、
「走り」の時期を過ぎると日毎に下がり、
一般の人達でも手が出せるようになりますが、
「初鰹女房に小一年いわれ」は、
「初鰹」の値段が高くて、それを買った夫が
妻に一年近くも愚痴られるという
柳多留の句です。
家計に響く出費だったようです。
初鮭(はつざけ)
今では、通年、スーパーマーケットで
鮭 (さけ) を見かけますが、
昔は、その年の秋に初めて、産卵のために、
川を遡って来た鮭は、
秋の走りとして人気でした。
鮭が川に戻って産卵する姿が、
人間にとって「出世」や「成長」を連想させ、
縁起が良いとされていたためです。
また、春に生まれて川を下った鮭が
秋にまた川に戻って来て産卵し、死んでしまう
一年の命を繰り返す「年魚」と信じられ、
古い歳が終わり、新しい一年の神をお迎えする
供え物として相応しいとも考えていました。
そのため1000年以上も前から鮭は
宮中の行事に使われ、
江戸時代には、「初鮭」は大いに喜ばれ、
年末年始のご馳走でした。
当時、鮭の産地を領内に持っていた
蝦夷の松前藩や越後の村上藩では、
将軍に献上するために「塩引き鮭」を生産して
江戸に送り、喜ばれていました。
この風習が庶民にも広まって、
歳暮の贈り物「新巻き鮭」が定着したそうです。
初茸(はつきのこ)
この茸 (きのこ) とは、茸全般との説もありますが
現代でも高額な初物の「松茸」(まつたけ) のことです。
寛永6(1629)年、館林藩主・榊原忠次が
最初に松茸を将軍に献上したと伝えられ、
江戸幕府が瓦解する慶應3(1867)年まで、
一年も休むことなく続けられました。
「御松茸御用」と札を掲げながら、
将軍への献上品として運ばれる「初茸」は、
注目を集めたそうです。
また、江戸っ子のレジャーのひとつとして、
籠を持って近くの里山まで行き、
きのこを取って帰る「茸狩り」(たけがり) が
特に女性に人気だったそうです。
初茄子(はつなす)
「茄子」(なす) は「成す」に通じることから、
縁起物として扱われ、
特に初夢に「一富士二鷹三茄子」が登場すると
良い一年になるとされています。
これは徳川家康の好んだものに由来するという
説があります。
人生の3分の1を駿河国で過ごした徳川家康は、
駿河国から見える「富士山」と
趣味としていた「鷹狩り」、
そして駿河国産の「茄子」を大層好んでいたと
言われています。
家康の大好物だった駿河国産「折戸なす」の
「初茄子」(はつなす) が献上されたという
記録もあります。
そして「初物」のブームの元祖は
「初鰹」ではなく「初茄子」だったとも
言われています。
江戸時代の寛文年間 (1661-73) 頃、
「早出し」と呼ばれる
野菜の促成栽培が可能になり、
江戸近郊にあった野菜の名産地・砂村では
旧暦3月(新暦4月) には「初茄子」が出荷されるようになりました。
因みに茄子は、旬の走りの「初物」だけでなく、旬の終わりの物も「終わり初物」などと言って
有難がられたそうです。
その他
この他には、現代でも人気がある
新茶や新米が「初物」として好まれました。
初物禁止令
「初物」に高いお金を払い、
競って食べるようになりました。
あまりにも熱狂的なブームとなったので、
寛文12(1672)年に、幕府は
魚介・鳥・野菜・果物などの出荷時期を定め、
それより前に出荷すると罰せられましたが、
その後もこの禁令が何度か出されたことから、
「初物食い」ブームは続いたようです。
しかし幕末になると、
「初物」ブームも下火になっていきました。
「初物」を食べる時のお作法
「初物を食べる時のお作法」に関しても
言い伝えがあります。
「笑いながら食べると福がやってくる」
というものです。
地域によっては、向く方角もあります。
江戸を中心にした東日本に多い風習としては、「初物」は「西」を向いて笑って食べる」
です。
西には極楽浄土があると信じられてきたため、
阿弥陀仏に感謝を表すためと言われています。
一方で京都や大阪など西日本では、
「初物」は「東」を向いて笑って食べる」
と言われています。
東は日の出の方角に当たるため、
太陽の恵みへの感謝を示すためだそうです。