
恵比寿講(えびすこう)
室町時代になると貨幣経済に伴い
「福神信仰」(ふくじんしんこう) が
京都を中心に盛んになり、
その代表として恵比寿神が信仰されて、
都市商人の中で「恵比寿講」が生まれました。
冠者殿に参詣

「恵比寿神」を祀るためには
普段の罪穢を祓うことが必要であることから、
旧暦十月二十日には
商人は商売が出来ることを感謝し、
神罰を免れるため、日頃の商売の駆け引き上、
客に嘘をついた罪を払い、
そして商売繁昌を祈願するために、
京都四条寺町東入の祇園社 御旅所 (おたびしょ)
南の冠者殿 (かんじゃでん) に参詣するように
なりました。

祇園社御旅所南の冠者殿とは、
京都の八坂神社の境外摂社である
「冠者殿社」(かじゃどのしゃ) のことです。
冠者殿は祇園御旅社と同居していますが、
祇園社祭神とは関係なく、
京都の町衆が市神として祀ったものです。
誓文払い(せいもんばらい)
更に商店では、
平素の客との掛け引き上の噓をついた
「罪滅ぼし」と称して
10月20日を中心に「誓文払い」(せいもんばらい) に
安売りをするようになりました。
「払う」=「祓う」
購入行為である貨幣を「払う」は
宗教的な「祓う」と同じ意味で、
貨幣に付着した罪穢を祓うとともに、
舌先三寸の「商行為に溜まる罪穢」を払拭する原義も考えるべきであろう。
本居宣長の『古事記伝』には、
次のようにあります。
今俗に、物を買たる直 (アタヒ) を出すを、
払ふとも払をするとも云は、祓除の意に
あたれり、又これを済 (スマ) すと云も、
令清 (スマス) の意にて、祓の義に通へり。
支払いの「払う」と神社でのお祓いの「祓う」は同じ意味であり、加えて
決済の「済」も澄む(清らかな)状態を指し、禊ぎの意味に通じるということ
です。
決済の「済」も澄む(清らかな)状態を指し、禊ぎの意味に通じるということ
です。
土佐坊昌俊の故事

冠者殿 (かんじゃでん) には、
源頼朝の命で源義経の六条堀川館を襲撃した
土佐坊昌俊 (とさのぼうしょうしゅん) も
祀られています。
土佐坊昌俊は、源義経に捕らえられた時、
偽りの誓言をして許されたのに、
彼の六条室町亭(堀川館)に夜討ちをかけて、
源義経に捕らえられます。
そして首をはねられる前に、
「この後、忠義立てのために
偽りの誓いをする者の罪を救わん」と
願をかけたと言われています。
このことから、冠者殿社には
「起請返し」「誓文払い」の信仰が生まれ、
商売人が商売上の嘘を祓い清めてもらうために
参詣が行われたと言われています。
すたすた坊主
「誓文払い」の日、商人らの身代わりとなって
「すたすた坊主」という一種の願人坊主が
垢離 (こり) を取る代行商売もありました。
「すたすた坊主」は、江戸時代に存在した、
京都で「誓文払い」の際、
忙しい商人の代わりに神仏への参拝を行うと
称して物乞いをした乞食坊主(大道芸人)の
ことです。
彼らはしばしば裸に注連縄や鉢巻を身につけ、
扇や錫杖を持って「すたすた、すたすた」と
独特の歌を歌いながら歩き回っていました。
無言詣り(むごんまいり)

江戸時代末期には
祇園や先斗町など花街の遊女達が、
馴染みの客に愛の証として
偽りの恋文や証文を書いたことや、
嘘をついたことを清めるために
参詣が行われるようになりました。
この参詣の際、一切無言で行わなければ
願いは破れると言われたことから、
「無言詣り」(むごんまいり) と称されるように
なりました。
現在、祇園祭の時、御旅所に神輿が留まる
七日七夜に渡り「無言詣り」が行われています。
福岡の「誓文払い」
福岡市の「誓文払い」は、
1か月後の11月18・19・20日行われます。
これは明治12(1879)年、博多の町に
不景気の風が吹いていた頃、
博多下川端の漬物屋「金山堂」
八尋利兵衛 (やひろりへい) さんがたまたま
出掛けた大阪で見た
蛭子祭 (えびすまつり) で行なわれた
呉服屋の「誓文払い」の盛況ぶりを参考に、
早速、同年12月3日に福博呉服商28店と共に
初めての「誓文払い」を開催すると、
年々盛況になり、明治38(1905)年には、
博多の殆どの業種の店が参加し、
博多独自の「せいもん払い」という行事が
誕生しました。
嘘つき祝い
中国地方では、12月8日、商家では、
1年間ついた嘘が帳消しになる日だとして、
「豆腐汁」や「こんにゃく田楽」を作って
馳走して祝います。
