十六夜(いざよい)
旧暦八月十六日の月齢16日の夜、
また、その夜に見える月のことを言います。
満月と変わらないようですが、
少し欠けた形です。
「十五夜(満月)」を過ぎると、
月の出は少しずつ遅くなります。
この日の月の出も前日の満月の時よりも
僅かに(30~40分程)遅れるので、
月が躊躇 (いざよ・ためら) っているように
見えることから
「十六夜」(いざよい) と名付けられました。
月の出の時刻は、月の公転により、
一日におよそ50分ずつ遅れますが、
「秋分」の頃は一年で最も遅れが少なく
前日より30分程遅れて昇ります。
十六夜の別名
二八の月(にはちのつき)
「十五夜」が
「三五の月」(さんごのつき) とも呼ばれるように、
「十六夜」の月も、
掛け算の「二×八=十六」(にはち じゅうろく) から
「二八の月」(にはちのつき) と呼ばれることが
あったようです。
不知夜月(いざよいづき)
十六夜の月は一晩中夜を照らすことから、
夜を知らない月=「不知夜月」(いざよいづき)
とも呼ばれています。
既望(きぼう)
十六日目の月は、
「望月(=満月)」を既に過ぎたことから、
または、
前日の「十五夜」に
既に満月になっているにも関わらず、
十六日目の月も満月と変わらず
満ちたままの姿でいることから、
「既望」(きぼう) とも言います。
その他、「哉生魄」(さいせいはく) という
別名もあります。
十六夜いろいろ
十六夜日記
『十六夜日記』(いざよいにっき)は、
藤原為家の側室・阿仏尼(あぶつに)が著した
鎌倉前期の紀行文日記です。
書名は著者の命名ではなく、
古くは単に『路次記』『阿仏記』などと
呼ばれていたようですが、
旅立ちが10月16日であったことから、
『いさよひの記』『いさよひの日記』と
呼ばれるようになったそうです。
芭蕉の句
「十六夜はとりわけ闇の初め哉」
「十六夜は とりわけ 闇の初め哉」
これは松尾芭蕉の元禄6(1693)年の句です。
「昨夜は満月の十五夜で、今夜は十六夜。
僅かながら暗闇に向かって月が欠け始める、
その最初の日が今夜だ」という意味です。
他にも、
「十六夜の月を見はやせ 残る菊」
「いざよひのいづれか今朝に残る菊」
「十六夜もまださらしなの郡 (こおり) かな」
「やすやすと出ていざよふ月の雲」
「十六夜や海老煎る程の宵の闇」 など、
沢山の句を残しています。
歌舞伎狂言
「十六夜清心」
歌舞伎狂言『十六夜清心』(いざよい せいしん) は、
極楽寺の僧・清心が恋仲の遊女・十六夜と
心中未遂後に、一人助かった後、
数々の悪事を働く話。
遊女、十六夜と恋仲になり、女犯の罪で
寺を追い出された極楽寺の僧、清心。
京で出直すつもりの清心でしたが、
十六夜が自分の子を身籠ったと聞き、
もう死ぬしかないと二人で手に手をとって
稲瀬川へ身を投げます。
ところ変わって、
のんびり網漁を楽しむ俳諧師白蓮の船。
引き上げた網にかかったのは十六夜でした。
息を吹き返した十六夜を馴染み客だった白蓮が死ぬなと説き伏せ、十六夜も子を産むまではと、
白蓮に身を任せることにしました。
一方の清心も死に切れずに、
陸に上がっていました。
通りかかった寺小姓の求女の介抱するうち
懐の金に気付き、十六夜の供養にと
その金を借りようとしますが、言い争ううちに
誤って求女を殺してしまいました。
腹を切って十六夜の後を追おうとする
清心でしたが、ふと出てきた月を見て変心、
これからは栄耀栄華に暮らそうと稲瀬川から
去っていきました。
十六夜薔薇
(いざよいばら)
1814年以前に、Chinaの南西部から東南アジアで
発見された野生の交雑種と言われています。
春、直径8㎝程のピンク色の花を咲かせますが、
その花びらが完全な円を描くことがなく、
一部欠けたようになる様子から、
十六夜の月にたとえて
「十六夜薔薇」(いざよいばら) の名前があります。
なお花言葉は、「しとやか」「上品」
「可愛い人」「美しい少女」「愛の誓い」です。