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コツコツと

江戸時代の歯ブラシ「房楊枝」(ふさようじ)

 
奈良時代や平安時代には、
仏教の影響により公家、僧侶、武将など
上流階級の間で歯みがきが行われていました。
ですが江戸に入ると、
歯磨きの習慣は庶民にまで普及しました。
 
京都粟田口にあった「猿屋」(さるや)
「房楊枝」(ふさようじ) を考案し、
日本で最初に商品として売り出したことが
その背景にあります。
 
「房楊枝」の材料は、
柳や黒文字の木の一端を木槌で叩き、
針を並列した器具で梳いて房状に加工した
ものです。
この房状の部分をブラシとして使い、
歯を磨きます。
 
お歯黒が剥げないように配慮された
既婚女性向けの柔らかいもの、
男性向けに少し硬めのもの、
両端を叩いて一方を大きな房にし
反対側を小さい房にしたものなど、
「歯木」(しぼく) を改良したのは
日本人だけだそうです。
 
「房楊枝」は庶民に広まり、
全国に楊枝屋ができるようになっていきます。
江戸の日本橋にも、
八代将軍 吉宗の時代、元文5(1740)年に
「さるや」ができました。
因みに、「日本橋さるや」は、
現在も楊枝専門店として営業を続けています。
なお「さるや」の名前の由来は
猿は虫歯がなく歯が白いことから、
歯をキレイにする楊枝のシンボルとして
相応しいとされたことに由来するとする説、
小猿を背負った大道芸人が、
楊枝を削りながら売り歩いていた姿に因んで
「さるや」と呼ばれるようになったという
説があります。

www.nihonbashi-saruya.co.jp

 
 
ところで江戸で楊枝店が多かったのが
浅草寺境内でした。
三代将軍家光が、浅草寺にお成りの際、
楊枝屋に足を運んだという話が広まった
ためです。
 
こうした店は、それぞれに
若い美人の看板娘を置いて
売り上げを競いました。
「柳屋お藤」は特に有名な看板娘でした。
多くの江戸っ子が
お藤目当てに店先に集まりました。
 
店先で若い美人が叩いて作る
値段の安い「房楊枝」を求めて
店先に集まるのは、
江戸っ子だけではありませんでした。
参勤交代の主君について江戸に来ている
若い下級武士らもやって来て、
焚き付けにするほど大量に買い込んだとか
何とか。
 
浅草寺境内には、江戸末期には
約250軒に増えるほどの楊枝屋が営業する
繁盛ぶりだったそうです。