うまずたゆまず

コツコツと

お彼岸はよき日

 

お彼岸」と言うと、
仏事の色が強いイメージがありますが、
決して縁起の悪い期間ではありません。
 
平安時代の王朝時代の文学には
いくつかの「彼岸」の文字が見出せますが、
「春分」を挟むこの時期は
むしろ「よき日」という扱いでした。
 
『源氏物語』(行幸)には、
頭中将と夕顔の娘で、
成長してからは光源氏の養女となった
玉鬘 (たまかずら) の裳着の日程を選ぶに際して、
「かくのたまふは、二月朔日ころなりけり。
 十六日、彼岸の初めにて、
 いと吉き日なりけり。」とあり、
「彼岸の入り」が、縁起の良い日として
扱われていたことを示しています。
一方、先祖の供養をするような信仰的風習には
まだなっていなかったようです。
 
また同じ『源氏物語』(総角)にも、
「二十八日の、彼岸の果てにて吉き日なりけれ」
とあって、こちらでは、
彼岸の明けを「吉き日」としています。
『宇津保物語』(国譲下)にも
「彼岸の程によき日を取りて」とあります。
 
このように、平安時代には先祖の供養は
専ら盂蘭盆会に行なうべきものであり、
平安時代の「彼岸」は縁起の良い期間で、
せいぜい参詣したり、念仏を唱えたりする
日であったらしいのです。
 
彼岸の時期に「やってはいけない」ことは、
原則としてありません。