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2月10日 「海の安全祈念日」~実習船えひめ丸沈没事故~

 

2月10日は「海の安全祈念日」です。
平成15(2003)年に制定しました。
平成13(2001)年のこの日、ハワイ沖で
愛媛県立宇和島水産高校の実習船が、
米国の原子力潜水艦に衝突されて沈没して、
教官や生徒ら9人が亡くなったことが
きっかけでした。
 
 

実習船えひめ丸沈没事故

概況
平成13(2001)年2月10日午前8時43分
(現地時間9日午後1時43分)、
ハワイのオアフ島沖で、
大型実習船「えひめ丸」が、
安全を充分確認しないまま緊急浮上した
全長110.3m・幅10mという巨大な
米国海軍原子力潜水艦「グリーンビル」に
衝突されて沈没しました。
 
この衝突により、実習船の乗員35人のうち、
海上に投げ出された26名は救出されましたが、
実習生4名、指導教官2名、乗組員3名の計9名が
行方不明になりました。
 
原因
 
「実習船えひめ丸沈没事故」が発生した日、
米国海軍原子力潜水艦「グリーンビル」は
民間人16人を同乗させて、
原子力潜水艦の機能を披露していました。
そしてその最後に、緊急時の急浮上を行う
デモンストレーションをした際に
ソナーで「えひめ丸」の存在に
気付いていたにも関わらず、
民間人の対応に追われ、
ソナーによる確認作業がなおざりにしてしまい、
「えひめ丸」との衝突事故を発生させて
しまったのです。
潜水艦のガイドラインには、
「潜水艦は訓練中にのみ航行が可能」
という規則がありましたが、
それを破った形となった航行だけでなく、
民間人に操縦を体験させていたことも
問題になりました。
 
更に、事故後も潜水艦「グリーンビル」は
現場海域に留まったものの、
これら同乗の民間人に配慮して
積極的な救難活動を行わなかったり、
民間人のスケジュールを優先したことなどから
全ての対応について非難の的となりました。
 
 
これに対し米国海軍は、
衝突当時は周辺の海がかなり荒れており、
積極的な救助活動を行うことは難しかった、
また「えひめ丸」の船首が水面から出て来て
船が一瞬垂直に立った後、海に消えるまでが
あっという間だったと主張しています。
 
米国海軍の事故への対応
同年2月16日、水深600mの地点で沈んでいた
「えひめ丸」の船体が発見されました。
 
日本側は直ちに
「えひめ丸」の引き上げを要求しましたが、
当初、米国海軍は米国の慣習に従い、
「えひめ丸」は600mもの海底に沈んだため、
船体引き上げはコスト的にも困難であるとして
「えひめ丸」船体は放置される予定でした。
 
 
一方日本政府は、平成13(2001)年8月には、
愛媛県からの要請を受けて、
潜水艦救難艦「ちはや」を災害派遣し、
遺体捜索作業を行いました。
 
しかしその後、米国側も
事故発生時から行方不明者家族らにより
沈没した船体の引き上げが強く望まれたこと、
日本の火葬による葬儀の風習、
また日本人の感情などに配慮して、
代行案として船体の浅瀬への曳航を提示し、
行方不明者家族側もこれを了承しました。
 
遺体の発見と収容
 
平成13(2001)年10月16日、日本側の支援の下、
船体をダイバーが潜行して「えひめ丸」を
調査出来る水深35mの位置まで移動し、
約1か月かけて米国海軍のダイバーらにより
捜索が行われました。
 
11月7日までに行方不明者9名のうち
8名の遺体を発見・収容し、
11月16日に捜索終了しました。
 
また引き上げ後の調査により、
「えひめ丸」は船底のフレーム21から54にかけ「くの字」状の亀裂が入っていたことが判明し、
下から突き上げられたことによる衝撃で
沈没したことが確認しました。
なお調査後、「えひめ丸」の船体は
水深1800mの海底に移動されました。
 
この事故後の対応として、
行方不明者の捜索と収容には約6000ドル、
愛媛県への補償に1147万ドル、
家族への補償に1650万ドル、
「グリーンビル」の修理に200万ドルが
費やされました。
 
また事故の責任を問われた「グリーンビル」の
スコット・ワドル艦長(事故当時)は、
海軍の懲戒処分を受けて、除隊しました。
 
また2005年10月に、米国家運輸安全委員会は、
元艦長と乗組員らの意思疎通不足と、
元艦長による緊急浮上訓練の指示が
事故原因と断定する報告書を発表した。
 
日本政府への影響
 
「実習船えひめ丸沈没事故」に対する
森喜朗首相(当時)の対応が批判を浴びて、
首相交代劇に展開していきます。
 
事故発生時、森首相は休暇中で、
ゴルフ場にいました。
ところが事故の一報後もプレーを続け、
直ちに首相官邸に戻らなかったことが
危機管理上問題だとされ、
元々低迷していた森内閣の支持率は下がり、
この「えひめ丸の事故」を契機に
「森降ろし」へと加速しました。
 
 
これに対し、森首相は3月10日、
「自民党総裁選」を9月から4月に前倒しして
実施する考えを党幹部に伝えて、
事実上の「退陣表明」を行いました。
 
 
そうして平成13(2001)年4月24日、
「自由民主党総裁選挙」が行われ、
「自民党をぶっ壊す!」
「私の政策を批判する者は全て抵抗勢力」
と熱弁を振った小泉純一郎氏が圧勝して、
自民党総裁に選出されました。
更に4月26日、内閣総理大臣に指名され、
第87代内閣総理大臣に任命されました。
 
米マスコミの反応
 
「えひめ丸」の引き上げ・曳航作業の資金として
6000万ドルが投入されたことが
米国国内で議論を呼びました。
 
英語圏のマスコミ報道では
「えひめ丸」を「漁船」(fish boat)と紹介し、
高校生が乗っていた「実習船」であることを
報道した記事は少なかった。
 
米・民主党寄りの「ワシントン・ポスト」紙は
「日本にはもう十分に謝った」という
論説の中で
そもそも日本人は
自らの問題について謝罪していない。
一部の日本人は謝ろうとしないどころか、
それらの戦争犯罪(従軍慰安婦や南京大虐殺)
が行われたことすら認めていない。
 
それに比べて我々の米国は、
世界で最もきちんと謝っている国だ。
クリントン前大統領はアフリカに行って
黒人を奴隷にしたことを謝罪したし、
アメリカインディアンなど差別を受けた
人々にも既にきちんと謝った。
 
として日本側の対応を批判しました。
 

「海の安全祈念日」の制定

 
亡くなられた方9名の方々の
海や水産への思いや志を継承するとともに、
この悲劇を教訓として、
このような事故が二度と起こらないようなど
船舶の安全を祈願することを目的に、
2月10日を「海の安全祈念日」と定めました。
 
 
この日、国の水産系高校では、
追悼と実習航海の安全を祈念するために、
全黙祷が捧げられています。
 

「えひめ丸の慰霊碑」の設置


 
平成14(2002)年、2月9日に
当時の高野山高校宗教科の
生徒らが寄付を募って、
ハワイ州・オアフ島のホノルルの
カカアコウォーターフロントパークの
小高い丘の上に「えひめ丸の慰霊碑」を建立、
除幕されました。

osd.tukai.jp

 
「えひめ丸の慰霊碑」からは、
事故発生及び沈没海域を臨み、
「えひめ丸」が出港した港に立つ
アロハ・タワーが見えます。
また慰霊碑は、慰霊碑管理協会や
高校生など地元のボランティアにより
常時清掃されています。
 
また高野山高校宗教科では、
海外研修としてハワイに何度か訪れて、
慰霊碑の前で物故者慰霊法会をしています。

平成30(2018)年6月4日には、
訪米中の秋篠宮両殿下が
慰霊碑に立ち寄って、慰霊を行っています。

www.afpbb.com

 
注意
カカアコウォーターフロントパークの周辺は
ホームレスも多く、近年治安悪化が問題視
されておりますので、行かれる際には十分,
お気を付け下さい。