「中秋の名月、十年に九年は見えず」
という言葉があります。
実は「十五夜」になる旧暦八月十五日の頃は、
秋雨前線や台風の時期で、月が雲に隠れて
見えなくなってしまうことがよくあります。
薄月(うすづき)
秋の月は、澄んだ空にくっきりと輝いて
見えるというイメージがありますが、
薄雲がかかる時もあります。
薄い雲がかかり、
ぼんやりと照る月を「薄月」(うすづき) と言い、
月光がほのかに差す夜のことを
「薄月夜」(うすづきよ) と言います。
なお同じくぼんやりと見える月である
「朧月」や「淡月」は春の月を指す季語です。
無月(むげつ)
旧暦八月十五日の夜、曇りや雨などで、
月が見えないことを「無月」(むづき) と言います。
十五夜の月が厚い雲や霧に鎖 (とざ) されて、
見えないけれども、
月の辺りが心なしか明るんでいる時、
名月を偲ぶ心から出たもの。
雨月(うげつ)
旧暦八月十五日の夜、
「十五夜」だというのに、
雨が降って、折角の名月が眺められず、
雨を恨めしく思う気持ちを表した言葉です。
「雨名月」(あめめいげつ) とか
「雨夜の月」(あまよのつき) とも言います。
しかし『徒然草』の中で兼好法師は、
次のように言って、
日本人の美意識の有り様を示しています。
花は盛りに、月は隈なきをのみ
見るものかは。
雨に向かひて月を恋ひ、
垂れ込めて春の行方知らぬも、
なほあはれに情け深し。
咲きぬべきほどの梢、
散りしをれたる庭などこそ
見どころ多けれ。
<意訳>
(春の桜の) 花は真っ盛りなのを、
(秋の) 月はかげりなく輝いているものだけを
見るものだろうか(いや、そうではない)。
雨に向かって(見えない)月を恋しく思い、
簾を垂らした部屋に閉じこもって
春の過ぎゆくのを知らないでいるのも、
やはりしみじみと感じられて趣が深い。
(きっと今にも)咲きそうな梢や、
散って萎れている庭などこそが見所が多い。
『雨月物語』の題名の由来
江戸後期に上田秋成の著した『雨月物語』は、
浮気性の夫正太郎を、妻の磯良 (いそら) が
怨霊となって復讐する物語です。
この題名の由来は、その序に
「雨霽月朦朧之夜。窓下編成。以梓氏。
題曰雨月物語。云。」と記されています。
雨の止んだ朧月夜に窓の下で編成したという
ことだそうです。
謡曲「雨月」
住吉明神に参詣に来た西行が
一夜の宿を借りに庵を訪れると、
雨音の風情を楽しむ翁と月光を愛でる姥が
雨と月とどちらが良いかで争っていました。
翁の歌の下句に見事な上句を付けた西行は、
中へ招き入れられ、三人で雨音かと聞き紛う
松風の声に耳を傾け、秋の風情を楽しみます。
実はこの夫婦こそ、住吉明神の化身でした。
その後、西行の前に
神職に憑依した住吉明神が現れ、
歌道の奥義を示し、
西行こそ和歌を語り合うべき友だと告げます。
そして閑かに舞を舞い、歌も舞も心の表れだ。
この神託を疑わぬよう言い遺すと、
天に昇って行きました。
十三夜に曇りなし
「中秋の名月、十年に九年は見えず」の一方、
二度目のお月見である
「十三夜」の頃(新暦の10月)になると、
秋晴れが多く美しい月が見られることから
「十三夜に曇りなし」と言われます。
秋もいよいよ深まっており、
気温が下がっている分、物寂びた趣もある
「十三夜」を楽しむのも一興かも。