
「104」は、NTT東日本・西日本が行っている
電話番号案内サービスです。
ただ利用者激減のため、
令和8(2026)年3月31日をもって
サービス提供が終了することになりました。
NTTの電話番号案内サービス
104番をダイヤルして、オペレーターに
住所や名前(個人の姓名・企業名など)を
伝えることで
電話帳登録のある方、もしくは
事前に番号案内をお申し込みされた方の
電話番号を教えてもらうサービスです。
電話番号案内業務は、
明治23(1890)年12月16日に、東京-横浜間で
電話交換業務を開始したと同時に、
開始されました。
その後、135年も続いたサービスですが、
インターネットとスマートフォン普及により、
インターネットでの番号検索が
一般化したことで、104の利用者は激減。
NTT東日本・西日本は、
利用者の減少と紙資源の削減のために、
来年の令和8(2026)年3月31日をもって
「104」を含む番号案内サービスと
紙版「タウンページ」の提供が
終了することになりました。
ただ、目の不自由な方向けの
無料番号案内サービス「ふれあい案内」や
「点字電話帳」は継続されます
104の日
電話番号案内サービス「104」番を
広くPRしようとNTTタウンページ株式会社が
制定した記念日です。
104番は名称または業種、住所などから
早く、簡単に電話番号を検索できるサービスで
日付はサービスのダイヤルナンバーの
「104」からつけられました。
ただ平成29(2017)年12月で、
日本記念協会の記念日登録を終了しています。
日本の電信電話事業の
初めて
電信機
我が国に電信機が初めて紹介されたのは、
嘉永7(1854)年に
米国のペリー提督が2度目に来訪した時に、
米国のフィルモア大統領から
徳川幕府への献上品の一つとして持参した
「エンボッシング・モールス電信機」でした。
ペリーは、電線や電池など装置一式を持参し、
デモンストレーションを行って
当時の世界の最先端の技術を紹介しました。
このエンボッシング・モールス電信機は、
我が国の電気通信の幕開けを告げる
貴重な資料として平成9(1997)年に、
国の重要文化財に指定されました。
その翌年には、オランダも受信機を
幕府に献上しましたが、
実用化されないまま明治維新を迎えました。
明治政府は、明治元(1868)年12月には
早速、電信線の架設を決定し、
東京-横浜間に電信線が架設されて
翌年8月にはまず官用通信の取扱いが、
更に同年12月には公衆電報の取扱いが
開始されました。
当初は和文電報のみでしたが、
居留外国人の要請もあって、
翌3年4月からは欧文電報の取扱いも
開始されました。
明治5年9月には私設線の架設が禁じられ、
全て官営となりましたが、
全国的に電信網の整備に努め、
明治15年(1882)にはほぼ全国主要幹線が
完成しました。
電話
明治9(1876)年、米国のグラハム・ベルによって
電話が発明されました。
その翌年、我が国では世界に先駆けて
電話機を輸入して、研究が行われました。
1876年、グラハム・ベルが電話機を発明
電話はベルの発明でしたが、
実は特許を出願したのが早かったのは
エジソンでした。
・エジソン:1876年1月14日
・ベル :1カ月遅れの2月14日
エジソンが提出したのは図面だけでしたが、ベルは実物の電話を提出していたため、
その後11年に及ぶ裁判の結果、ベルの特許が
正式に認められることになりました。
電話事業を官営か民営かにするかで
電話事業創業まで
年月が掛かってしまいましたが
明治18(1885)年に工部省が廃止されて、
電信・郵便・灯台・海運などの業務を
ひとまとめにした逓信省が発足すると
官営論が一気に加速。
逓信省は、東京-熱海間に電話線を架設し、
20(1887)年12月から実験を行い成功したので
翌年からとりあえず公用の通信に使用し、
更に22年1月からは初めて通話局相互間の通話を
1通話は5分で15銭で開始しました。
3月には電話も電信同様国営にすると決定し、
明治23(1890)年12月16日、
東京-横浜間で電話交換業務が開始されました。
創業当初の加入者数は、東京155、横浜42。
使用料は、1年につき東京市内は40円、
横浜市内は35円と非常に高かったので、
電話を架設したのは、官庁・大会社・新聞社・
銀行などがその大部分を占めていましたが、
次第に電話の便利さが認識されるに従い、
加入者の申込みは年毎に増大しました。
「104」の歴史
案内サービスの始まり
電話番号案内サービスが始まったのは、
明治23(1890)年12月16日、東京-横浜間で
電話サービスが開始されたのと同時に、
197の加入者を対象に開始されました。
案内受付用番号を
「500」番に設定
明治29(1896)年には、案内受付用番号が
「500」番に設定されました(東京)。
当時は電話交換が手動であり、
相手の電話番号を交換台に伝えなければ
電話が繋がらない仕組みになっており、
予め自分で調べるのが原則になっていたので、
「500番」は電話交換についての苦情や要望、
各種の問い合わせが主体だったようです。
案内受付用番号
局番なしの「100番」に
大正15(1926)年、電話交換が自動交換になると
今日のような集中案内台が創設され、
番号案内は局番なしの「100番」に統一され
ました。
市内番号案内が「104番」
市外番号案内が「105番」
昭和28(1953)年、
東京で局番の大掛かりな再編成が行われた時、
市内番号案内が「104番」、
市外番号案内が「105番」になるました。
市外局番+104番
昭和47(1972)年には、
市外局番+104番のダイヤル方式が導入され、
昭和59(1984)年には、市外局番+104番方式が
全国に拡大しました。
昭和61(1986)年10月10日になると、
コンピューターによる案内業務が
03エリアで開始
(平成元(1989)年には全国拡大完了)。
昭和63(1988)年12月19日には
自動音声回答も開始されました。
全国で「104番」
平成元年(1989)年11月1日には、
全国の電話番号を「104番」で案内するようになりました。
因みに平成元年(1989)年は、
「104番」利用のピークで、
利用回数は約12億8000万回でした
(令和5(2023)は99%の減の1600万回)。
ただ当時は無料で、
同年度は約2490億円の赤字だったそうです。
番号案内の有料化
平成2(1990)年12月1日、
利用者の偏重増加や経費削減の必要性を背景に
無料で提供されていた番号案内を
利用頻度に応じた費用を負担してもらうために
有料に切り替えられました。
サービス利用終了を発表
その後も値上げを実施するなどして
収益の改善を図ってきましたが、
スマートフォンやインターネットの普及で
電話番号を知る手段が増え、利用者が減少。
そしてとうとう令和6(2024)年7月19日、
電話番号案内サービス「104」番を
令和8(2026)年3月31日をもって終了することが
発表されました。

