毎年10月10日は「まぐろの日」です。
鰹 (かつお) や鮪 (まぐろ) の
漁業関係者で構成される
「日本鰹鮪漁業協同組合連合会」が
鮪 (まぐろ) をもっと食べてもらおうと、
昭和61(1986)年に制定した日です。
この日を中心として、
まぐろをPRするイベントなどが行われます。
日本鰹鮪漁業協同組合連合会(日かつ連)は
昭和25(1950)年6月に設立された団体です。
その後、長期的魚価の低迷、
世界的な燃油高騰等の影響を受けて、
平成18(2006)年4月1日に、その後継組織として
「日本かつお・まぐろ漁業協同組合 (日かつ漁協)」が組織されました。
日付は、神亀3(726)年10月10日に、
第45代・聖武天皇のお伴で
播磨国・明石に赴いた山部赤人が、
「鮪 (しび = まぐろ)」で栄えるこの地方を
讃えて詠んだ歌が『万葉集』にあることから。
やすみしし 吾 (わ) が大王 (おほきみ) の
神ながら 高知らせる
印南野 (いなみの) の大海の原の荒栲の
藤井の浦に 鮪 (しび) 釣ると
海人 (あま) 船散 (さ) 動 (わ) き
塩焼くと 人ぞ多 (さは) にある
浦を良 (よ) み 諾 (うべ) も釣はす
浜を良み 諾も塩焼く
あり通ひ 見ますもしるし 清き白浜
神ながら 高知らせる
印南野 (いなみの) の大海の原の荒栲の
藤井の浦に 鮪 (しび) 釣ると
海人 (あま) 船散 (さ) 動 (わ) き
塩焼くと 人ぞ多 (さは) にある
浦を良 (よ) み 諾 (うべ) も釣はす
浜を良み 諾も塩焼く
あり通ひ 見ますもしるし 清き白浜
- 口語訳 -
あまねく国土をお治めになる我が大君が
神ながら支配される印南野の邑美の原は
藤井の浦にマグロを釣ろうと漁師の舟が
ひしめき合う。
塩を焼き出そうと浜に多くの人々が
集まっている。
良い浦なので釣り舟が集まるのももっとも。
良い浜なので塩焼きに人が集まるのも
もっとも。
こんな具合だから大君が度々通い、
御覧になるというものだ。
何という清らかな白浜だろう。
あまねく国土をお治めになる我が大君が
神ながら支配される印南野の邑美の原は
藤井の浦にマグロを釣ろうと漁師の舟が
ひしめき合う。
塩を焼き出そうと浜に多くの人々が
集まっている。
良い浦なので釣り舟が集まるのももっとも。
良い浜なので塩焼きに人が集まるのも
もっとも。
こんな具合だから大君が度々通い、
御覧になるというものだ。
何という清らかな白浜だろう。
日本は言わずと知れた
「鮪」(まぐろ) の消費大国です。
全世界で獲れるマグロは年間約200万t 程ですが、そのうち約1/4が日本国内で食されています。
また漁獲量でも世界3位となっています。
マグロと言ってもその種類はとても多く、
日本に流通しているマグロは
大きく5種類あります。
🐟 クロマグロ (本マグロ)
🐟 ミナミマグロ (インドマグロ)
🐟 メバチマグロ (バチマグロ)
🐟 ビンナガマグロ(ビンナガマグロ)
🐟 キハダマグロ
日本人と「鮪」(まぐろ) の関わりは非常に古く、
縄文時代の貝塚からマグロの骨が発見されて
いるほどです。
『古事記』の中には、
アユ・タヒ・シビ・ワニ・スズキの
5種の魚名が記されていますが、
そのうちの「シビ」がマグロのことです。
「まぐろ」の名前の由来には、
目が黒いことから、
「眼黒」→「まぐろ」となったというものと、
船の上からマグロが泳ぐのを見ると、水面に、
真っ黒な魚が泳いでいるように見えることから、
「真っ黒」→「まっくろ」→「まぐろ」となったという
2つの節があります。
またマグロの漢字は
「魚へん」に「有」がついていますが、
「有」には「外側を囲む」という意味があり、
鮪は海を囲むように大きく回遊することから、この漢字がつけられたそうです。
また「トロ」という名前は、大正7(1918)年に、
東京日本橋にある老舗寿司店「吉野鮨」の常連
三井物産に勤めていたという安達一雄さんが、
当時、脂が多いことから
「アブ」などと呼ばれていた脂身の部位を、
「口の中でとろける」
「口に入れるとトロッとする」様子から
「トロ」と名付ける事を提案したことから
来ていると言われています。
ところで鮪は捨てる部分がほとんどない魚で、
赤身、中トロ、大トロだけでなく、
様々な部位がそれぞれの美味しさを
秘めています。
ほほ肉、カマトロ、中落ちの他、
目周りのゼリー状の部分はDHAを多く含み、
トロトロして美味しい部位と言われています。
マグロの頭はそのまま兜焼きにも出来ます。