
江戸時代に入ると、
「お月見」の風習は庶民に広がり、
お月様に秋の収穫物を供えて、
名月を観賞しながら
秋の実りに感謝するようになりました。
「十三夜」の供物は、枝豆と栗が主役ですが、
他にも月見団子(十三個)、枝豆、柿なども
供えて祝います。
豆名月・栗名月
「中秋の名月(十五夜)」が里芋を多用して
「芋名月」と呼ばれるのに対して、
「十三夜」は「豆名月」 「栗名月」とも呼ばれ、
「枝豆」と「栗」を賞味しました。
これは平安時代以来のことで、
『延喜式』(大膳)には
「九月九日節料 生大豆<五位已上二把>、
生栗子<参議已上一升、五位已上五合>」
とあります。
わざわざ「生大豆」とし、
「把」という単位であることから、
枝豆であったと推測されます。
『守貞漫稿』には、
「今夜供物、京坂にては、塩煮の菽 (まめ) を供す。
けだし枝を除き、萁 (まめがら) のままの
汐ゆでなり。」とあります。
「芋名月」でもあった?
また、ほぼ全国的にこの時期は、
「十五夜」同様、
里芋の収穫シーズンでもあったことから、
芋(里芋・衣被)も供えたようです。
「十三夜」の供物について『守貞漫稿』には、
江戸にては、今夜も八月と同製の団子に、
衣被 (きぬかつぎ) と号して、皮付きの小芋
および湯出栗・生柿・枝菽 (えだまめ) ・
以上五種を供す。」と記されています。
天保二年の『馬琴日記』にも、
「赤豆団子 (あずきだんご)・芋・栗・枝豆」を
供えたとあります。
『東都歳時記』にも、十三夜に
「衣被 (かはむかぬいも)・栗・枝豆・すヽきの花等
月に供す。」とあります。
ススキ
本来は実りを象徴する「稲穂」を
お供えしたいのですが、稲刈り前なので、
稲穂に似た「ススキ」を代わりに
供えられるようになったと考えられています。
また、「ススキ」の鋭い切り口が
魔除けになるとされていました。
一部地域では、お月見の後に、
「ススキ」を軒先に飾り、
災いを払うという風習も残されています。
月見団子
農耕儀礼にお団子やお餅は欠かせません。
「お月見」では、月と同じく丸い月見団子を
三方や皿に白い紙を敷いてお供えして、
「お月見」をした後に、
月に感謝をしながら食べましょう。
お供えする数は、よく言われているのが
「十三夜」に因んだ13個です。
風変わりな風習も
「十三夜」も「十五夜」と同様に、
日本各地には風変わりな風習を行われている
所があります。
例えば、対馬では他人の畑から
大豆を取っても良いという例もあるように、
「十三夜」には、
子供達がよその座敷や畑に入って、
栗なり豆なりを盗み取っても差し支えないと
してきた地方は意外に多いです。
また長野県にはこの夜の天気で、
翌年の農作物の出来を占う風習が
残されています。