立待月(たちまちづき)
陰暦十七日日の月のことで、
特に旧暦八月十七日の夜の月を言います。
日没とほぼ同時に出る
「十五夜(満月)」の時よりも、
やや月の出が遅くなり、
少しずつ欠けていきます。
それを惜しんで、
一夜毎に名を変えて愛でてきました。
月の出の時刻は、月の公転により、
一日におよそ50分ずつ遅れますが、
「秋分」の頃は一年で最も遅れが少なく
前日より30分程遅れて昇ります。
「秋分」の頃は、
一日当たり約30分遅くなるので、
1時間程遅れる計算になります。
そこで家の外に出て
今か今かと立って待っていると、
ほどなく上ってくるので
「立待月」(たちまちづき) という名前があります。
「たちまち」という副詞は、
この「立ち待ち」から派生したとも
言われています。
十七夜月(じゅうしちや)
「立待月」は「十五夜」の二日後の
十七夜の月なので、
「十七夜月」(じゅうしちや) とも言います。
飛脚「十七屋」(じゅうしちや)
江戸時代、飛脚は別名
「十七屋」(じゅうしちや) とも呼ばれました。
飛脚に手紙を託せば、たちまちに着くという
駄洒落で付けられたようです。
「はやり風邪、十七屋からひきはじめ」
(飛脚問屋から流行性感冒が感染が始まる)
(飛脚問屋から流行性感冒が感染が始まる)
「十七屋 日本の内なら あいといふ」
(日本の内ならどこでも大丈夫!と十七屋は答える)
(日本の内ならどこでも大丈夫!と十七屋は答える)
「十七屋 品川へかと 顔を見る」
(品川まででは近すぎて儲けにならないので、
十七屋が怪訝な顔をした)
(品川まででは近すぎて儲けにならないので、
十七屋が怪訝な顔をした)
など、川柳にも数多く読まれています。
実際に、江戸日本橋室町には、
「十七屋」を屋号にして
江戸で一番の飛脚屋になった
「十七屋孫兵衛」もありました。
地方に出店を置き、
広域的に書状や金銀荷物を輸送しましたが、
天明5(1785)年に幕府御用金の不正使用が
発覚して、闕所(営業停止)となり、
どうやら死罪となったようです。
「十七夜月」と書いて「かのう」?
昔の人は、「十五夜」の二日後の
「十七夜の月」に願い事をすると叶うと
考えられていたそうです。
そのためでしょうか、この「十七夜の月」は、
もう一つの呼び名で「かのう」と言います。
神戸市の北区には「十七夜月」と書いて
「かのう」と読ませるお家があります。
既生魄(きせいはく)
十七日目の夜の月は、
「既生魄」(きせいはく) とも言われています。「魄」とは、霊魂、あるいは月の表面で
照っていないところを言います。
既に欠け始めているという意味。